原作:京極夏彦(講談社・刊) / 監督・脚本:原田眞人 / 脚本協力:猪爪慎一 / 企画:遠谷信幸 / プロデューサー:小椋悟、柴田一成、井上潔 / 撮影:柳島克己 / 照明:高屋齋 / 美術:池谷仙克 / 装飾:大坂和美 / 録音:矢野正人 / 編集:須永弘志 / 衣裳デザイン:宮本まさ江 / ヘアメイク:小沼みどり / VFXスーパーヴァイザー:古賀信明 / 音楽:村松崇継 / 主題歌:東京事変『金魚の箱』(EMI Music Japan) / 世話人:明石散人 / 出演:堤真一、阿部寛、椎名桔平、黒木瞳、田中麗奈、宮迫博之、宮藤官九郎、柄本明、堀部圭亮、荒川良々、マギー、寺島咲、谷村美月、大森博史、大沢樹生、右近健一、笹野高史、清水美砂、篠原涼子 / 企画・製作プロダクション:フューチャー・プラネット、小椋事務所 / 配給:Showgate
2007年作品 / 上映時間:2時間13分
2007年12月22日日本公開
公式サイト : http://mouryou.jp/
新宿ミラノ1にて初見(2007/12/22) ※初日舞台挨拶あり
[粗筋]
捜査するのではなく、その人の過去を視ることの出来る力によって探偵として活動する榎木津礼二郎(阿部寛)は、新世界撮影所所長である叔父・今出川(笹野高史)に頼まれ、撮影所の看板女優であった美波絹子こと柚木陽子(黒木瞳)の娘・加菜子(寺島咲)の捜索をすることになった。陽子は娘の父が柴田財閥の後継者であったことから、その遺産相続絡みの陰謀に巻き込まれて連れ去られた可能性を示唆する。加菜子のお目付役であった弁護士・増岡(大沢樹生)と接触した榎木津はその特異能力で加菜子が増岡の実家にいることを見抜き、夜半に強襲するが、加菜子は懇意の友人・楠本頼子(谷村美月)ともに家を抜け出していた……
少しだけ時間を戻す。小説家の関口巽(椎名桔平)は、生計を得るために記事を寄稿しているカストリ雑誌『實録犯罪』の編集者・鳥口(マギー)から、いま世間を騒がせている美少女バラバラ殺人事件の記事執筆を依頼する。言を左右にして躱した関口だったが、そんな『實録犯罪』の編集部内で新たな死者の腕が発見されたことから、状況はおかしなことになる。『實録犯罪』よりも格上の雑誌『綺譚月報』の編集者・中禅寺敦子(田中麗奈)も容喙したところへ、鳥口は新興宗教“深秘御筥教”に絡んで失踪した人間のリストに、警察が被害者と目する少女がふたり加わっていることを提示、事件がこの宗教に絡んでいることを示唆し、調査協力を請う。活動的な敦子に引っ張られる格好で、関口は御筥教本拠に乗り込む羽目となった……
ふたたび時間は戻って、とある映画館。謹慎中の無聊を、さきごろ引退を表明した人気女優・美波絹子の映画を観ることで慰めていた木場修太郎刑事(宮迫博之)を、後輩刑事の青木文蔵(堀部圭亮)が訪ねた。木場に代わって担当している美少女バラバラ殺人事件についての意見を求めてのことだったが、木場の態度はごく冷たい。だがその夜、青木の乗っていた列車が人の転落事故により急停車する。ホームにいたのは、楠本頼子――転落したのは柚木加菜子だったのだ。その報を聞き病院に駆けつけた陽子は、普通の治療では間に合わないと、かつて世話になった免疫学者・美馬坂幸四郎(柄本明)に託すことを告げる。同行してきた榎木津は、「またあの箱みたいな館に入るんですか?」と訊ねるが、陽子は応えなかった。
奇妙にもつれていく事態に窮した関口と鳥口、そして榎木津は、古書店主にして陰陽道の系譜を継ぐ神社の主、碩学の“憑き物落とし”である友人・中禅寺秋彦(堤真一)のもとを訪れる。そして事件は、ひとつの形を顕していく……
[感想]
不可能と思われていた『姑獲鳥の夏』の映画から2年を経て、更に困難と言われていた続編が映像化された。自らの個性的な世界観に基づいて前作を撮った実相寺昭雄監督は物故し、そのあとを引き継いだのは映画通として知られる原田眞人監督。作風が根本的と言ってもいいくらい異なる人物であるため、主要キャストを概ね踏襲している以外は別物になるであろうことは想像がついていたが、その意味では予想通りであった。
