『オーストラリア』

『オーストラリア』

原題:“Australia” / 監督・原案:バズ・ラーマン / 脚本:バズ・ラーマン、スチュアート・ビーティー、ロナルド・ハーウッドリチャード・フラナガン / 製作:バズ・ラーマン、G・マック・ブラウン、キャサリン・ナップマン / 共同製作、プロダクション&衣裳デザイナー:キャサリン・マーティン / 撮影監督:マンディ・ウォーカー,ACS / 編集:ドディ・ドーン,A.C.E. / エグゼクティヴ音楽スーパーヴァイザー:アントン・モンステッド / 音楽:デヴィッド・ハーシュフェルダー / 出演:ニコール・キッドマンヒュー・ジャックマン、ブランドン・ウォルターズ、デヴィッド・ウェンハム、ブライアン・ブラウン、ジャック・トンプソン、デヴィッド・ガルピリル、アンガス・ピラクイ、リリアン・クロンビー、ユン・ワー、ウルスラ・ヨービック / バズマーク製作 / 配給:20世紀フォックス

2008年アメリカ作品 / 上映時間:2時間45分 / 日本語字幕:戸田奈津子

2009年2月28日日本公開

公式サイト : http://www.oz-movie.jp/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2009/02/19) ※試写会



[粗筋]

 じわじわと迫り来る世界大戦の影に、人々が戦々恐々としていた頃のオーストラリア。港町ダーウィンに、不釣り合いなほど美しい英国貴族の女性が降り立った。彼女の名は、サラ・アシュレイ(ニコール・キッドマン)。この地にある領地に赴いたまま1年も戻らない夫を追って、戻るよう説得するべく、遥か海を越えてやって来たのだ。

 しかし港に夫メイトランドの姿はなく、代わりに彼女を待っていたのは、粗野で風変わりなカウボーイ、ドローヴァー(ヒュー・ジャックマン)であった。アボリジニと白人とのあいだに生まれた子供を教化する白化政策が罷り通るようなこの世の中で、黒人のグラジ(アンガス・ピラクイ)らを仕事仲間としながらも、人当たりの良くないドローヴァーとの旅路は、サラにとって驚きに満ち、しばしば不快な代物であった。

 9000kmという長い旅の果てにようやく辿り着いた夫の領地で、サラを迎えたのは――夫の物言わぬ骸であった。この地で三代にわたって所有者に仕えてきたというニール・フレッチャー(デヴィッド・ウェンハム)は、アボリジニのまじない師キング・ジョージ(デヴィッド・ガルピリル)の犯行だと語るが、サラには悲しんでいる猶予もなかった。

 何故ならこの周辺の土地はあらかたキング・カーニー(ブライアン・ブラウン)に押さえられている。土地の経営を成り立たせるためには、カーニーに先んじて、軍に供給する食肉1500頭分を納入する必要があった。

 フレッチャーはカーニーに土地を売ってイギリスに引き揚げるようサラに進言する。だが、そんなサラに白人とアボリジニの混血であり、彼女を慕う少年ナラ(ブランドン・ウォルターズ)は、フレッチャーがアシュレイ領の牛をカーニー領に移していたことを告発した。憤ったサラはフレッチャーを解雇、結果として牛をダーウィンの地まで運ぶ牛追いの手を失ってしまう。

 そのとき、戻ってきたドローヴァーに、サラは頭を下げて牛たちの誘導を請うが、致命的に人手の足りない仕事に、彼は難色を示す。往路、名馬と野生馬を掛け合わせてみたい、という彼の夢を耳にしていたサラは、イギリスから持ち込んだ名馬を報酬として提供する条件を持ち出し、妥協を求めた。厄介を承知しながらも、魅力的な提案にドローヴァーは渋々頷くのだった。

 アシュレイ家の使用人のなかで乗馬や牛追いの経験があるものも人手として駆り集めると、サラたちはいよいよ9000kmの旅路に赴く。その先に、フレッチャーの妨害が待ち受けていることも知らずに……。

[感想]

 ポップスやロックの名曲を多数採り入れた、豪華絢爛、外連味たっぷりの個性的なミュージカル映画ムーランルージュ!』以来、実に8年振りとなるバズ・ラーマン監督の新作である。

 ミュージカルのような過剰なフィクションは盛り込まれていないが、しかし大時代的な外連味、遊び心は序盤から健在である。最初、アボリジニの少年のナレーションと目撃談から切りだしたかと思うと、ある時点でいちど時計を巻き戻し、並行して進んでいたサラの物語を綴って結びつける語り口で、当時のオーストラリアの様相と世界情勢とを同時に仄めかしてみせる。サラのパートでは、ところどころで意表をついたユーモアを持ち込んで観客を擽ってくる。

 あまりに稚気が過ぎているので、序盤はうわついた印象さえあるが、個性的なキャラクターたちの魅力、そしてそれ以上に、フレームとカメラの動きを工夫して存分に盛り込んだ、オーストラリアの情景の美しさが、あっという間に観る側を作品世界に惹きこんでしまう。

 同時に、序盤こそ稚気が勝っていたドラマも次第に、陳腐ながら重みと膨らみを備えたものになっていく。フレッチャーの妨害工作で払われた犠牲や、冒険の中でじわじわと信頼を築き、いつしか想いを寄せ合っていくサラとドローヴァーの姿。映画においては決して特異なイベントではないが、その古めかしさが却って作品の風格を高めている。

 一方で、オーストラリアの先住民アボリジニと、白人とのあいだに生まれた子供たちを巡る史実に基づいた描写が、本篇に独自の色を添えている。白化政策によって隠れて過ごさざるを得ない、けれど母の血のルーツであるアボリジニへの憧れと、初めて間近に観る英国貴族女性の見せる優雅さに惹かれて、双方に親しみを寄せる少年の存在が、基本的にオーソドックスなドラマを意外な形で繋いで、クライマックスの壮絶なまでの盛り上がりに物語を導いている。

 本篇は、普通ならここで「めでたしめでたし」となりそうなところで、実際にナレーション役の少年にそう語らせながら、しかし更に掘り下げて、ドラマにいっそうの奥行きを齎し、納得のいく決着まで加速させていく。終盤における、幾つかの出来事の交錯ぶりはわざとらしいくらいなのだが、そこまでの物語で充分に伏線を張り巡らせ、感情をじっくりと高めた挙句の流れだから、素直に感動の渦に巻き込まれてしまい、序盤のわざとらしさも照れも感じさせない。

 大スクリーンでこそ堪能できる作り込まれた美しい映像に、往年の名作映画の香気を受け継ぐ、正統派で一切の手加減を施さないドラマの厚み。わざわざ金を払って映画を観る歓びを存分に堪能させてくれる、近年決して多くない種類の“名画”である。

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