『マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと』

『マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと』

原題:“Marley & Me” / 原作:ジョン・グローガン(早川書房・刊) / 監督:デヴィッド・フランケル / 脚本:スコット・フランク、ドン・ルース / 製作:カレン・ローゼンフェルト、ギル・ネッター / 製作総指揮:アーノン・ミルチャンジョー・カラッシオロ・Jr. / 撮影監督:フロリアン・バルハウス / プロダクション・デザイナー:スチュアート・ワーツェル / 編集:マーク・リヴォルシー,A.C.E. / 衣装:シンディ・エヴァンス / 音楽:セオドア・シャピロ / 音楽スーパーヴァイザー:ジュリア・ミシェルズ / 出演:オーウェン・ウィルソンジェニファー・アニストン、エリック・デイン、アラン・アーキンキャスリーン・ターナー、ネイサン・ギャンブル、ヘイリー・ベネット / 配給:20世紀フォックス

2008年アメリカ作品 / 上映時間:1時間58分 / 日本語字幕:松浦美奈

2009年3月27日日本公開

公式サイト : http://www.marley-movie.jp/

TOHOシネマズスカラ座にて初見(2009/04/01)



[粗筋]

 そもそも、ぼく――ジョン・グローガン(オーウェン・ウィルソン)も妻のジェニー(ジェニファー・アニストン)も、犬を飼おうなんて最初は考えていなかった。

 ぼくはミシガンの名門新聞紙の記者、妻はコラムニストとして活躍していたが、結婚を機にフロリダに一軒家を借りた。いずれ子供を作ることを考えていたからだ。けれど、拠点を変えて変化した生活の中で、ジェニーは「果たして自分たちに子育てが出来るのか?」という疑問を抱いた。綿密に人生設計をしているジェニーは、失敗することを怖れていたのだろう。

 フロリダで新しい職場を紹介してくれた親友のセバスチャン(エリック・デイン)の提案に従って、ぼくは妻の誕生日に合わせて、子犬を購入することにした。まず犬の世話に慣れることからはじめよう――あまり手間がかからない、という話だったレトリバーの、何故か他の犬よりも安い一匹を、ぼくたちは新しい家族として迎えることにした。

 契約から3週間後、時間をかけて追っていた裁判の取材のため妻が発ったあいだに、ぼくは子犬を引き取りに行った。ふたりきりで迎える最初の夜で、マーリーと名付けたその子犬のやんちゃぶりは充分理解したつもりだったけれど、翌る日、空港で出迎えた妻と我が家に戻ったぼくは、見込みが甘かったことを改めて悟る。

 ぼくたちが迎え入れた“セールわんこ”のマーリーは、ただのやんちゃじゃない、世界一おバカな奴だった……

[感想]

 率直に言うと、動物を題材にした映画は苦手だ。動物が嫌いなわけではなく、本当に好きだからこそ苦手なのだ。

 好きだからこそ、動物目線で描いた作品は胡散臭く見えてしまうし、その生き死にで安易に感動を齎そうとする作品には、観ているときはともかく、あとで嫌悪感を抱くこともある。メロドラマの材料として、軽々しく扱われている気がするのが、余計に腹立たしいのだ。

 本篇についても、題名とごく大雑把な粗筋しか知らない段階では同様の危惧を覚えたので、特にチェックもしていなかったのだが、その後、実話に基づいているということ、必ずしも単純なお涙頂戴のドラマとは違ったアプローチをしているらしいことを知って、興味を抱いた。それでもまだいささかの不安を覚えてはいたが、いちど関心を持ったのなら、自分の目で観て判断したい。

 ――結論から記せば、マーリーを巡るエピソードの締め括りについてはおおむね想像通りだった。そういう意味では、意外性のない作りになっている。一方で、その無茶苦茶な乱暴者っぷりを広告で謳っているわりには、中盤以降そうした場面が減っているのが少将気になった。終盤の会話で、決してマーリーがただ大人になったわけではないことを仄めかしてはいるが、“世界一おバカな犬”のハチャメチャな活躍に期待すると、中盤以降物足りなさを覚えるだろう。

