『テネイシャスD 運命のピックをさがせ!』

原題:“Tenacious D in the Pick of Destiny” / 監督:リアム・リンチ / 脚本:ジャック・ブラック、カイル・ガス、リアム・リンチ / 製作:ジャック・ブラック、カイル・ガス、スチュアート・コーンフェルド / 製作総指揮:ベン・スティラージョージア・カカンデス / 撮影監督:ロバート・ブリンクマン / 美術:マーティン・ホイスト / 編集:デヴィッド・レニー / 衣装:デイナ・ピンク / 音楽:ジョン・キング、アンドリュー・クロス、テネイシャスD / 出演:ジャック・ブラック、カイル・ガス、J・R・リード、フレッド・アーミセン、ネッド・ベラミー、ロニー・ジェイムス・ディオミート・ローフ、エイミー・ポーラ、ポール・F・トンプキンス、ベン・スティラーティム・ロビンス / レッド・アワー製作 / 配給:presidio

2006年アメリカ作品 / 上映時間:1時間33分 / 日本語字幕:石田泰子 / 字幕監修:伊藤政則

2008年07月26日日本公開

公式サイト : http://www.tenaciousd.jp/

シネクイントにて初見(2008/08/21)



[粗筋]

 JB(ジャック・ブラック)は幼くしてロックに魅せられ、ロックスターを志しているが、悲しいかな彼の育った家は敬虔なクリスチャン。卑猥な単語の連なるクールな曲を披露したところ、父親(ミート・ローフ)に折檻され、尊敬するディオ(ロニー・ジェイムス・ディオ)のポスターの啓示を受けて、はるばるハリウッドへと旅に出る。

 そこでさっそく出逢ったのが、アコースティック・ギターで見事な指捌きを披露するミュージシャン・KG(カイル・ガス)。彼の演奏にJBが即興で絡んでみると、ふたりの息はぴったりだった。是非とも自分にロックの真髄を教えて欲しい、と請うJBをいちどは拒絶するKGだったが、最終的に自らの家に招き入れ、指導することに。

 華々しい経歴を語るKGのハチャメチャな指導に応え、掃除炊事の命令にも文句を言わず従っていたJBだったが、しかし実はKGがギターテクだけでまともにプロモーションもしておらず、豪華な自宅の家賃が母親からの仕送りに依存していたことを知って、一瞬で愛想を尽かす。

 しかし、JBの音楽的資質を認めていたKGが、最後のテストに通ったときのために新しいギターをプレゼントするつもりでいたことを知って、状況は一転した。折しも母親から仕送りを止めるという連絡を受け、もはや家賃を払う術がない、と荷造りをはじめたKGを遮って、音楽で稼げばいい、と提案する。こうして、テネイシャスDは誕生した。

 早速、飛び入り歓迎のクラブに入り、演奏するふたりだったが、客の反応はいまいち良くない。クラブのオーナー(ポール・F・トンプキンス)から、「技術だけでは客には受けない。名曲を作ってこい」と言われ、なるほどと早速新曲作りに取りかかるものの、あっという間に行き詰まってしまう。彼らと自分たちとの違いは何だ、とロック雑誌を並べて悩むJBの傍らから拍子を覗きこんだKGは、ふと気づいて呟く。「ピックだ」

 大物ミュージシャンが使っていたのと同じピックを手に入れれば、何とかなるかも知れない。淡い期待を抱いて、ふたりは楽器店に赴いてその所在を訊ねた。が、途端に表情を変えた店員(ベン・スティラー)は、ふたりを店の奥に招いて、その正体を語る。

 多くのミュージシャンを大物に仕立て上げたピックは、通称「運命のピック」――中世のころ、悪魔の折れた歯から作られたこのピックを手にすれば、必ず大物になれる。だがいま、無数のミュージシャンの手を経たピックは、ロックの歴史博物館に収蔵されているという。

 早速ふたりは、どうにか車を調達してピック奪取の旅に赴く。彼らは無事ピックを手に入れることが出来るのか、そうしてビッグになることが出来るのか……?

