『20世紀少年<第2章>最後の希望』

『20世紀少年<第2章>最後の希望』

原作・脚本監修:浦沢直樹(小学館・刊) / 監督:堤幸彦 / 脚本:長崎尚志渡辺雄介 / 企画:長崎尚志 / 製作指揮:島田洋一 / エグゼクティヴ・プロデューサー:奥田誠治 / 撮影監督:唐沢悟 / 美術:相馬直樹 / 編集:伊藤伸行 / 衣装:川崎健二 / 音楽:白井良明長谷部徹、AudioHighs、浦沢直樹 / 主題歌:T-Rex『20th Century Boy』(Imperial Records) / 出演:豊川悦司常盤貴子平愛梨香川照之藤木直人石塚英彦宇梶剛士小日向文世佐々木蔵之介山寺宏一森山未來古田新太小池栄子木南晴夏ARATA前田健荒木宏文六平直政佐藤二朗片瀬那奈光石研、西村雅彦、石丸謙二郎佐々木すみ江梅津栄ユースケ・サンタマリア竜雷太研ナオコ小松政夫石橋蓮司、中村嘉津雄、黒木瞳唐沢寿明 / 制作プロダクション:シネバザール、オフィスクレッシェンド / 配給:東宝

2009年日本作品 / 上映時間:2時間20分

2009年1月31日日本公開

公式サイト : http://www.20thboys.com/

TOHOシネマズ日劇にて初見(2009/02/17)



[粗筋]

“血の大晦日”から15年後。

 都心を破壊した爆破事件は遠藤ケンヂ(唐沢寿明)らの起こしたテロと説明され、彼と仲間たちは世間から大悪人として認識されていた。“ともだち”は未曾有のテロから日本を救ったとして尊敬の念を集め、今では彼が率いる友民党が政治の中心に立ち、実質的に日本を支配している。

 ケンヂの姉・キリコ(黒木瞳)の娘であり、ケンヂが面倒を見ていた娘・カンナ(平愛梨)は現在、高校生になっていた。闇の世界で生きてきたオッチョ(豊川悦司)や、元税関勤務のユキジ(常盤貴子)の影響も受けながら、カンナにとって未だにケンヂの存在は大きく、“ともだち”中心となった世間の価値判断に反発する彼女は、すっかり問題児扱いされていた。

 その度胸ゆえに、いまやスラム街と化した新宿界隈で信頼を集めているカンナは、ある日オカマのマライア(前田健)から救いを求められる。反抗的な言動や、友民党によって反社会的と見做される人々を収容、矯正を施す『ともだちランド』で、成績優秀者と問題児とが最後に送りこまれる“ボーナス・ステージ”を経験したオカマのブリトニー(荒木宏文)が、重要な情報を携えて脱出してきたのである。

 追われていた“彼女”は、ある中国系のマフィアが殺害される現場も目撃していた。カンナたちはその目撃談を伝えるべく警察に赴くが、ブリトニーが目撃した殺人犯は、警察の人間だった。逃げ場を失ったブリトニーを、カンナたちはそのまま匿い続けることを決める。

 かつて“ともだち”の秘密に肉薄した刑事・チョウさんの孫であり、柔弱な性格のために職場で軽視されている新米刑事・蝶野(藤木直人)の協力も得て何とかブリトニーを守ろうとしたカンナたちだったが、思わぬところから情報が漏れ、ブリトニーは殺されてしまう。そこまで“彼女”を追い詰めた秘密とは、何だったのか――カンナは折しも、自分を問題視する担任教師によって“ともだちランド”行きを斡旋されたのを利用して、内部で真相を探ることを決める……

[感想]