 だが、薄々感じていた通り、本篇は決して安易な“お涙頂戴”の動物ものではない。題名は飼い犬の名前だし、語り手であるジョンの家族は明らかにマーリーを中心にまとまっているが、犬のみを採り上げた話ではないのだ。

 物語の当初、ジョンとジェニーはマスメディアで働く知的なカップルであり、特にジェニーは厳密な将来設計を立てた、堅実な女性として描かれている。マーリーが彼らの人生に絡んできたのも、子育ての予行練習として、親友から提案されたためだ。無思慮に、ただ可愛い、という理由で買い始めたのではない。

 そんなふたりの人生が、破天荒なマーリーの行動によって掻き乱されていく。いちおうは意を固めて子作りに臨むがなかなか実を結ばず、生まれたあとも予想外の成り行きにより、彼らがはじめに思い描いていた結婚生活はまるで夢物語のようになっていく。悩み、こんなはずではなかったと嘆きながら、けれどジョンとジェニーは自らに問いかけ、やがて悟る。思い通りにことを運ぶだけが、幸せなのではない、と。幾度も壁にぶつかり、立ち止まっては悩み、思案に暮れて、少しずつ前に進んだ結果は、決して不幸な道行きではなかった。

 確かに、そう悟るまでの道程の中でマーリーの果たした役割はこの上なく大きいが、しかし結果として導き出されるのは、とある家族の彼らなりの幸せの形なのだ。本篇は愛すべくバカ犬の存在を通して、家族が出来上がっていく姿をこそ描いている。そこが、単純な動物映画と一線を画する、いちばん大きな要素だろう。

 また、マーリーの行動は確かにかなり無茶苦茶ではあるのだが、基本的には、犬を飼ったことがある人なら大なり小なり思い当たる行為がほとんどだ。観ているあいだ、ああそんなことするよな、似たようなことがあったよ、と記憶を蘇らせてはニヤニヤする人も少なくないだろう。それが、下手をすると家一軒ぐらい破壊してしまいそうな勢いがあるのが、マーリーというキャラクターの得難い魅力でもあるのだが。

 そして、ジョンとジェニーが直面する悩み、苦しみの数々は、誰しも遭遇する可能性のある、普遍的なものが多く、観ていてすぐに実感できるものばかりだ。だからこそ本篇は素直に共感し、受け入れやすい作品となっている。

 前述の通り、クライマックスにしても、その成り行きは大方の予想通りだ。だが、決して“泣け”“感動しろ”といったような押しつけがましさは感じない。奇跡を起こしてしまったり、犬を飼うということの実態を考慮しない安易な結末をつけていないからだ。あの成り行きは、犬に限らず動物を飼っている人であれば通るかも知れないシチュエーションであり、そこをごまかしていないのが誠実だ。

 私は苦手意識からも辛く書いてしまっているが、“お涙頂戴”であっても動物を題材にした映画を好む向きには、犬についての描写が少なくなる中盤を物足りなく感じたり、クライマックスの展開に衝撃を受けるかも知れない。けれど、観終わったあとで決して厭な気分にはならないはずだ。

 本篇はユーモアをきちんと含めながら、決して現実を軽視せず、最後まで誠実に作りあげた、愛すべき“家族のドラマ”である――私がそれをいちばん強く感じたのは、実はマーリーや妻、子供たちとの交流の姿からではなく、職場が離れたために疎遠になっていたジョンとセバスチャンが、街中で偶然再会した場面だった。何故そう感じたのか、は実際に観て確かめていただきたい。

 ――なお、感情移入しやすい方、普段から涙腺が緩いという自覚のある方は、ハンカチの用意を忘れないようにしていただきたい。現在でも過去にでも犬を飼ったことがある人はなおさらだ。映画を観て泣いた、という記憶のあまりない私が、今回は非常に危なかったのだから。

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