[感想]

『ハイ・フィデリティ』の怪演で注目され、日本でも『スクール・オブ・ロック』や『キング・コング』によって知名度を高めたジャック・ブラックだが、彼がアメリカで最初に認知されたのは、本篇でネタ――もとい、題材にされているカイル・ガスとのコンビ“テネイシャスD”での活動がきっかけであったという。ティム・ロビンスの主催する演劇集団で出逢ったふたりは特異なパフォーマンスと意外なくらいに真っ当な音楽センスを武器に人気を博し、テレビでコント番組に出演していた。やがてジャック・ブラックが俳優としても評価を高め、カイル・ガスも着実に活動を続けるなか、更に面白いものを、と従来からテネイシャスDのPVを監督するなどサポートを続けていたリアム・リンチと協力して作りあげたのが本篇だった、という運びらしい。

 そういう経緯のせいか、既にキャラクターや世界観が固まっており、それを作中で膨らますのではなくうまく応用している印象が色濃い。ギャグの濃さや品のなさ、破天荒な内容以外でもし違和感を覚えるというのなら、原因はそのあたりだろう。

 しかしその辺は恐らく製作者たちも承知していたのだろう、本篇は冒頭、“ツカミ”から猛烈な技を繰り出してくる。中心人物となるJBの幼少時代を描くところから始まるのだが、いきなりジャック・ブラックの歌で状況説明をし、途中から主人公JBを折檻する父親が引き取って歌い始める。迫力のあるロック・サウンドに乗せて「ロックは悪魔の音楽だ!」と罵るのだから実に気が利いている。そして幼いJB(ただし声は現在の彼)の嘆きを引き取って歌い始めるのは、ポスターから飛び出したロック・スター。しかもブラック・サバスなどに参加したロニー・ジェイムス・ディオ本人である。仮に最後に出て来たのが本物だと解らなくても、この一連の流れで、テネイシャスDの昔を知らなくともあっさり呑みこまれる。魅せる方法を熟知したスタッフならではのうまい構成だ。

 しかもこの冒頭のくだりだけで、本篇が常識で観てはいけない代物であることをさっさと明示している。実際、まだ十代前半と思しかったJBは父に説教を受け、続いてディオの啓示を受けるとただちに家出をして、間違った道を辿った挙句ハリウッドに到着するのだが、このとき早くも大人のJBに変貌している。あいだ、いったいどんな風に時間を端折ったのかがまるで解らない。その後も非現実的な展開が続くが、頭がこれでは、最初に受けてしまった者としてはもはや否定のしようもないのだ。

 以降もひたすら人を食った、そして脱線しっぱなしの話が続き、真っ当なクリエイターでは辿り着けないような終わり方をする。え、むしろありきたりでは、と首を傾げた鑑賞済の方は、少し考えていただきたい。あの結末、そもそものきっかけと一致しているか?

 そういう、やたらと破天荒なストーリー展開のうえ、ギャグも全般に卑猥なものが多いので、基本的に人を選ぶ作品であることは間違いない。だが、だからこそ嵌ったが最後、なかなか記憶から消えてくれない、印象深い作品であることも確かだろう。

 何より、物語以上に主役であるべき音楽の完成度が非常に高いのが出色なのである。プロローグ部分のロック・ミュージカルから荘厳なロック・オペラによるオープニングに推移する流れも見事だが、注目すべきは劇中、JBとKGふたりで演奏する場面の素晴らしさである。基本的にアコースティック・ギター2本にハーモニーだけなのだが、カイル・ガスのギターテクは劇中でJBが魅せられるのも宜なるかな、と頷いてしまうレベルであり、ジャック・ブラックの歌声の表現力はそれ自体で芸として成立している。英語ならではの表現が人気の一因であるために日本では彼らの音楽活動はあまり知られていないが、このあたりの腕を見るとその人気にも納得がいく。歌詞や表現するものは品性を欠いていても、それを形にするためのセンスと技術は傑出しているのである。

 そしてそのスタイルと精神とが、本篇には見事に反映されている。恐らくはメジャー・レーベルで供給する映画である、という制約のために抑えているところがあり、そこがまた若干の物足りなさに繋がっている印象も否めないが、力強さとロックンロールへの愛が横溢しており、いったんそれを感じてしまったら燃えずにはいられない。

 とはいえあまりに支離滅裂なストーリー展開や、やはり品のなさは隠せていない表現の数々などのために、万人にお薦めしづらい代物であることも確かだろう。とりあえず、ジャック・ブラック主演の映画、特に『スクール・オブ・ロック』や『ナチョ・リブレ 覆面の神様』あたりが大好きと言い切れるような人なら嵌れることは確実、半信半疑という方はまず公式サイトなどで予告編を鑑賞して適性を確かめた上で劇場に足を運ぶことをお薦めする――こういう映画は自宅でひとりで楽しむより、同士の存在を感じつつ一体となって楽しむべきだ。言ってみれば、ライヴの疑似体験なのだから。

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