原題:“Mister Lonely” / 監督:ハーモニー・コリン / 脚本:ハーモニー・コリン、アヴィ・コリン / 製作:ナージャ・ロメイン / 製作総指揮:ピーター・ワトソン / 撮影監督:マルセル・ザイスキンド / プロダクション・デザイナー:リチャード・キャンプリング / 編集:ポール・ザッカー、ヴァルディス・オスカードゥティル / 衣装:ジュディ・シュルーズベリー / 音楽スーパーヴァイザー:リズ・ギャラチャー / 出演:ディエゴ・ルナ、サマンサ・モートン、ドニ・ラヴァン、ヴェルナー・ヘルツォーク、レオス・カラックス、ジェームズ・フォックス、ジョセフ・モーガン、アニタ・パレンバーグ / 配給:GAGA Communications
2007年イギリス・フランス合作 / 上映時間:1時間51分 / 日本語字幕:?
2008年2月2日日本公開
2008年8月6日DVD日本盤発売 [bk1/amazon]
公式サイト : http://misterlonely.gyao.jp/
DVDにて初見(2009/07/16)
[粗筋]
不器用で人付き合いの下手な彼が生きる道は、憧れのマイケル・ジャクソンを模倣することで作られてきた。いまはパリの移民が暮らす地区に拠点を構える偽マイケル(ディエゴ・ルナ)は、公園でダンスを披露して細々と稼いでいる。
ある日、数少ない友人の紹介で、老人福祉施設へと慰問に訪れた偽マイケルは、そこで偽物のマリリン・モンロー(サマンサ・モートン)と知り合う。帰りのカフェでばったりと出くわし、話し込むうちに、彼女もまたモンローを真似ることでしか生きていけない不器用な人であると悟った偽マイケルはシンパシーを覚え、惹かれるのを感じる。
だが生憎と彼女には、チャールズ・チャップリンを演じる夫(ドニ・ラヴァン)とシャーリー・テンプルを演じる娘(エスミー・クリード=マイルズ)がいて、しかも間もなくフランスを発ち、他の多くのそっくりさんたちと共同生活を送る館へと帰る予定なのだという。偽マリリンは偽マイケルに、一緒に彼女たちの館があるスコットランドの山奥へ赴くことを提案する。
そこは、美しい自然に囲まれた、長閑な土地であった。エイブラハム・リンカーンが粗野な口を利き、ジェームズ・ディーンが羊の世話をし、ヨハネ・パウロ2世とエリザベス女王が仲良く同衾する奇妙な空間で、偽マイケルは初めて人との濃密な交わりのある生活を経験する。それは何処か心地好く、けれどとても痛々しい毎日でもあった……
[感想]
2009年6月25日、マイケル・ジャクソンが急逝した。その死をきっかけに、日本では昨年の初頭に公開された本篇のことを思い出し、鑑賞してみた。追悼の意を籠めて、と言っても思いつきなので、何かを期待していたわけではないのだが――奇妙なことに、この風采の上がらない偽物のマイケルの姿が、私には本物のマイケルの生涯と重なって見えた。最盛期はともかく、晩年の、創作活動から長らく遠ざかり、世間とも距離を置いて、あらゆる感情を閉じ込めたまま結局この世を去ってしまった本物のマイケルと、不器用さ故に自らの個性を見出すことが出来ず、憧れの人の幻影を借りて生きている青年と、それほど大きな違いがあるだろうか?
この偽物のマイケル・ジャクソンの造形や、マリリン・モンローとして生きる中年女性その夫のチャップリンもどきなど、人物の描き方、彼らの絡みあう姿の風変わりな愛らしさは本篇の最も魅力的な部分だ。しかし残念ながら、物語としてはその“良さ”を充分に活かせていない、というのが正直な感想だった。
登場人物が個性的なのはいいことだが、その絡み合いが描こうとしている主題、結末に偽マイケルが漏らす感慨に奉仕しているとは言い難い。この場面でのこの行動が次のあの場面に絡んでくる、というのがあまり明確でないので、驚きもカタルシスも演出しきれていないのだ。ラストシーン手前で起きる、ある出来事についても、何故そうなったのかはなんとなく想像がつくものの、直前にそれを象徴したり、想像させるような描写がないので、けっこう衝撃的なシーンのはずなのにあまり効いてこない。他のシーンについても、この偽物たちの言動は全般に唐突で、展開といまいち噛み合っていないのだ。趣向がユニークであるだけに、もったいない。
またこの作品では途中から、飛行機で僻地の上空に赴き救援物資を投下するボランティアを行っている教会を描いたシークエンスが挿入されるが、何かの形で絡んでくるのかと鵜の目鷹の目で見守っていると、直接に関わることなしに終わってしまう。この信徒たちを巡る一連の出来事は偽マイケルや偽マリリンの胸中と共鳴し、象徴的な結末を迎えていることは確かなのだが、それだけに余計、“無駄”という印象を齎してしまう。ああいう決着を用意するなら、少なくとも偽マイケルや周囲の人々に彼らを意識させるべきだった。
最終的に描きたかったものは何なのか、の察しがつく程度にはきちんと表現を用意しているが、しかししっくりするほどに整頓されていない、纏まっていない。解るからこそ、あまりに整理が行き届かず、放り出されたかのような要素があることに軽い不快感さえ覚える。全体の完成度は、お世辞にも高いとは言い難い。
ただ、だからと言って斬り捨ててしまうには惜しい魅力が本篇にはある。映画に対する愛情を感じさせる映像作りに、内気なマイケルが人妻マリリンに想いを寄せ、マリリンの夫である偽チャップリンが横暴さ故に時々ヒットラーに見えてしまい、果てにはヨハネ・パウロ2世とエリザベス女王が同衾しているといった、笑っていいのか迷ってしまうようなシュールなシチュエーションの数々は印象深い。そして物語が終わったあとの、何とも物悲しい余韻は、なかなか体験できない種類のものだろう。
それでも万人が納得できるような内容ではない。もっと人物同士の絡みあいや要素の配置に工夫を凝らせば傑作に仕上がっただろう、と思えるだけに尚更もったいない、と感じる。だが、突出した魅力故に、人によっては非常に心惹かれる作品と言えよう――しかし、もし合わなかった場合、不快感を覚えるか、相当落ちこむことになると思われるので、用心したほうがいい。
関連作品:
『ミルク』
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