『ワールド・オブ・ライズ』

『ワールド・オブ・ライズ』

原題:“Body of Lies” / 原作:デイヴィッド・イグネイシアス(小学館文庫・刊) / 監督:リドリー・スコット / 脚本:ウィリアム・モナハン / 製作:リドリー・スコット、ドナルド・デ・ライン / 製作総指揮:マイケル・コスティガン、チャールズ・J・D・シュリッセル / 撮影監督:アレクサンダー・ウィット / 美術:アーサー・マックス / 編集:ピエトロ・スカリア,A.C.E. / 衣装:ジャンティ・イエーツ / 音楽:マルク・ストライテンフェルト / 出演:レオナルド・ディカプリオラッセル・クロウマーク・ストロング、ゴルシフテ・ファラハニ、オスカー・アイザックサイモン・マクバーニー、アロン・アブトゥブール、アリ・スリマン / スコット・フリー/デ・ライン・ピクチャーズ製作 / 配給:Warner Bros.

2008年アメリカ作品 / 上映時間:2時間8分 / 日本語字幕:松浦美奈 / PG-12

2008年12月20日日本公開

公式サイト : http://www.world-lies.jp/

東京国際フォーラムAにて初見(2008/12/03) ※JAPAN SPECIAL SCREENING



[粗筋]

 イングランドマンチェスター。潜伏する中東系のテロ組織を追っていた捜査陣が、待ち受けていた自爆テロによって大きな被害を受けた。それから間もなく、中東に潜伏しているCIA捜査員のロジャー・フェリス(レオナルド・ディカプリオ)は、アルカイダ系の組織からの脱出を希望する情報提供者から、爆破の首謀者がアル・サリーム(アロン・アブトゥブール)であることを知る。しかもサリームは、マンチェスター以外の繁華街爆破にも関与しており、今後も各地でテロを行うことを宣言している。

 フェリスは情報提供者を保護するべきだと直感するが、アメリカ本土から彼らの様子を監視していた上官のエド・ホフマン(ラッセル・クロウ)は却下する。もし情報提供者が殺されるなら、殺す人物を確認しておきたい――そして案の定、情報提供者は白昼堂々、街中で襲撃された。連れ去られる彼に、遠くからとどめを刺したのは、フェリス自身であった。

 アル・サリームはその氏名こそ把握しているものの、用心深く犯行声明も出さないこの男を、CIAは炙り出しきれずにいた。情報提供者が殺害された切迫した状況下、フェリスは仲間と共にサリームの隠れ家のひとつと目される場所を探ったが、激しい交戦状態となり、結果として仲間を死なせてしまう。

 遺族に補償の説明をしなくては、と訴えるフェリスを、しかしホフマンはすぐにヨルダンへと向かわせた。別の隠れ家を探る必要からだったが、フェリスは現地の人間に怪しまれない捜査官の人材が乏しすぎるとし、ヨルダン情報局に協力を求めるべきだと主張する。しかしホフマンはそれさえも拒絶した。ヨルダン情報局と情報を共有することは出来ない――だがフェリスはホフマンの意向を無視し、ヨルダン情報局長官のハニ・サラーム(マーク・ストロング)に情報を提供した。アラブ社会に馴染みつつあるフェリスは、信頼が重要であることを肌で実感していたからである。

 こうしてホフマンとは別の意志をもって作戦に臨んだフェリスだったが、この騙し合いは次第に、事態に異様な歪みをもたらしていく……

[感想]

 近年すっかり巨匠としての存在感を確立したリドリー・スコット監督2008年の最新作は、中東のイスラム系テロ組織との戦いを、スタイリッシュな映像とスピード感のある演出、そして丹念なリサーチを匂わせる話運びで描いたものである。近年、高い安定感を示しているリドリー監督だけあって、本篇も水準はクリアしている。

 ただ、率直に言って、観終わった直後の印象はあまり芳しくなかった。途中はかなり楽しめたにも拘わらず、何か釈然としない感覚が残るのは、恐らく本篇における“嘘”が駆け引きというよりも、意思疎通の乏しさ、現場と指揮者側との乖離としてしか映らないせいだろう。

 立場や言動からも、主人公であるフェリスや上官にあたるホフマンが有能であることは察しがつく。ただ、作中で描かれる彼らの行動は、あまりにも噛み合っていないのだ。冒頭、最初に登場する重要な情報提供者を巡る経緯はまだ導入で片づくが、それ以降のフェリスとホフマンの立ち回りはあまりにギクシャクしすぎている。フェリスはホフマンに対して詳細を隠して行動し、一方のホフマンはそれを勘案することなく、現地で最前線に立つフェリスを無視して別の策を並行する。これでは作戦行動が支障を来すのは当たり前で、嘘や駆け引きが意味を為す、というレベルではない。

 物語も終盤に差しかかって、ようやくCIAは意図的に、ある大きな“嘘”を用いて敵を釣り上げようとするが、ここでも足を引っ張っているのは騙し合いや駆け引きではなく、単純な意識の乖離だ。邦題が『ワールド・オブ・ライズ』、原題でも“Body of Lies”と嘘を正面に押し出しているにしては、嘘の質があまり高くなく、それほど大きな役も果たしていない、というのが正直な印象だ。

 この“嘘”という要素が最も力強く押し出されるのは、クライマックスである。途中で鏤めた要素がここに来て炸裂し、冷静に考えれば充分に予測可能な、だが緊迫した場面ではなかなか想像できないだろう、と納得の出来る逆転がもたらされる。ここについては、まさに“嘘”が主役となっており、題名に偽りなし、といった趣だ。

 しかし、その結果として改めて、主人公フェリスと上官ホフマンとの感覚の違いが際立ってしまう。嘘や駆け引きよりも、その連携の悪さと、結果としてもたらされる後味の悪さこそが主題だったのでは、と感じられてしまうのである。

 実際のところ、そういう側面もあるのだろう。作中でも、ヨルダン情報局の長官ハニ・サラームが「民主主義の世界では、自分たちのような捜査は出来ない」と嘯く場面があるが、まさに本篇で色濃く見えてくるのは、民主主義という制度にどっぷりと浸かった捜査官たちのあいだに生じる摩擦が、難しい作戦を遂行するにあたってどれほど障害となるか、という点である。そしてそれを更に深く掘り下げていくと、国際社会におけるアメリカという国家の傲慢さにも辿り着く。エピローグにおけるフェリスとホフマンの会話こそ、その象徴の最たるものだ。

 相変わらず映像の美しさと演出のセンスの良さは傑出しているし、ここまでに記した事実からも察しがつくように、リサーチは繊細であり、テーマも明確だ。だからこそ観ていて面白いし、虚心に観ていればそのどこか空虚な余韻も味わい深いものとして好意的に受け止められる。だが、題名でも“嘘”を掲げ、広告でもまるで主人公と上官との騙し合いが主題であるかのような謳い方をしているために、却って全体の印象を悪くしてしまっているように思われるのだ。

 リドリー・スコット監督らしく見応えのある作品に仕上がっていることは確かだし、銃撃戦などでの迫力に満ちた音響を堪能するためにも、劇場で観る価値のある作品だとは思う。ただ、観るうえで予め、広告の謳い文句などに対しても疑惑の目を向けられるくらいでないと、正しく味わい尽くせないかも知れない。

 ――ということはもしかして、本篇は誰よりも、観客に対して駆け引きを仕掛けようとしていたのだろうか? 恐らくは穿ちすぎた見方だろう、とは思うが。

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