『ウェイトレス 〜おいしい人生のつくりかた』

ウェイトレス~おいしい人生のつくりかた [DVD]

原題:“Waitress” / 監督・脚本・出演:エイドリアン・シェリー / 製作:マイケル・ロイフ / 製作総指揮:トッド・キング、ジェフ・ローズ、ダニエル・レンフルー、ロバート・バウアー / 撮影監督:マシュー・アーヴィング / プロダクション・デザイナー:ラムジー・エイブリー / 編集:アネット・デイヴィー / 衣装:アリイェラ・ウォルド=コヘイン / キャスティング:サンディ・ボリング、メグ・モーマン / 音楽:アンドリュー・ホランダー / 出演:ケリー・ラッセル、ネイサン・フィリオン、シェリル・ハインズ、ジェレミー・シスト、アンディ・グリフィス、エディ・ジェイミソン、リュー・テンプル、ダービー・スタンチフィールド、アンディ・オストロイ、ソフィー・オストロイ / ナイト・アンド・デイ・ピクチャーズ製作 / 配給:20世紀フォックス

2006年アメリカ作品 / 上映時間:1時間48分 / 日本語字幕:?

2007年11月17日日本公開

2008年11月7日DVD日本最新盤発売 [bk1amazon]

公式サイト : http://movies.foxjapan.com/waitress/

DVDにて初見(2009/10/17)



[粗筋]

 妊娠検査薬に陽性反応が出たのを見た瞬間、ジェナ(ケリー・ラッセル)は絶望した。まさか酒の上の過ちたった1回で、人生をフイにするなんて。

 過ちの相手は、ジェナの夫・アール(ジェレミー・シスト)だった――しかしジェナは既に彼に対して憎しみしか抱いていない。独占欲が強く横暴な彼から逃れるために、いつも受け取るなり奪われる給料を少しずつ隠して、逃走する費用を蓄えているところだったのに。堕ろすにも金がかかるが、赤子を抱えた独身女が生きていくには社会は厳しすぎる。厭でもジェナは生まないわけにはいかなかった。

 アールに切り出すタイミングもなかなか掴めないまま、ジェナは正式な検査を受けるためにかかりつけの病院を訪ねる。しかし、ジェナを母のお腹から取り上げた大ベテランの医師はいつの間にか引退しており、新しい担当医として現れたのはジム・ポマター(ネイサン・フィリオン)という男性の医師だった。

 いささか頼りなく、しかしアールと較べれば遥かに優しさを感じさせるポマター医師に、ジェナはいつしか恋心を抱くようになる。対するポマターも、左手薬指に指輪を嵌める立場だが、ジェナが来訪するたびに振る舞うお手製のパイの味と彼女の不幸な境遇への同情も絡んで、衝動的に彼女を求めてしまう。

 妊娠も新しい恋も喜べない、ジェナの幸せは何処にある……?

[感想]

 シングル・マザーの生活は非常に厳しい。こと、本篇の主人公・ジェナのように、ウェイトレスの心許ない日給のまま結婚を解消すれば、家のこと、働いているあいだの子供の面倒など、問題が山積みになって、金銭的にも精神的にも追い詰められるのが目に見えている。夫の横暴が原因で離婚した結果だとしても、社会からの援助は期待できないのだ。

 想像してみれば当然のこの現実を、本篇は非常に率直に、実感的に描いている。監督自身が語っているように、結婚も妊娠も、必ずしも喜びを以て迎えられるわけではない。さほど困難を抱えていない人でも不安を覚えるものだろうし、本篇の主人公のように、結婚自体が臨まぬ状態にあるのに、不慮の成り行きから妊娠してしまったら、いっそう不安は大きく動揺も激しい。

 しかし本篇は、そんな主人公の悲壮な様子をきちんと織り込みながらも、全体のトーンはひたすらユーモラスだ。冒頭、妊娠検査薬片手に祈りを捧げているようなジェナと、彼女を囲む同僚たちのやり取りからしてまず妙に不謹慎だし、その後、ジェナの変化に絡めて示される同僚たちの恋愛事情も妙に笑いを誘う。当のジェナ自身にしたところで、ポマター医師と関係を持つ直前の駆け引きの珍妙さが際立ち、嫌っている夫とのやり取りでさえ、傍目には滑稽だ。特に、ポマター医師から彼女を求めていることを告げられたあと、何シーンにも亘って続く驚愕の表情は見ていて笑いが止まらない。