20世紀少年<第1章>終わりの始まり』に続く第2章は、それから15年後、“ともだち”の権力が拡大したパラレル・ワールド的な近未来を舞台に展開している。

 現実とは異なる歴史を辿った世界であるだけに、本物のロケーションがそのまま使えない、という制約があるとは言え、いささか閉じた印象を受ける描写が多い。だがそれは、制約ゆえというよりも、ケンヂの仲間たち抵抗勢力側のアジトの所在であったり、権力側の影響力の範囲や捜査の仕方など、細部の設定にいまいち骨が感じられず、説得力に乏しいせいだろう。芯が強度不足であるため、空想科学とは言い条、あまりにも絵空事じみている。物語全体から、箱庭じみた印象を受けるのだ。

 問題はそればかりではない。確かに本篇は3部作の第2章であり、本当の決着は続く最終章にお預けになるのが大前提とはいえ、前章で提示された疑問のほとんどが未解決のまま残され、更に多くの謎を増やして、あらかた放り出したまま、という作りはさすがに目に余る。導入と位置づけられた前章だけなら許されるが、本篇では多少なりとも解決する部分をもう少し多く設けて、そのうえで新たな謎を振るような工夫が欲しかった。これでは、やたら大風呂敷を広げて自滅する連載漫画さながらの展開でしかない。

 そういう大枠の弱さには目をつむることも出来るが、いちばん拙いのは、本篇はそもそも話運びや新たな出来事のほとんどに説得力を感じられないことだ。

 前章におけるケンヂ達の、悪事の気配を嗅ぎ取りながらも具体的な行動を起こせない歯痒さ、最後で無謀とも思える手段に訴えねばならなかった経緯、何より明瞭な反抗の意識にはそれなりの説得力があった。対して、本篇はカンナたちレジスタンス側の行動に一貫性がなく、裏付けもほとんど用意されていない。地下に潜伏して捲土重来を期しているヨシツネ(香川照之)だが、彼はいったいどうやってあんなところにアジトを設けたのか、どうやって監視の目をかいくぐっているのか、何よりあそこに潜伏し続ける必然性はあるのか。カンナはけっきょく、“ボーナス・ステージ”に進むことに成功するが、そこでの対処はケンヂの薫陶を受けオッチョから戦い方を学んだ有能な少女と呼ぶにはあまりに軽率極まりない。だいたいあの“ボーナス・ステージ”は何を意図した教化プログラムなのかがまったく意味不明だ。

 特に問題なのは終盤のオッチョ達の行動である。彼らは途中で示される、ケンヂではない何者かが書いた“新よげんの書”の内容を巡る“ともだち”の企みを推測して行動するが、はっきり言って“ともだち”の狙いはあまりに見え透いていて、安易に躍らされるカンナたちが愚か者に映る。あれからの15年間、いったい何をしていたのか首を傾げたくなるような展開ばかりなのである。

 無論、本篇は続く最終章への橋渡しという意味合いが強く、多くの謎はそこで解明されるのだろう。そう考えれば幾つかの点については判断を保留するべきだとは思うのだが、しかし単体で眺めたとき、本篇はあまりに問題だらけの出来と言わざるを得ない。

 それでもまだ耐えられるのは、堤幸彦監督らしい外連味に満ちた演出とキャラクターの魅力ゆえである。もし映像的な面や細かなモチーフに工夫を凝らさないタイプの製作者が手懸けていたら、恐らくもっと雑然とした仕上がりになっていただろう。

 また、“新よげんの書”の謎解きと、“ともだちランド”を脱出してきたオカマの目撃談を巡る展開が交差してどんでん返しに繋がっていく終盤の転がし方はなかなか巧みである。その周辺の行動にまともな裏打ちがないために説得力を欠いているのが惜しまれるが、緊張感の演出と牽引力は見事だった。

 全体を通しての評価は最終章を観るまで保留とするが、テンポよく謎解きの興味に満ちた第1章と比較して、本篇の出来映えは、いいところも引き継いでいるものの全般にかなり劣っている。翻って、このモヤモヤとした気分を払拭して欲しいがゆえに、早く最終章が観たい、という気分にさせられるのも事実だが。

 最終章でいったいどんなカタルシスを用意してくれるのか、首を長くして待ちたい。

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