『イエスマン “YES”は人生のパスワード』

『イエスマン “YES”は人生のパスワード』

原題:“Yes Man” / 原作・共同製作:ダニー・ウォレス(バジリコ・刊) / 監督:ペイトン・リード / 脚本:ニコラス・ストーラー、ジャレッド・ポール、アンドリュー・モーゲル / 製作:リチャード・D・ザナック、デイヴィッド・ヘイマン / 製作総指揮:マーティー・ユーイング、ダナ・ゴールドバーグ、ブルース・バーマン / 撮影監督:ロバート・ヨーマン / 美術:アンドリュー・ロウズ / 編集:クレイグ・アルパート / 衣装:マーク・ブリッジズ / 音楽:ライル・ワークマン、マーク・オリヴァー・エヴァレット / 音楽スーパーヴァイザー:ジョナサン・カープ / 出演:ジム・キャリーズーイー・デシャネルブラッドリー・クーパー、ジョン・マイケル・ヒギンズ、リス・ダービー、ダニー・マスターソン、フィオヌラ・フラナガン、サーシャ・アレクサンダー、モリー・シムズ、テレンス・スタンプ / ヘイデイ・フィルムズ/ザナック・カンパニー製作 / 配給:Warner Bros.

2008年アメリカ作品 / 上映時間:1時間44分 / 日本語字幕:佐藤恵

2009年3月20日日本公開

公式サイト : http://www.yesman-movie.jp/

ユナイテッド・シネマ豊洲にて初見(2009/03/24)



[粗筋]

 銀行の融資課に勤務するカール・アレン(ジム・キャリー)は厭世的な人生観の持ち主だ。万事斜に構えて物事を見、友人たちが飲みに誘ってもなかなか乗らず、余暇は借りたDVDを漫然と眺めて潰している。

 親友のピーター(ブラッドリー・クーパー)はそれでも辛抱強く付き合ってくれたが、婚約パーティの誘いを反故にされて、とうとう怒りを爆発させた。恋人が自分の親友を嫌っているのに、いいところを挙げられないのはどうしたらいい? そうやって孤独に死んでいけばいい――苛立たしげに罵られて、カールもさすがに自分の行いを省みた。

 そんな彼の目に留まったのは、先日偶然に再会した旧友のニック(ジョン・マイケル・ヒギンズ)が残していったパンフレット。「“YES”は人生のパスワード」というキャッチフレーズに誘われるように、カールは案内にあるセミナーに参加した。

 会場にて、妙にハイテンションな参加者たちの前に現れたのは、「あなたの心から“NO”を消し去りなさい」と訴えるテレンス・ハンドリー(テレンス・スタンプ)という男。初参加だからと壇上に招かれながら断ったカールに自ら歩み寄ると、テレンスは弁舌巧みにこんな誓いを強要する。

「この会場を出た瞬間から、どんな問いかけにも“YES”と答えなさい。もし“NO”と答えれば、あなたの身に災いが降りかかるだろう」

 依然としてテレンスの言葉など信じていなかったカールだが、ニックにもプレッシャーをかけられて、さっそく実践する羽目に陥った。会場を出るなり、「公園まで乗せていってくれ」と頼んできたホームレスを受け入れ、電池切れになるまで携帯電話を使うことを許し、更には手持ちの金をぜんぶ貸し与え……結果、公園から出る途中で車がガス欠に陥った。

 運命を呪いながら、ポリタンク片手に近くのガソリンスタンドまで赴いたカールは、そこでスクーターの給油をしていた女性に声をかけられる。自嘲気味に、公園でガス欠をした経緯を話すと、女性はスクーターでカールを車まで連れて行ってくれた。

 名前も聞かずに別れたが、この出来事はカールの気持ちに変化を齎す。やってみようという気になったのだ――あらゆる問いかけに、“YES”と答えてみようと。

[感想]

