原題:“Requiem for a Dream” / 原作:ヒューバート・セルビーJr.『夢へのレクイエム』(河出書房新社・刊) / 監督:ダーレン・アロノフスキー / 脚本:ヒューバート・セルビーJr.、ダーレン・アロノフスキー / 製作:エリック・ワトソン、パーマー・ウェスト / 製作総指揮:ボー・フリン、ステファン・シムコウィッツ、ニック・ウェクスラー / 撮影監督:マシュー・リバティーク / プロダクション・デザイナー:ジェームズ・チンランド / 編集:ジェイ・ラビノウィッツ / 衣装:ローラ・ジーン・シャノン / 視覚効果スーパーヴァイザー:ジェレミー・ドーソン、ダン・シュレッカー / 音楽:クリント・マンセル / 演奏:クロノス・カルテット / 出演:エレン・バースティン、ジャレッド・レト、ジェニファー・コネリー、マーロン・ウェイアンズ、クリストファー・マクドナルド、ルイーズ・ラサー、キース・デヴィッド、ショーン・ガレット、ディラン・ベイカー、ピーター・マローニー / 配給:XANADEUX
2000年アメリカ作品 / 上映時間:1時間42分 / 日本語字幕:? / R-15
2001年7月7日日本公開
2004年6月25日DVD日本盤発売 [bk1/amazon]
DVDにて初見(2009/09/12)
[粗筋]
ニューヨーク、ブルックリン地区にあるコニー・アイランドの古びたアパートにひとり暮らすサラ・ゴールドファーブ(エレン・バースティン)にとって唯一の楽しみは、タピー・ティボンズ(クリストファー・マクドナルド)の司会するテレビショーを観ることだった。ひとり息子のハリー(ジャレッド・レト)がクスリを買う金欲しさに持ち去り売却してしまっても、サラはすぐさま自分で買い戻している。この不毛なやり取りを、何度も繰り返していた。
だが、ある春の日、そんなサラのもとに朗報が届く。タピーのテレビショーの出演者候補に、サラが選ばれたのだ。間もなく送られてきた書類に必要事項を記して投函し、あとは先方の連絡を待つだけだったが、そのあいだにステージ用の衣裳を捜していたサラは、とっておきのドレスがまったく入らなくなっていることに気づき、愕然とする。
その頃ハリーは、友人タイロン(マーロン・ウェイアンズ)の薦めで、彼と共にドラッグの卸売を始めていた。伝手で大量に買い込んだドラッグに混ぜ物をして売り捌く、というやり口は思いの外当たり、ハリーは恋人のマリオン(ジェニファー・コネリー)と、稼ぎを元手に店を開く計画を立てる。
その前に、ずっと迷惑をかけ通しだった母に恩返しと、恋人が出来たことを報告しようと思い立ったハリーは、夏になってサラのもとを訪れた。だが、久々に逢ったサラは、様子がおかしくなっていた。聞けば、ダイエットのためにクリニック通いをしており、薬を処方してもらって以来、調子がいいのだと、異様なハイテンションで訴える。ハリーはすぐにピンと来て、薬の服用を止めるように忠告した。悪質なクリニックでは、薬に覚醒剤を混ぜていることがあるのだ。
サラはハリーの忠告にまるで耳を貸さなかった。いつ来るかも解らない出演依頼の日のために、出来る限り美しい姿を取り戻したいのだ、と。
ハリーはそれ以上何も言えなかった――いや、言えなくなった。秋の訪れと共に、彼の未来設計が突如として破綻を来したからだった……
[感想]
監督のダーレン・アロノフスキーは本篇を「モンスターの登場しないホラー映画」と表現していたという。どれほどの表現を尽くすよりも、この言葉がいちばん本篇の特性、面白さを象徴しているだろう。
主題はドラッグだが、例えば『トラフィック』のような社会性に踏み込もうと意図した作りではない。社会性を付与しようとした場合、誰かしら“素面”の人物が絡むことで、ドラッグに溺れた人間の悲劇を客観的に捉える必要があるが、本篇はとことん主観的だ。彼らの言動が客観的にどう感じられるのかではなく、当人の感覚を描くことに意を注いでいる。
登場人物たちが破滅していく過程は、決してユニークなものではない。ダイエットの薬として処方されたものに覚醒剤が混入して依存症になる、というのはあまり映画では描かれていなかった筋書きだが、覚醒剤にハマり、取引で金儲けを目論んだ若者たちの末路もまた有り体だ。
ただ、いずれの場合も、その転落が強烈に痛感できるように描かれている。序盤はサラもその息子ハリーと友人たちもいっそ躁状態と言っていいくらいにはしゃぎ、展望も極めてポジティヴだ。この時点で既に危険な匂いは漂っているが、サラと同じアパートに暮らす老人たちは気づいていないし、ハリーたちに至ってはまるで自覚していない。この序盤のコメディ的な明るさが、そのまま終盤の恐怖を徹底的に膨張させる。
転落しはじめたら最後、この物語にはいっさい救いがない。主要登場人物がすべて汚染されているために、誰も手を差し伸べられないせいなのだが、とことん堕ちていく様は観ていて心が鬱ぐ。映画には救いが必要だ、とか爽快感があってこその娯楽作品だろう、という考え方をする人にとってはとうてい受け入れがたい成り行きだが、薬物によって侵蝕され、生活も心も肉体も冒されていく恐怖を徹底して観る側に味わわせる、という目的においては完璧な仕上がりだ。
破綻していく人々の表情を描写する上で、本篇は顔の前に小型カメラを固定して撮影する手法を多用しているが、これが思いの外奏功している。やり過ぎると陳腐になりかねないのだが、使う場所が的確なので、かなり効果を上げている。とりわけクライマックス、それぞれが最悪の状況に追い込まれた中心人物の表情を入れ替わり立ち替わり見せていくくだりのインパクトは強烈だ。
映画に対する興味の中心を爽快感やポジティヴな感動にではなく、表現の深度に求めるような人にとっては満足のいく可能性が高い本篇だが、一方で監督ダーレン・アロノフスキーの最新作『レスラー』と並べて鑑賞すると、非常に興味深い1本でもある。例えば前述の、人物の顔にカメラを固定して撮影する手法は、『レスラー』においてひっくり返されて、背中から人物を追った映像が多い。人々の想いが断絶してしまった本篇とは逆に、社会との付き合い方に苦しむ人物たちの姿こそ主題になっているから、という部分もあるだろう。また、舞台がどうやら同じブルックリンに設定されているようで、随所で同じロケーションが目につくのも面白い。意識して対応している部分もあると思われ、比較してみるのも一興だろう。
如何せん、本当にまるで救いのない話であり、感受性の強い人は終日引きずってしまう恐れがあるので迂闊には薦められないが、ある主題を突き詰める、という意味では完璧な映画である。
関連作品:
『レスラー』
コメント
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