『アイム・ノット・ゼア』

アイム・ノット・ゼア [DVD]

原題:“I’m Not There” / 監督・原案:トッド・ヘインズ / 脚本:トッド・ヘインズオーレン・ムーヴァーマン / 製作:クリスティーン・ヴァション、ジェームズ・D・スターン、ジョン・スロス、ジョン・ゴールドウィン / 製作総指揮:ジョン・ウェルズスティーヴン・ソダーバーグ、エイミー・J・カウフマン、ヘンガメ・パナヒ、フィリップ・エルウェイアンドレアス・グロッシュ、ダグラス・E・ハンセン、ウェンディ・ジャフェット / 共同製作:チャールズ・パグリース / 撮影監督:エドワード・ラックマン,A.S.C. / プロダクション・デザイナー:ジュディ・ベッカー / 編集:ジェイ・ラビノウィッツ,A.C.E. / 衣装:ジョン・ダン / ヘア&メイクアップ・デザイン:ピーター・ソード・キング、リック・ファインドレイター / 音楽監修:ランドール・ポスター、ジム・ダンバー / 出演:クリスチャン・ベールケイト・ブランシェット、マーカス・カール・フランクリン、リチャード・ギアヒース・レジャーベン・ウィショージュリアン・ムーアシャルロット・ゲンズブールミシェル・ウィリアムズ、デヴィッド・クロス、ブルース・グリーンウッド / ナレーション:クリス・クリストファーソン / エンドゲーム・エンタテインメント製作 / 配給:Happinet Pictures×DesperaDo / 映像ソフト発売元:Happinet Pictures

2007年アメリカ作品 / 上映時間:2時間16分 / 日本語字幕:? / PG-12

2008年4月23日日本公開

2008年10月24日DVD日本盤発売 [bk1amazon]

公式サイト : http://www.imnotthere.jp/ ※閉鎖済

DVDにて初見(2009/09/24)



[粗筋]

 ウディ(マーカス・カール・フランクリン)は、有名なミュージシャンに憧れ放浪の旅をしている。幼いながら優れた音楽の腕は行く先々で賞賛を浴びるが、しかし彼には定住できない理由があった……

 アルトゥール(ベン・ウィショー)は若き詩人。何者かの問いかけに、謎めいた言葉で応える。その言霊はまるで、既に自らの人生を読み切っているかのようだ……

 ジャック・ロリンズ(クリスチャン・ベール)は多くの追随者を生んだ天才フォーク・シンガー。民衆の率直な想いを歌い、抵抗を掲げる彼の歌には多くの信奉者がいたが、しかし彼は最盛期に突如引退を表明する。彼が選んだのは、宗教家になる道だった……

 ロビー(ヒース・レジャー)は俳優。ジャックの早すぎる伝記映画で主演したことをきっかけに名声を得るが、そのために愛する女性クレア(シャルロット・ゲンズブール)との関係に歪みを生じてしまう……

 ジュード・クイン(ケイト・ブランシェット)はフォークを捨て、ロックシンガーに転身したカリスマ。ツアー中のイギリスで多くの公演を行うが、あまりに変わりすぎた音楽性、主題は各所で罵声を浴びる。それでも傍若無人に振る舞う彼であったが、次第に様子がおかしくなっていく……

 ビリー(リチャード・ギア)は放浪の果てに、朽ちかけた村で暮らす世捨て人。しかし、そうして逃げこんだ地に間もなく高速が通るという事実を知る。絶望に打ちひしがれる人々の姿に、彼はあるものを見た……

 ――それぞれ別の時代、別の場所に生きる男の物語。だがこれは同時に、たったひとりについての物語でもある――

[感想]

 多くの主要人物の名前が並んでいるが、本篇はあくまで“ボブ・ディラン”という、アメリカ音楽界最大の象徴のひとりであり、極めて複雑で多彩な生き方をしてきた男の、その歌の世界と人生とを反映した物語だ。

 この大前提を知らないままだと、本篇はほとんど意味不明に映るだろう。ジャックというフォーク・シンガーをロビーが演じている、という描写があるが、2人の人物に密接な関わりがあるようには描かれていないし、ラストシーンで突如示されるエピソード同士の繋がりは、観る側に混乱を齎す可能性がある。いずれも、すべての人物がボブ・ディランの歌や生き様をもとにしている、という前提を承知していてこそ、観る人それぞれの解釈に繋がる。