 正直なところ、ごく断片的な情報を聞いた段階では、本篇に対して不安を抱いていた。特定の方法論を掲げた自己啓発を題材とすると、方法の賛美にしかならず、関心を持てなければただただ胡散臭いだけの代物になってしまう傾向がある、と私は考えている。「“イエス”と言い続けて人生が変わった」という表現だけでは、私と似たような理解をしている人であれば眉に唾をつけて当たってしまうのが普通だろう。

 だがいざ本篇を観てみると、簡略化された惹句から嗅ぎ取るような胡散臭さも、方法論の押しつけめいた強引さも感じられない。むしろとても公平な判断力と、繊細なバランス感覚とによって支えられた、理性的な仕上がりになっていた。

 変幻自在の表情を駆使して常に強烈なインパクトを残す、当代きってのコメディ俳優のひとりであるジム・キャリーは、本篇でもその柔軟な顔筋を活かして、引きこもり気味の変人が奇妙な“イエスマン”に変貌していくまでを、メリハリ充分に演じている。キャラクター性や作品の方向性によっては邪魔になるほど顔のよく動く俳優なのだが、本篇はそんな彼の技が綺麗に嵌っており、ここしばらくシリアスに偏り気味だった彼の仕事に不満を覚えていた向きも久々に溜飲を下げるはずだ。

 ジム・キャリーの大袈裟な演技のお陰で、ところどころ不自然な展開もさほど違和感を覚えない。やはり、いくら問われて必ず“イエス”と言えと命じられても、見ず知らずの男にいきなり「乗せていってくれ」と頼まれて頷くのは危ないと解るし、無事に済まない可能性だって思い浮かべるだろう。そんな当然の違和感を、ジム・キャリーならではの大きなアクションとユーモアがうまく包みこんでいる。話が進むに従って主人公自身の行動もかなり極端になっていくが、それも弾けんばかりのジムの演技のために、自然と受け止めてしまう。

 主人公を取り巻く登場人物がそれぞれにユニークであることも、いい具合に作品に異世界感を作りあげて、不思議なシチュエーションを正当化している。あそこまで過激ではないが、どことなくファレリー兄弟の作品を彷彿とさせるような、欠点を強調したキャラクターが随所で笑いを利かせ、同時に伏線としても機能する。笑わされながらも、思わず膝を打つような筋書きが多い。

 本篇は、キャラクターの活かし方もさりながら、あらゆることに“イエス”と答える、というシチュエーションを実に巧妙に利用している。あからさまに危なそうな頼み事から滲み出すスリルであったり、そんなに波乱を巻き起こしそうもない返事から意外な展開に至ったり、といった具合に、イエスかノーか、というシンプルな二者択一を実にドラマティックに演出している。そこに個性的なキャラクターが絡んで、後半の展開への伏線を丹念に張り巡らせてあり、その手管にも感心させられる。このアイディアひとつでどう話を膨らませていくのか、と最初は疑問を抱いてさえいたのだが、ほとんど抜かりがない。

 ただ、あの締め括り方には首を傾げる方もあるかも知れない。絶妙の匙加減で、決して押しつけがましくなく、心地好い流れを作りだしているのだが、最後だけ若干、毒が勝っている。

 しかし本篇は題材にしろ人物描写にしろ、掘り下げていくとけっこうえぐみや毒素が滲み出してくる代物なのだ。締め括りだけ脳天気なハッピーエンドにするよりも、このくらい洒脱に毒を籠め、物語の中で僅かに残る溜飲を下げるこの結末のほうが本篇には相応しい。

 いずれにしても、文脈の中にひそめた毒素が終盤で顕わになるために、予告や粗筋から受ける印象で、綺麗なハッピーエンドや明快なカタルシスを期待して劇場に足を運ぶと、帰り道で快い気分を味わえるとは限らない。そういったわけで満点はあげられないが、しかし絶妙のバランス感覚で構築された、馬鹿馬鹿しいように見えて、実に理知的なコメディである。もし、「自己啓発を賛美した話なんだろ」とタカをくくって避けているようなら、いちど騙されたつもりで鑑賞していただきたい。

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