原題:“Belle Toujours” / 監督・脚本:マノエル・ド・オリヴェイラ / 製作:ミゲル・カディリェ / 共同製作:セルジュ・ラルー / 撮影監督:サビーヌ・ランスラン、フランシスコ・オリヴェイラ / 録音:アンリ・マイコフ、リカルド・レアル / 美術:クリスティアン・マルティ / 装飾:フェルナンド・アレアル / 衣装:ミレーナ・カノネロ / 編集:ヴァレリー・ロワズルー、カトリーヌ・クラソフスキー / 使用音楽:アントニーン・ドヴォルザーク交響曲第八番第二楽章、第三楽章 / 指揮・出演:ローレンス・フォスター / 演奏・出演:カルースト・グルベンキアン基金管弦楽団 / 出演:ミシェル・ピコリ、ビュル・オジエ、リカルド・トレパ、レオノール・バルダック、ジュリア・ブイセル、ブノワ・グルレ、イヴ・ブルトン / 配給:alcine terran
2006年フランス・ポルトガル合作 / 上映時間:1時間10分 / 日本語字幕:齋藤敦子
2007年12月15日日本公開
公式サイト : http://www.alcine-terran.com/main/yorugao.html
銀座テアトルシネマにて初見(2008/01/01)
[粗筋]
コンサートホールでオーケストラの演奏に聴き惚れていたアンリ・ユッソン(ミシェル・ピコリ)は、何気なく目を向けた客席に、古い知己セヴリーヌ・セルジー(ビュル・オジエ)を見出した。セヴリーヌの夫ピエールとアンリは親友同士だったが、38年前、衝撃的な出来事を境に疎遠になり、いつかパリを離れていったのである。
終演後、アンリは声をかけるべく、人混みを掻き分け彼女に近づこうとしたが、彼を認めたセヴリーヌは早足でホールを出て行ってしまい、アンリは彼女を見失ってしまう。だが、あてもなく夜の街を彷徨っていたとき、偶然に彼女が一軒のバーから出てくるところを目撃すると、その店に足を踏み入れる。
アンリはバーテンダー(リカルド・トレパ)に彼女の素性を訊ねるが、初めて訪れた客であるため解らない、という。ただ残された伝言から、彼女がルーヴル美術館に面するホテル・レジーナに滞在しているらしいことを教えてくれた。
翌る日、アンリはホテル・レジーナにセヴリーヌを訪ねる。滞在している部屋は判明したものの、だが入れ違いでセヴリーヌは出かけてしまっていた。アンリは避けられていることを改めて実感する――
アンリは、セヴリーヌが夫にも隠していた秘密を、この世でただひとり知る男。その後通うようになったくだんのバーで、アンリはその衝撃的な過去を訥々と語るのだった……
[感想]
1967年に製作され、センセーショナルな内容で当時話題を博した『昼顔』の後日談という位置づけの作品である。
オリヴェイラ作品に繰り返し出演していることもあって、オリジナルでアンリを演じていたミシェル・ピコリを起用しているが、ヒロインであったセヴリーヌはカトリーヌ・ドヌーヴからビュル・オジエに変わっている。だが、当時と比べても容色にあまり衰えのないドヌーヴでは主題と乖離してしまう怖れもあったため、この交替は当然と思われる。
オリジナルは衝撃的な主題のせいもあって、一種心理サスペンスのような趣があったが、本編はその素材を丁寧に踏まえながらも、紛う方なきオリヴェイラ映画に仕立て上げている。偏執的なまでに固定されたカメラワーク、工夫で省力出来るはずの“間”をそのまま再現してしまう長回し、それでいて会話に入ると途端に饒舌となり深甚に達する練り上げられた台詞の妙。映画をシンプルな娯楽として味わいたい向きにはこの上なく不親切な、解釈をいっさい観客に委ねたかのような作りが、いっそ快い。
オリジナルのルイス・ブニュエル監督にオマージュを捧げるのなら自分の映画でなければならない、と監督が主張する通りに、本編はオリヴェイラらしい映画となっているため、彼の作品を愛好する向きであれば『昼顔』を知らなくても楽しめるだろう。だが、予め『昼顔』を観ておいたほうが更に味わい甲斐のある作品であることは間違いない。こと、軽妙だが随所に不可解なものが覗くアンリの行動について深く解釈するためには、やはり『昼顔』を知っていることが重要だ。
本編におけるアンリの言動は、『昼顔』のなかでカメラが映していなかった彼の行動はもとより、作品が終わったのちに繰り返したであろう試行錯誤、また様々な過ちをきちんと踏まえているのである。仄めかされるアル中などのキーワードもさることながら、最も象徴的なのは“箱”である。当然のように持ちだしてきたものだが、しかし『昼顔』のなかでそれが登場した場面に、実はアンリは居合わせていない――つまり、彼はセヴリーヌとその夫と袂を分かってから、彼女の行動を探っていた可能性がある。そう考えていくと、セヴリーヌとの食事の前、バーテンダーとの会話までが深みを増して迫ってくるのだ。
本編にて言及した『昼顔』の謎についても秘密についてもなおざりにしてしまう結末だが、しかしだからこそ『昼顔』の物語を経て現在に生き残ったふたりの業の深さが沁みてくる。『昼顔』という前提あってこそながら、70分という長篇映画としては短めの尺に詰め込まれた描写の何と饒舌で味わい深いことか。正直、誰も彼もに薦められるとは思わないし、この面白さを解って欲しいとは思わないのだけれど、しかし映画好きとしてはこれこそ映画の本質にある愉しさを体現した作品だと訴えたい。
オリヴェイラ監督は本編を発表した時点で98歳、今年の末にはとうとう3桁に達する。だからこそ出来る奥深さと、同時に瑞々しさを湛えた、素晴らしい映画であると思う――ああ、やっぱり私はこの人の作品が大好きだ。
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