 実のところ私は、劇場公開前に得た断片的な情報から、6人の俳優が同じボブ・ディランという人物の、別々の時代の表情を演じるのだと早合点していた。故に、それぞれが別の名前で呼ばれているのを観て意外の念に囚われたのだが、しかし終わってから俯瞰してみると、正しい手法だったと思う。ボブ・ディランという人物の影として描かれる主要人物がそれぞれに切り離されているからこそ、各個の持つ特徴的な側面が強調されている。

 6人の配役も絶妙だ。人種も年齢も性別も、それぞれのテーマをうまく表現できる役者を選んでいる。たとえば、『リベリオン』や『ダークナイト』で自らの信条と現実との齟齬に悩む役柄を見事に演じてきたクリスチャン・ベールは、カリスマ的なフォーク・シンガーから意外な転身をした男に扮するには最善の俳優だろう。ヒース・レジャーは本篇に先行する『キャンディ』を彷彿とさせる、愛と幸福の狭間で苦しむ男を淡々と、しかし切実に演じており、やはり見事な嵌りようだ。

 だが何と言っても絶妙なのはケイト・ブランシェットの起用だろう。彼女が演じているのは、ある意味で他のどのキャラクターよりも、世間一般が抱く“ボブ・ディラン”のイメージに近い人物像だが、しばし女性であることを忘れてしまうほど完璧になりきっている。この役柄は幾分線の細さが求められており、もともと女性が演じるのが相応しかったと思えるものだが、作品ごとにまるで別人と見紛うばかりの異なった表情、違った雰囲気を纏う彼女だからこそ、ここまで完璧にこなすことが出来たのだろう。時折“女性”がちらつくように感じられるのも、本篇においては絶妙の匙加減だ。

 この作品では、キャラクターを描くための視点や映像のトーンも意識的に切り替え、人物像に見られる差違をいっそう克明なものにしている。ケイト・ブランシェット演じるジュード・クインの場面はすべてモノトーンで綴られ、終始古いフィルムを眺めているかのような印象を齎す。クリスチャン・ベールが扮したジャック・ロリンズはドキュメンタリー映画の体裁で描写され、終始本人の心境は窺い知れず、その神秘性と、裏腹な懊悩とが仄めかされる。若き詩人アルトゥールに至っては、すべてのシーンがカメラ目線で、“ボブ・ディラン”を象徴する登場人物全員の人生を知り尽くしたかのような言葉を観客に向かって投げかける。各パートの揺らぎのない表現が、それぞれのキャラクターに象徴される“ボブ・ディラン”の歌の世界や彼の人生に対する世間の見方を先鋭化し、戯画化しているのだ。

 本篇が“ボブ・ディラン”という人物を解体し、主題や時代性を凝縮して描き出したものだ、と知ったうえで鑑賞していると、次第に彼の本質に触れたような想いを抱き、親しみを感じるようになる。だが、最後のシークエンスでその印象は突然、まるでするり、と腕の中から抜け落ちていったかのように感じるはずだ。最後の最後で、エピソード同士が緩やかに連携したかのような描写が添えられるが、そのせいで個々のエピソードの際立ったインパクトは急に溶けあい、混ざり合ってしまう。まるで、「知った気になるな」と皮肉な笑いを浮かべて、背を向けられたような締め括りなのだ。

 そう感じた瞬間に、この謎めいたタイトルに得心がいく。多くのイメージ、逸話が語られるが、それらがすべて“ボブ・ディラン”であると同時に、決して“ボブ・ディラン”そのものではない。そこに“彼”はいないのだ。

 こんな風に、鑑賞しながら積極的に解釈していくこと自体が本篇の面白さであろう。作り手が提示する物語を素直に受け取って良しとするタイプの人だと最後まで乗れないだろうが、表現のユニークさ、解釈することを楽しもうとする向きには極めて味わい甲斐のある1本である。――そう理解した上でも、“ボブ・ディラン”という人物像を徹底的に分解し、極端化した本篇の手法を是とするか非とするかによって、評価は大きく割れると思われるが。

関連作品:

エデンより彼方に

リベリオン

ダークナイト

キャンディ

ベンジャミン・バトン 数奇な人生

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