原題:“The Number 23” / 監督:ジョエル・シューマカー / 脚本:ファーンリー・フィリップス / 製作:ボー・フリン、トリップ・ヴィンソン / 製作総指揮:トビー・エメリッヒ、リチャード・ブレナー、キース・ゴールドバーグ、ブルックリン・ウェーバー、マイク・ドレイク、イーライ・リックバーグ / 撮影監督:マシュー・リバティーク,A.S.C. / 美術:アンドリュー・ロウズ / 編集:マーク・スティーヴンス / 衣装:ダニエル・オーランディ / 音楽:ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ / 出演:ジム・キャリー、ヴァージニア・マドセン、ローガン・ラーマン、ダニー・ヒューストン、ローナ・ミトラ、リン・コリンズ / コントラ・フィルム&ファーム・フィルムズ製作 / 配給:角川映画
2007年アメリカ作品 / 上映時間:1時間39分 / 日本語字幕:石田泰子
2007年11月23日日本公開
公式サイト : http://www.number23.jp/
[粗筋]
ウォルター・スパロウ(ジム・キャリー)は動物管理局で野良犬の保護を仕事にしている。暮らし向きは冴えないが、ケーキ屋を営む愛妻アガサ(ヴァージニア・マドセン)と素直な息子ロビン(ローガン・ラーマン)に囲まれ幸せな日々を過ごしていた。
そんな彼の平穏が崩れたきっかけは、些細なことであった。誕生日の2月3日、妻と落ち合う約束をしていたのが、終業間際になって野良犬の確保を頼まれ、結果的に失敗した上約束には遅刻してしまう。遅れた彼を待つあいだ、アガサは“ノベル・フェイト”という名の古書店に足を踏み入れ、1冊の本を見つけていた。私家版と思しい、赤一色の装幀を施した本のタイトルは『ナンバー23』。
物語の主人公は、フィンガリンク(ジム・キャリー二役)と名乗る探偵である。生まれて初めて読んだ絵本の登場人物から取った偽名を標榜するこの男は、幼い日に隣に住むドブキンス夫人(リン・コリンズ)の自殺屍体を発見するなど、暗い出来事を経て、探偵の道を歩きはじめる。
そんな彼のもとにある日舞い込んだ依頼は、自殺志願の女を説得すること。部屋の壁という壁に紙を貼り渡したそのブロンドの女(リン・コリンズ二役)は、“23”という数字に取り憑かれていた。彼女の関わるあらゆるものごとに、“23”という数字が絡んでいることに怯え、その挙句にこの世から逃げる道を選ぼうとしていたのだ。所詮ものの見方に過ぎない、と説得し一度は彼女に自殺を思い留まらせたフィンガリングだったが、しかし彼が現場を去ろうとしたその矢先に、ブロンドの女は住居から身を投じてしまった。
ブロンドの女が父から引き継いだという“23”の呪いは、今度はフィンガリングを侵蝕していく。自分にも身辺に23という数字が蔓延していることに気づいた彼は、次第に正気を失っていった……
――何気なく薦められたこの本を、ウォルターはさして期待もせず読み始めたのだが、間もなく夢中になっていく。何故なら、フィンガリングの来歴はウォルターの生い立ちに極めて似通い――そして、ウォルターの周りにも、“23”という数字は溢れていたのだ……誕生日、運転免許証に社会保障番号、自宅の住所に結婚式の日付。更には夜更け、何気なく寝返りを打った目線の先にある時計の数字まで、あらゆる場所に“23”が蔓延している。
これは偶然なのだろうか、それとも……? ウォルターは次第に“23”と、この奇妙な小説を著した人物に過剰な関心を抱くようになっていく……
[感想]
監督のジョエル・シューマカーは、近年だと『オペラ座の怪人』が有名だろうが、もともとはサスペンス、スリラーの分野に強みを発揮していた人物である。最近でも、極めて行動を制約された中で緊迫したやり取りを繰り広げるシンプルな傑作『フォーン・ブース』や、ニコラス・ケイジがスナッフ・フィルムの異様な魅力に取り憑かれていくさまを描いた『8mm』など侮りがたい作品を発表している。彼の奇しくも監督23作目に当たる本編は、そうしたスタイルに回帰した、スタイリッシュながらも不気味な印象に彩られたスリラーに仕上がっている。
