写真提供:シネトレ (C) 2007 IM Filmproduktions GmbH All Rights Reserved |
原題:“The Hunting Party” / 監督・脚本:リチャード・シェパード / 原案:スコット・アンダーソン“What I did on my summer vacation” / 製作:マーク・ジョンソン、スコット・クルーフ / 製作総指揮:ビル・ブロック、エリオット・ファーワーダ、ボー・ハイド、アダム・メリムス、マーティン・シュアーマン / 撮影監督:デヴィッド・タッターサル,B.S.C. / 美術:ジャン・ロルフス / 編集:キャロル・クラヴェッツ / 衣装:ベアトリス・アルーナ・パストール / 音楽:ロルフ・ケント / 出演:リチャード・ギア、テレンス・ハワード、ジェシー・アイゼンバーグ、ダイアン・クルーガー、リュボミール・ケレケス、ジェームズ・ブローリン、マーク・イヴァニール、ディラン・ベイカー、ゴラン・コスティッチ、ジョイ・ブライアント / 配給:avex entertainment
2007年アメリカ、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ合作 / 上映時間:1時間43分 / 日本語字幕:戸田奈津子
2008年05月10日(土)より、シャンテ シネ、新宿武蔵野館ほか全国ロードショー
公式サイト : http://www.huntingparty.jp/
公式ブログ : http://huntingparty.at.webry.info/
よみうりホールにて初見(2008/04/18) ※特別試写会
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レポーターのサイモン・ハント(リチャード・ギア)とカメラマンの通称ダック(テレンス・ハワード)は、名コンビだった――あの日までは。銃弾と怒号の飛び交う戦場を駆け回り、幾度も命の危険に晒されながら、衝撃的な映像を撮り世界へと伝えてきたふたりの“栄光”が終わりを告げたのは、1994年、ボスニアでの生中継のことである。様々な出来事を経て、この日、サイモンは突如キレた。スタジオにいるフランクリン(ジェームズ・ブローリン)の問いかけに乱暴に応え、とどめには放送禁止用語を繰り出して、即日解雇されたのである。
サイモンはスポンサーのいないフリーのジャーナリストとなり、単身で危険地帯を転々とした挙句、消息を絶った。対するダックは、そんな彼の横暴に長年耐え、コントロールしてきた“功績”を讃えられ、急速に昇進を遂げる。戦場から、撃たれる恐れの微塵もないスタジオのカメラマンとして、順風満帆だが刺激のない毎日に、ダックの心は着実に腐っていった。
そんなダックが、久々にボスニア・ヘルツェゴヴィナを訪れることになった。コネ入社のお坊ちゃまで学歴と知識の先行する新人プロデューサー、ベンジャミン(ジェシー・アイゼンバーグ)に酒飲みがてら過去の経験を垂れ、ホテルにダックが戻ってみると、そこにはサイモンの姿があった。
一線に返り咲くことの出来るネタを入手した、と誘う彼を、その場では拒絶したダックだったが、翌日、改めてサイモンと話をすると、にわかにジャーナリストとしての魂が疼くのを抑えられなかった。
サイモンのネタとは、先の戦争の指導者的位置にあり、戦争犯罪者として国連に懸賞金を懸けられながらも未だ発見されないボガノヴィッチ博士(リュボミール・ケレケス)の居所を突き止めた、というのである。是非ともあの男にインタビューを試みたい――
逡巡したダックだったが、折しも3週間の休暇を取った矢先であったこともあり、数日で片づくだろうと判断して、同行を決意する。だが、ふたりの様子から特ダネの気配を察知したベンジャミンが、自分を同行させるようねじ込んできた。コネ入社だからと自分を軽んじている周囲を見返したい、という、未熟だがしかし妙な度胸のある彼の態度に、ダックは渋々ながら連れて行くことにした。
かくして、3人の“狩猟隊”は、戦争犯罪者を求めて、未だ内紛の火種が燻る奥地へと踏み込んでいく――
[感想]