 本篇の巧妙なところは、登場人物の誰ひとりとして完璧ではなく、それでいて憎めない人柄として描かれているからだろう。美人や美男子はほとんど登場せず、何処かしら変わった容姿、奇妙な性格を持っている。しかしそれぞれに悩みを抱えていたり、予想外の出来事に見舞われたり、逆にここぞというところで不思議な人の好さを示したりする。主要登場人物のほとんどに用意された見せ場で垣間見せる、彼らの人間としての奥行きが、物語にユニークさと共に親しみやすさ、快さを添えている。小柄で眼鏡という容姿がインパクトのあるドーンがストーカー同然だった男にいつしか陥落されてしまう過程や、ジェナ達の勤務先のボスが普段の横柄で無愛想な物言いに似合わず深淵で思いやりのあるひと言を吐いたりと、個々に存在感を発揮する場面があって、手捌きの細やかさを感じさせる。

 終始シビアな筋書きを繰り広げてきた本篇は、だが最後に少しファンタジーめいたハッピーエンドに辿り着く。そこで少し物語の強度を弱めた、と感じる人もいるようだが、そうとは言い切れない。この結末に向かっての伏線も怠りなく用意されているし、ラストシーンで描かれる、安っぽくて、それでいて身近な空気を漂わせた“理想郷”は、この物語の備える苦さにも甘さにも相応しい。少なくとも、あの心地好さを余韻として観る者の胸に刻みこむのに、これ以上嵌るエンディングはないだろう。

 スター級の俳優は登場せず、セットも衣裳も安っぽく手作り感覚に彩られている。しかしそれでも、共感を誘い、快い笑いと少しばかりビターな感動をもたらしてくれる、観る者の心に確実に何かを残してくれる逸品である。絵空事めいた幸せを描く映画も好きだけれど、それでは何か物足りない、と感じている人にお薦めしたい。

 本篇の監督エイドリアン・シェリーは、インディペンデント作品を中心に出演する俳優であり、本篇を含め3本の長篇映画を製作している(日本に紹介されているのはこれ1本のみの模様)。この作品の中でも主人公ジェナの同僚、ストーカー紛いの男と恋に落ちてしまう同僚ドーンを演じており、個性的な風貌と口調で鮮烈な印象を与えている。監督としても俳優としても才能のある人だったことが窺えるが、残念なことにこの作品が遺作となってしまった。

 亡くなったのは2006年11月のことで、当初自殺と判断されたが、折しも本編の全米公開を控えた時期に自ら死を選ぶはずがない、と夫が警察に調査を要請し、殺害されたことが判明したという。

 本篇の脚本は監督がまさに妊娠しているさなかに書き上げたもので、そのときの子供ソフィーは主人公ジェナの娘・ルルの成長した姿としてラストシーンに登場している。まるで映画を撮ることが最期のメッセージとなってしまったような経緯が、そういう情報を得ていると物悲しく映る。

 だが、映画人としてのエイドリアン・シェリーは決して不幸ではない。全力を注いだ本篇は高く評価され、彼女が遺した脚本『Serious Moonlight』は、夫アンディ・オストロイが製作を、本篇にもジェナの同僚ベッキーとして出演している親友シェリル・ハインズが監督を担当して映画化され、間もなくアメリカで公開されることが決まっている。アンディは他にもエイドリアン・シェリー基金を立ち上げ、新進の女性映画作家のサポートに着手した。

 エイドリアン・シェリー自身の新作を目にすることが永遠に叶わないのは残念だが、最期に完成した1本がこうした動きに繋がり、新しい感動を生み出す契機にもなっていることは、幸いと呼ぶべきだろう。ならばやはり私たちはこの作品の愉しさを、素直に受け止めていいのだ、と思う。

関連作品:

JUNO/ジュノ

あの日、欲望の大地で

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