ただ、全般にユーモアを重視したような描き口になっていたのはちょっと意外の感がある。人物の周辺を掘り下げていき、従来の事件関係者が再登場して活躍したり或いは悲劇に遭遇したり、という方向性に原作が流れているのは事実ながら、まだ本編あたりまでは事件の規模や異様さの方が先行していた。そこを、この映画版では中禅寺・榎木津・関口という三人の主要人物を軸に、その関係性を浮き彫りにしていくことで人物像を明確にしていき、同時にユーモアを引き立てることで牽引力として用いている。原作よりも陽性で洒脱な言動の目立つ映画版の中禅寺も、この描き方のお陰で違和感はなく、寧ろ第一作よりも板についた印象を齎す。
原作はご存知の通り凶器になるかと言うほど大部であるため、どのみち整理整頓が必要であったが、本編は非常に巧く咀嚼し、無数に存在していた謎と解決とを極力絞り込んで、かなり解り易くしている。原作を知っていると、ここが軽く流されている、ここの説明が足りない、と感じる部分は多々あるだろうが、もともと映画の尺はすべてを解決するのには向いていない。ある程度謎を残し、鑑賞後に語り合うぐらいでちょうどいい、ということを考えれば、実にうまく映画向けに練り直した仕上がりと言える。
多数の視点が錯綜し、何処へ向かっているのか解らない序盤こそ、原作を知らない観客は戸惑うかも知れないが、その間も登場人物同士のシリアスなときにも細かなユーモアを交えたやり取りと、別々に進行していた物語が思わぬところで交差する趣向、または映画マニアの監督らしい「このゲーブルみたいな男性は?」とか「チャップリンも起源は陰陽」といった細かな擽りが観る側を惹きつけずにおかない。
メインである京極堂をなかなか登場させず、ようやく本格的に顔を現したかと思えば急速に並行した出来事を結びつけていき、中盤以降は恐ろしいまでの猛スピードで物語は進行する。前作ではほぼ原作通りに京極堂に長い口上を述べさせ、言葉による憑き物落としを再現していたのに対し、本編は決して多弁ではない。尺の問題もあるだろうが、全般に言葉で説明するよりもヴィジュアルを優先している傾向にある。京極堂が御筥教の本拠に乗り込んで方便に用いたのは陰陽師の身振りであるし、原作でも驚異的な存在感を誇ったモチーフを徹底的に実体化させたクライマックスは、一種の冒険もの、或いは怪物映画のような趣さえ漂わせており、そのインパクトは凄まじい。原作にある、関係者たちに取り憑いた“妖怪”を祓う、という趣向は弱まっているものの、その分映画としての完成度、カタルシスは極めて強まっている。その主題と精神性をきちんと押さえ、映画という表現手法に馴染むよう、よく咀嚼して描き出しているのは確かであり、原作に思い入れが強い人には複雑な印象を与える箇所も多いだろうが、あの小説を劇場映画という枠で再現する、という意味合いにおいては完璧な作品と言えよう。
ただ――ただ、そう高く評価しつつも、個人的にどうしても納得できない点がひとつある。それはエピローグ部分、原作においてもいちばん印象深い場面を、その通りに再現するのではなく、やや日和った、とも取れる方法で描いているのである。確かにヴィジュアル的には美しいし、あれでも映画で初めて作品世界に触れた人には充分な衝撃となりうると思うが、だが原作であの場面に打たれた者としては極力忠実に再現して欲しかったという気がするし、また肝心のあの台詞も、状況からすると言い方がおかしいのである。なまじそれまでが、如何に脚色を施そうとも雰囲気や主題を損ねていなかっただけに、ここで強い違和感を齎してしまっているのが惜しまれる。
とはいえ、トータルでは充分によく出来た映像化であり、単独の映画としても極めて質の高い1本であることは疑いない。原作に愛着があればこそ色々と不満や複雑な思いを抱きもしようが、それさえ承知のうえでいちど観てみる価値のある作品だと申し上げておこう。――もしも可能なら、という但し書きを添えた上で、このメンバーがふたたび結集する姿を拝めるようにするためには、それなりの成績が必要なので。
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