『パッセンジャーズ』

『パッセンジャーズ』

原題:“Passengers” / 監督:ロドリゴ・ガルシア / 脚本:ロニー・クリステンセン / 製作:ケリー・リン・セリグ、マシュー・ローズ、ジャド・ペイン / 製作総指揮:ジョー・ドレイク、ネイサン・カヘイン / 撮影監督:イゴール・ジャジュー=リロ / プロダクション・デザイナー:デヴィッド・ブリスビン / 編集:トム・ノーブル / 衣装:カティア・スタノ / 音楽:エドワード・シェアマー / 出演:アン・ハサウェイパトリック・ウィルソンデヴィッド・モースアンドレ・ブラウアー、クレア・デュヴァル、ダイアン・ウィースト / 配給:Showgate

2008年アメリカ作品 / 上映時間:1時間33分 / 日本語字幕:松浦美奈

2009年3月7日日本公開

公式サイト : http://www.passengers.jp/

ユナイテッド・シネマ豊洲にて初見(2009/03/16)



[粗筋]

 109人を乗せた旅客機が川岸に胴体着陸、生き残った5人の乗客の心のケアは、セラピストであるクレア・サマーズ(アン・ハサウェイ)に託された。

 だが、クレアの企画した最初のグループ・セラピーで、乗客たちの事故に関する目撃談が食い違っていることが判明する。航空会社のアーキン(デヴィッド・モース)はクレアや乗客たちに何かを隠している様子を示し、乗客たちの周囲には謎の人影がちらつき、クレアは事故に不穏な気配を感じていた。

 一方でひとり、どうしてもグループ・セラピーに参加せず、患者扱いされることを厭うエリック・クラーク(パトリック・ウィルソン)をどうにか説得しようと繰り返し接触しているうちに、クレアは彼の飾らない人柄に、職分を超えた感情を抱くようになる。

 だがそんな彼も、時を重ねるごとに奇妙な態度を覗かせるようになった。いったい彼らの身に、何が起きているのだろうか――クレアは謎を追い、やがて想像もしていなかった真実に辿り着く……

[感想]

 私はもとがミステリ好きから映画道楽に嵌った人間なので、衝撃のラストとか予想外の結末とか、そういう惹句のついた作品に興味を惹かれる傾向にある。そうして観に行った結果、期待通りのカタルシスを得られることは少なく、苦笑いしたり首を傾げたり、微妙な感想を抱くことが多い。残念ながら、本篇もその例に漏れなかった。

 アイディアそのものは悪くないと思う。その着地点に向かって構築しようとしたドラマや、繊細な表現の数々には見所が多い。だが問題は、このアイディアをきちんとカタルシスに昇華させるために必要なルール作りが非常に曖昧だったことにある。

 本篇への批判で、「途中でネタが想像できた」というものを幾つか目にしたが、私は察せられること自体は問題ではない、と考える。きちんと伏線を張り巡らせ、論理的に導き出せるところに正解があるのなら、それはむしろ丁寧に作っていることの証明だ。だが本篇は、ルールをきちんと設定していないために、たとえ真相を想像することが出来ても確信が持てず、いざ明かされたところで腑に落ちた気がしない。もっと明確なルールが用意されていれば、準備されたドラマの数々が終盤で実を結んで、感動や充足感に繋がっただろうに、どうにも勿体ない。

 人間ドラマ作りに定評のある監督が手懸けているだけに、感情の機微を捉えたり、心の襞を撫でるような繊細な表現は巧い。惨事の衝撃に動揺し、また不可解な事態に直面して困惑し、生き死ににまつわるドラマに感情を顕わにする姿の描き方は絶妙で、個々の場面の印象はとても強い。とりわけ、未だに当たり役であった『プリティ・プリンセス』のイメージが鮮烈であるアン・ハサウェイが、その愛らしさを残しつつも知的で上昇志向に富み、それ故に先走ってしまうタイプの女性に扮し、その変化もきっちりと体現した演技は充分に見所として機能している。

 事故現場の生々しさを含めたロケーションの完成度の高さ、そして辿り着いた結末の切ない美しさも秀逸なのだが、如何せんそれらを支えるべき土台が歪すぎて、細部に拘らない大らかな感覚で鑑賞できるような人でないと、感動するのは難しいだろう。少なくとも、サプライズ・エンディングものを好んで観る人種は感心しないはずだ。ルールを厳密に設定し観客に浸透させられるよう、もう少し脚本を練り込んでいれば、と惜しまれる1本である。

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