率直に言えば、クライマックスの仕掛け自体には拍子抜けの感がある。上のような粗筋を聞いた段階で幾つか結末を想像して欲しい、と言われたとき、思い浮かべたもののひとつが正解である可能性は非常に高い。願わくば、もうひとつひねりが欲しかったところだ。
また、そこに繋がる過去の出来事が、あまりに現在の都合に合わせすぎたせいで、不自然な箇所が多くなっていることも気に懸かる。あの成り行きだと、恐らく途中で誰かが疑問を感じて、関係者に何らかのアクセスを取っている可能性が高いだろうに、誰も彼もがそれを無視しているかのような反応にしてしまうのは、やはり雑という誹りを免れまい。それが主人公に結びついていくまでの過程にも多くの疑問を差し挟める。根幹のアイディアが凝っているのに対して、その出所について考慮を巡らせる、ということに失敗しているのがただただ残念だ。
だが、そうした欠点を踏まえた上でも、決して本編は不出来な作品とは言えない。それほど“23”という着眼と、これを掘り下げていったストーリーには、抗いがたい魅力があるのだ。作中に登場する学者が語る通り、確かにこういう思考遊戯にとって“23”は極めて都合のいい数字なのだろう。実際、観ているあいだに私自身、作中で言及されていないが現実の事件に“23”という数字を導きうるものを思い出してしまったほどだ*1。あとからあとから導き出される“23”という数字の不気味さに、観ているうちに観客までもが取り憑かれていく。この過程の異様さは比類がない。
そうしたインパクトを、監督は『フォーン・ブース』でも見せたようなトリッキーかつスタイリッシュな演出により、テンポよく見せていくので、緊張感も異様さも途切れることなく最後まで引っ張られてしまう。現実をストレートな手法で捉える一方、『ナンバー23』というタイトルの小説の中で描かれている出来事を、ふんだんにVFXを施した映像で幻想的に、薄気味悪く描き出すことで双方のコントラストを際立たせ、同時にそれらが次第に混ざり合っていくさまをシンプルに、しかし効果的に表現する。
主演にジム・キャリーを選んだことも、この異様な雰囲気作りに貢献している。コメディにおいて強みを発揮する彼の多彩な表情をそのまま、ウォルターの親しみやすい人柄と作中人物フィンガリングの渋み、そして次第に狂的に変貌していく過程に応用し、物語の迫力と結びつけている。作中人物を現実と同じ俳優に演じさせていることも、現実と虚構を混濁させていく物語の意図によく貢献している。
加えて、決して安易なハッピーエンドにしなかったラストが秀逸である。仕掛け自体が想像の範囲内であっても、また最後の選択が予定調和的でも、しかしそこで妥協をしなかった点は高く評価できよう。ハッピーではないが正しい結末、と語るその場面の最後に、ほんのりと不穏なものを滲ませた点も巧い。
仕掛け自体の単純さに低い評価を下してしまうのは早計である。本編は“23”という数字を巡る不気味さと、それを活かしつつ癖のあるスリラーに仕立て上げた職人芸にこそ価値を見いだせる作品だ。観終わったあと、身の回りに“23”という数字を探してしまうようなら、貴方は完全に本編の術中に嵌っている――評価するにせよ、しないにせよ。
*1:他でもない、2001年9月11日のことだ――但しこれは監督も念頭にあったようで、プログラムに収録されたインタビューのなかで言及している。気づきながら触れなかったのは、エンタテインメントとして作ったが故の配慮であろう。
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