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戦争を真っ向から扱った映画となると、基本的には重々しく、憂鬱な内容になりがちである。数少ない例外が『戦争のはじめかた*1』や『ジャーヘッド』だが、これらは戦わない、或いは戦う機会を与えられない米軍、というテーマで共通しており、流血沙汰の絶えない紛争地帯の現実というよりは、建前のために駆り出される兵士達の生態をユーモア混じりに描くことで皮肉な味わいを演出しているものだ。
本篇はこの2作よりも更に猥雑で滑稽に仕上がっているが、その理由が、言ってみれば望まれもしないのに銃弾の雨に晒され、その凄惨な模様を報じることに命を賭ける、大義のある愚か者たちであるのに特色がある。兵士達が戦場に臨む覚悟にはいささか悲壮感があるが、基本的に無事で戻らないことには賞賛を浴びることもないジャーナリストたちは、無論真面目に臨んでいる者も多いだろうが、その言動を部分的に切り取ると本篇のようにユーモラスになることも想像に難くない。言ってみれば、本篇は別の角度から戦争のリアリティを追求した作品と捉えられる。
紛争が終結したとは言いながら、争った民族は別々に暮らし、依然として剣呑な空気を孕んだ中へ進入していく主人公3人組の言動は、その危険性を承知しているからこそ滑稽だ。猥雑なジョークを飛ばし合うサイモンとダックの存在感は言わずもがなだが、そんな彼らに振り回されていくうちに、自分なりに成長を遂げていくベンジャミンが特に面白い。
戦争を真っ向から描く、と言いながら本篇のそれはやはり前述の2作品と同様にややひねていて、銃撃シーンは過去や本筋と離れたところでしか展開されず、3人の主人公が接するのは戦争の余波であり、未だに燻る哀しみや憎悪だ。しかし、だからこそ戦争の悲劇も滑稽さも生々しく感じられる。変に文学性を装ったり感動を演出しているものよりも、ずっと核心を貫いている手応えがあるのだ。まさにこれこそ、戦争を報じるジャーナリストたちの感じている興奮なのだろうと思わせる。よくよく観ると、主人公達の意図せざるところでばかり話が動いているのだが、そういうところまで妙に真実味がある。
本篇は冒頭に「“まさか”と思う部分が実話である」という前置きが為されるが、物語が終わったあとでその謎解きが行われている。上のスタッフ一覧に記してある、スコット・アンダーソンという人物の記事が本篇の原型となっているが、実在の人物をモデルにしたキャラクターや、元となった出来事があるシーンについて明示しているのである。その扱い方も本篇と同様にユーモアに富んでいるのだが、しかしここで感心させられるのは、潤色の部分が、エンタテインメントとしてのお約束を押さえながら、決して現実の本質にある滑稽さを損ねていない点だろう。具体的に何処がどう、と説明することは控えるので、是非とも劇場などでご確認いただきたい。積み重ねたものをひっくり返して笑いを取る手法は、それ自体が絶妙だ。
しかし本篇のフィクションとしての面目躍如たるひと幕は、やはりクライマックスだ。この辺りはまるっきり実際の出来事とは異なるそうだが、しかし作中で提示された、信じがたい戦場の現実を踏まえた上で、現実通りであれば漂うやるせなさを払拭し、そのカラーに合った爽快感を余韻として残すことに成功している。よくよく考えるとジャーナリストとしては逸脱している感があるのだが、しかしそれさえもきちんと主人公達の行動に伏線として鏤められているので文句はつけられない――というより、これを観て文句をつける野暮な人には、本篇はそもそも向かないに違いない。
たとえ戦場に臨むジャーナリスト達の本音がどうであれ、実際に戦争の悲劇に直面する人々にとって笑い事ではないだろうし、やはり不届きという感は否定できない。だが、だからこそ、それさえ含めてきっちりと剔出し、現実の皮肉と矛盾とを明確に描き出していると言える。
あまりにリズミカルすぎて、突出した部分に欠くために、傑作と呼ぶには物足りなさを覚える仕上がりになった嫌味はあるが、戦争の本質を捉えながら、後味の爽快なエンタテインメントとしてまとめ上げた秀作である。
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