原題:“Fido” / 監督:アンドリュー・カリー / 原案:デニス・ヒートン / 脚本:アンドリュー・カリー、ロバート・チョミアック、デニス・ヒートン / 製作:ブレイク・コーベット、メアリー・アン・ウォーターハウス / 製作総指揮:ピーター・ブロック、パトリック・カサヴェッティ、ジェイソン・コンスタンティン、シェリー・ギレン、ダニエル・アイロン / 撮影監督:ジャン・キーサー,ASC,CSC / 特殊メイク:トッド・マスターズ / プロダクション・デザイナー:ロブ・グレイ / 編集:ロジャー・マティアシ / 衣装:マリー・E・マクレオド / 視覚効果スーパーヴァイザー:ジェームズ・ティチェノン / 音楽:ドン・マクドナルド / 出演:キャリー=アン・モス、ビリー・コノリー、ディラン・ベイカー、クサン・レイ、ヘンリー・ツェーニー、ティム・ブレイク・ネルソン、ソニヤ・ベネット、ロブ・ラベル、アレクシア・ファスト、ティファニー・リンドール=ナイト / アナグラム・ピクチャーズ製作 / 配給:Showgate
2006年カナダ作品 / 上映時間:1時間33分 / 日本語字幕:? / PG-12
2007年10月27日日本公開
2009年7月24日DVD日本盤発売 [bk1/amazon]
公式サイト : http://zombino.jp/
DVDにて初見(2009/08/20)
[粗筋]
宇宙から降り注いだ粒子が原因で、世界には死者が忽然と蘇る病が蔓延した。人間と蘇った死者=ゾンビとの戦争は泥沼の様相を呈していたが、ガイガー博士の発明がこれに終止符を打つことに成功する。彼はゾンビの食欲を抑え、大人しくする首輪を開発したのだ。これによってゾンビはコントロールが可能となり、人間は街をフェンスで囲って安全地帯を作り平和を得る一方、ゾンビたちを“ペット”として利用するようになった。ゾンビやフェンスの維持管理は、ガイガー博士が興した会社『ゾムコン』が行い、世界は新しい秩序によって支配されるに至った。
ティミー・ロビンソン(クサン・レイ)が暮らす街・ウィラードに、『ゾムコン』の警備主任ボトムズ氏(ヘンリー・ツェーニー)が引っ越してきた。ロビンソン家は家長のビル(ディラン・ベイカー)がゾンビ嫌いのため、近隣で唯一ゾンビを飼っていなかったが、世間体を気にする妻ヘレン(キャリー=アン・モス)は越してきたボトムズ一家にうっかり「ひとり飼っている」と言ってしまったため、辻褄を合わせるために急遽ゾンビを取り寄せる。
父・ビルはむろんのこと、どうも鈍重で要領の悪いゾンビがいまいちしっくり来ないティミーだったが、いじめっ子たちに襲われかけたところを助けてもらったことを契機に意識が一変する。両親に先駆けてゾンビをファイド(ビリー・コノリー)と名付け、首輪はともかく鎖はかけずに、次第に親しくなっていく。
しかしさっそく問題が発生した。なかなかキャッチボールが出来ないので、代わりにボールを拾いに行かせたところ、近所の意地悪ばあさん・ヘンダーソン夫人を襲ってしまったのだ。飼っていたゾンビが人を襲ったとき、飼い主にも罰が与えられる、という話を知っていたティミーは夜になって夫人を捜しに行くが、時既に遅く、ヘンダーソン夫人はゾンビ化し、更に他の住民を襲っていた。
とりあえずヘンダーソン夫人はガイガー博士の銅像脇にある花壇に埋めて隠滅を図ったティミーだったが、それだけで事態は解決しなかった……
[感想]
ジョージ・A・ロメロ監督がその定義を完成させて以来、すっかりホラー映画ではお馴染みのガジェットとなった“ゾンビ”であるが、定番になったからこそ、その特徴を活かしたパロディ、コメディの類も多く作られている。
だが、本篇のような切り口はちょっと珍しいのではないか。ゾンビを飼う、というのはロメロ作品でも、ゾンビ物の様式を踏襲した傑作『28日後…』でも描かれているものの、その一点を突き詰めて世界観を構築していった作品、というのは咄嗟に思い浮かばない。飼育するためのアイテムの扱い、社会的なルールの設定がそのまま独特な物語の発展に貢献しているし、微妙に狂った倫理観をもある意味で正当化している。着想の時点で既にかなりの勝利を収めている、と言っていいほどだ。
しかし本篇はそこに留まらず、表現の仕方にも拘って、いっそう独特の世界観を築きあげた。色彩は極めて明るく、だが家屋や乗用車のデザインはオールドファッションなものを採用、移動する車の背景をあえてぎこちないまま合成した画面は、古さと新しさが奇妙なレベルで同居している。BGMも、オリジナル曲はストリングス主体で幾分騒々しい作りに、歌ものも古い歌謡曲を中心に採り上げており、独特の画面と相俟って懐かしくもポップな雰囲気だ。
ポップな雰囲気の中、ゾンビを扱っているとは思えないほど長閑な印象で物語は繰り広げられるが、前述の通り、その倫理観、価値観はどこか奇妙だ。ゾンビに囲まれた街で暮らしているため、自衛の必要があるのは解るが、小学校でゾンビを的確に仕留めるための射撃術を教育し、ティミー少年をいじめる子供たちはライフルを脅しの道具に使い平然と銃口を向ける。死後復活しないように、首を切り離しての埋葬が行われる一方、葬儀の費用が高騰化しており、ゾンビを怖れるティミーの父親は家族の葬儀を催すために専用の保険に加入している。しかし、ファイドと名付けたゾンビとの交流を経て抵抗感の無くなったティミーとヘレンは、死んだらゾンビになると言い出す……シチュエーションが許した奇妙なやり取りが、終始緩い笑いを誘う。ゾンビを巡る描写は概ね基本に忠実で、慣れていない人にとってはおぞましい場面も随所に鏤められているが、だからこそ登場人物の反応がズレた印象を齎し、滑稽さをいや増しているのだ。
登場人物たちはいい話のように装っているが、犠牲者はあまりに多いし、最後の成り行きは非常にブラックで、毒が滲み出ている――というよりほぼ剥き出しの状態だ。画面上の人々は微笑んでいるし、こちらも苦笑いを漏らすものの、冷静に考えると実に薄気味の悪い顛末である。
ゾンビに水をかけたりしたら腐敗を促進してしまわないか、という用途上の疑問も幾つかあるが、その程度は些細なことだろう。ゾンビ、というモチーフの持つ奇妙な特徴を限界まで活かした、ファンタジックなブラック・コメディである。ゾンビが好きな人はむろん、多少残虐な描写があっても凝った趣向やユーモアがあればOK、という方ならきっと、好きになるはずだ。
関連作品:
『28日後…』
『山形スクリーム』
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