原題:“Miracle at St. Anna” / 原作・脚色:ジェームズ・マクブライド / 監督:スパイク・リー / 製作:ロベルト・チケット、ルイジ・ムジーニ、スパイク・リー / 製作総指揮:マルコ・ヴァレリオ・プジーニ、ジョン・キリク / 撮影監督:マシュー・リバティーク,A.S.C. / 美術:トニーノ・ゼッラ / 編集:バリー・アレクサンダー・ブラウン / 衣装:カルロ・ポッジョリ / 音楽:テレンス・ブランチャード / 出演:デレク・ルーク、マイケル・イーリー、ラズ・アロンソ、オマー・ベンソン・ミラー、マッテオ・シャボルディ、ルイジ・ロ・カーショ、レオナルド・ボルツォナスカ、ヴァレンティナ・チェルヴィ、ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ、セルジオ・アルベッリ、オメロ・アントヌッティ、ジョセフ・ゴードン=レヴィット、ジョン・タトゥーロ、ジョン・レグイザモ / 配給:Showgate
2009年アメリカ・イタリア合作 / 上映時間:2時間40分 / 日本語字幕:関美冬 / R-15+
2009年7月25日日本公開
公式サイト : http://www.stanna-kiseki.jp/
TOHOシネマズシャンテにて初見(2009/07/25)
[粗筋]
1983年、クリスマスを目前にしたニューヨークの郵便局で、突如として惨劇は起きた。切手を買いに来た客に、窓口の男がいきなりドイツ製の銃を向け、発砲したのだ。客は死亡、窓口の男は逃げることもせず、大人しく逮捕される。
謎だらけの事件であった。窓口の男は叙勲も受けた第二次大戦の英雄であり、前科なし、借金なし、25年間連れ添った妻とは死に別れ、あと3ヶ月で退職する、という時期の犯行だった。精神鑑定の必要も検討されるなか、家宅捜索に赴いた警察は更に予想外のものを発見する。イタリア・フィレンツェにあったサンタ・トリニータ橋に飾られていた彫刻“プリマヴェーラ”の頭部。闇市場であれば500万ドルは下らず、質素な暮らしを送る犯人には不似合いな代物であった。
男とイタリアの歴史的財産という奇妙な関係をスクープした新米記者ティム・ボイル(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)は許可を得て、拘置所の犯人に直接の取材を敢行した。当初、沈黙を貫いていた犯人は、しかしふとしたきっかけで落涙し、ぽつりぽつり、と謎めいた言葉をこぼし始める。「私は、“眠る男”の秘密を知っている」と。
“眠る男”はイタリア、トスカーナの村を守る山の通称であった。謎の殺人を犯した郵便局員がその村を訪れたのは1944年の8月、第二次世界大戦のさなかのことだった。
白人の兵士を多く喪ったアメリカ軍はこの頃から実験的に黒人のみの部隊を最前線に送るようになっていた。第92歩兵師団は川を挟んでドイツ軍と対峙、激戦となるなか、派遣されたばかりの上官が黒人兵に対して露骨に抱く不信感がもとで、最前線は破滅的な状況に陥る。
死屍累々の河を辛うじて乗り越え、対岸に移ることに成功した兵は僅か4人であった。そのうちのひとり、巨体に持て余すほど純粋な心を宿したサム・トレイン上等兵(オマー・ベンソン・ミラー)が爆撃に晒された小屋で、ひとりのイタリア人少年(マッテオ・シャボルディ)を発見する。どこから現れたかも解らず、自分にしか見えない“少年”と会話する彼を“神の奇跡の証明”だと信じこんだトレインは一心に少年を守ることを決意する。
他の3名の意見は様々であったが、本部との通信が繋がらない状況にあって、敵の蝟集する河に僅か4人で戻ることは難しく、やむなく少年を保護して付近にある村へと避難した。そこは既に3年間に亘ってイギリスやフランスの助けを待ち続ける人々と、ナチス相手にゲリラ活動を行うパルチザンとが混在する村であった……
[感想]
デビュー以来、アメリカにおける黒人社会をリアルに、かつ知的な角度から描き続け、ハリウッドにて特異な地位を築いたスパイク・リー監督が初めて手懸けた戦争映画である。
その監督の矜持ゆえか、本篇も戦争を扱いながら、第二次大戦中の黒人の位置づけを描くことに多く尺を割いている。従来の戦争映画には珍しい視点であり、それがまず本篇をユニークなものにしているのだ。
たとえば、黒人がアメリカ軍で起用された経緯である。はじめの頃は料理人など些末な仕事に使われていた黒人たちだったが、長期間に亘る戦闘による多くの白人兵が命を落とし、兵力を著しく損なったために、黒人たちが初めて兵士として起用された。そういう経緯であったために、未だ上層部には黒人に対する差別意識、不信感が燻っており、それが河での戦闘に重大な影響を及ぼしている。他方でドイツ軍側も、そうしたアメリカ国内での黒人の扱いを承知しており、黒人向け“東京ローズ”のような女性を起用して放送で甘言を流し投降を訴える一方、背後では黒人をサル呼ばわりし、一掃を目論む二枚舌の対処を示している。
敵からも味方からも軽視され蔑視される黒人兵たちだが、しかしそんな彼らを唯一公平な立場から見ているのが、傷ついた少年を抱え逃げこんだトスカーナの村に暮らすイタリア人たちなのである。はじめこそ警戒し露骨な敵意を向けてくるが、しかし反感も好意も決して彼らが黒人であるから、という理由で齎されるものではない。突然現れた男たちを怪しみ、村民の利害よりも自分たちが無事に帰還することを優先する黒人兵たちに不審を抱くのは当たり前だ。
取り囲むドイツ兵にパルチザンとの駆け引き、そして傷ついた少年のこともあって膠着状態に陥り滞在が長引き、仄かな交流を繰り返しているうちに奇妙な親近感が芽生えると、一部の兵士は居心地の良ささえ感じはじめる節がある。しまいには1人が「ここでは俺はニガーじゃない。“俺”でいられるんだ」とさえ述懐し、祖国にいるときよりも自由であることに恥さえ感じる。戦争という極限状況であるからこそ生じた人間関係が、逆にアメリカでの彼らの待遇が歪であった現実を浮き彫りにする、という趣向はまさにスパイク・リー監督の本領であり、このあたりの描き口は秀逸だ。
ただ、率直に言えば、物語としては少々ぎこちない仕上がりだ。予告篇や冒頭では魅力的な謎が提示されるが、その解決自体を見せ場とはしておらず、話を追っていくうちに1983年の殺人犯が誰なのか、被害者が何者であったのかも簡単に解る。ただこの点についてはある意味間違った期待なので決して評価を下げるものではなかったが、如何せん本篇は尺が長すぎる。ほとんど必要な描写であったのは事実でも、すべてのシーンで多めに尺を取っているせいなのか、全体が間延びしている印象で、退屈を禁じ得なかった。決して話が面白くないわけではないので、勿体なく思える。構成もいささか雑然としていて、一部の人物像や関係性が、謎めかそうと意図していないところで混乱を生じているのも、退屈さに拍車を掛けているようだった。
しかし、それでも描写自体は必要によって組み立てられており、味わい甲斐がある。そして戦争シーンの迫力、凄惨さと、それとは裏腹に不思議な清々しさに満たされたラストシーンは秀逸だ。
この作品の特徴的なもうひとつのポイントは、戦争の悲劇を綴りながら、安易に反戦を説くことも命の尊さを過剰に訴えることもしていないことである。内容的には充分に戦争批判のニュアンスが籠められているが、その主題を、第三者の戦いに理不尽に巻き込まれた人々が、命令と義務、人としての感情のあいだで揺れ動き、折り合いをつけながらどうにか生き延びようとする姿を描くことに力を注いでいる。そのために、予告で謳われているほど登場人物たちは英雄的な行動には出ていないが、実感的で納得のいく行動が積み重ねられていく。
本篇のタイトルにも掲げられている“セントアンナ”での出来事は史実であり、それ自体は目を覆いたくなるほどの惨劇だ。だが、積み重ねられた事実の上に築かれているからこそ、ラストシーンのささやかな奇跡が大きな救いに感じられる。結末の舞台はセントアンナではないが、セントアンナに始まりここに結実する出来事は、まさに題名通り“セントアンナの奇跡”に他ならない。
個々の要素は傑出しているのに尺の設定や構成でいささか失敗しているため、観る上で若干気構えが必要になってしまうのが残念だが、これまでにない角度で描かれた、観る価値の高い戦争映画である。
関連作品:
『25時』
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