原題:“SAW VI” / 監督:ケヴィン・グルタート / 脚本:マーカス・ダンスタン、パトリック・メルトン / 製作:グレッグ・ホフマン、オーレン・クルーズ、マーク・バーグ / 製作総指揮:ダニエル・ジェイソン・ヘフナー、ジェームズ・ワン、リー・ワネル、ステイシー・テストロ、ピーター・ブロック、ジェイソン・コンスタンティン / 共同製作:トロイ・ベグノード / 撮影監督:デヴィッド・A・アームストロング / プロダクション・デザイナー:トニー・イアンニ / 編集:アンドリュー・クーツ / 衣装:アレックス・カヴァナ / 音楽:チャーリー・クロウザー / 出演:トビン・ベル、コスタス・マンディラー、ベッツィ・ラッセル、マーク・ロルストン、ピーター・アウターブリッジ、ショウニー・スミス、サマンサ・リモール、ティネドラ・ハワード、マーティ・モロー、ショーン・アーマッド、ジャネル・ハッチソン、ジェリー・メンディチノ、キャロライン・ケイヴ、ジョージ・ニューバーン、シャウナ・マクドナルド、ラリッサ・ゴメス / 配給:Asmik Ace
2009年アメリカ作品 / 上映時間:1時間31分 / 日本語字幕:松浦美奈 / R-15+
2009年11月6日日本公開
公式サイト : http://saw6.asmik-ace.co.jp/
TOHOシネマズ西新井にて初見(2009/11/06)
注:本作はシリーズ旧作『SAW』『SAW2』『SAW3』『SAW4』『SAW5』の内容を踏まえております。なるべくネタバレはしないように心懸けていますが、どうしても抵触せざるを得ない部分、推測する材料を齎してしまう表現が含まれる恐れがあります。今後鑑賞するつもりのある方は、シリーズをすべてチェックした上で御覧になるか、ネタバレが含まれることを覚悟のうえでご覧ください。
[粗筋]
マスコミは、世間を騒がせた猟奇殺人犯“ジグソウ”=ジョン・クレイマー(トビン・ベル)の死を大々的に報じた。だが一方で、彼亡き後も続く“ゲーム”についてはほとんど言及していない。その犯人がFBIのストラム捜査官と疑われていたからである。
しかし、本当の“ジグソウ”の後継者を自認するマーク・ホフマン(コスタス・マンディラー)は、ストラム捜査官への疑惑を隠れ蓑に、なおも活動を続けていた。彼は、警察署に出入りし“ジグソウ”に関する扇情的な報道を繰り返す記者エミリー(ラリッサ・ゴメス)から、ジョン・クレイマーの元妻ジル(ベッツィ・ラッセル)が遺品として何かの箱を弁護士から受け取った、という噂を聞くと、ジルの元を訪ね、中身を見せるよう要求する。かつては協力し合うこともあったが、ジョン亡き今、ホフマンは自分が“ゲーム”の主導権を握るつもりでいた。ジルは箱の中に収められていた、5つの封筒をホフマンに手渡す。
……そうして、新たな“ゲーム”が始まった。
暗い部屋で目醒めたのは、保険会社の調査課責任者ウィリアム(ピーター・アウターブリッジ)。両手両足首に奇妙な機械を嵌められ、身体を大の字に拡げられた格好で、口には呼吸器、そして両方の脇腹は巨大な万力のようなもので挟まれている。愕然とするウィリアムに、間近に置かれたモニターの中から、死んだはずのジョン・クレイマーが語りかけた。
「ゲームを始めよう」
[感想]
2004年に第1作が発表されて以来、アメリカではハロウィン・シーズンに公開されるのが定着、毎年のようにファンを楽しませてきたシリーズも、はや6作を数えた。第1作の圧倒的衝撃には及ばないまでも、そこにあった微細な不自然さ、違和感を巧みに摘んでシリーズ全体の謎をじわじわと解き明かす一方、各篇で必ず“ゲーム”に関連させたどんでん返しを仕掛け、観る者を瞠目させてきた。
だが、さすがに今回は、そういうスタイルで6作目、というのは無理があったのでは? と首を傾げざるを得ない出来だった。
これまで僅かな間隙を縫うように観客の意表を衝いてきたが、さすがに6作目ともなると隙間も塞がってくる。隙を衝こうとするほどに、パターンの陥穽に落ちてしまうのだ。5作目まではギリギリで切り抜けることに成功していたものの、本篇は完全に従来の応用のみになってしまっている。仕掛けは複数あるが、きちんとシリーズに付き合ってきた人であれば、確実にその意図は見抜けてしまうだろう。
一方で、シリーズ旧作にあった不自然さや謎を拾い上げ、その背後について語ってシリーズ通しての観客を驚かすやり口も限界に来ている。今回も、シリーズ旧作のある描写の背後でこんな出来事があった、という描写が幾つか登場するが、さすがにやり過ぎ、旧作をいじりすぎている、と感じるものがあった。そうでなくても、旧作の出来事についてやたらと共犯者を作りすぎ、ひとつの計画に多くの人間を絡めすぎている不自然さが作を追うごとに際立ってきているのに、本篇では行きすぎて、驚きというよりも下世話さに繋がってしまっている。常に驚きを追求する、という姿勢を貫いていることは敬意に値するが、そのために旧作での登場人物の言動を貶めたり、行きすぎなほどに過去を結びつけていくのはあまり評価出来ない。変に過去を暴いたり新たに構築したりするよりも、“ゲーム”の意図するところや、そちらの関係者の内側で意外性を演出して欲しいところだ。
そうしてある意味、従来のシリーズ作品がもたらしたイメージを覆したり裏切ったりしたうえで、更に驚きや衝撃をもたらしているならまた評価のしようもあるのだが、本篇はそれらが巧く噛み合わず、充分なカタルシスに結びついていない。気づかなければそれぞれに驚きはあるかも知れないが、ではこの出来事はあちらの出来事に対してどんな意味があったのか? どんな含みを持たせたかったのか? という部分が不透明なままなので、インパクトが細切れになってしまっている。前作を知らずに本篇のみを鑑賞する……という人は相当に珍しいだろうし不運でもあると思うが、そういう人に対してもさほど驚愕を味わわせることは出来ないだろう。
加えて、意識して次作に含みを持たせているような描写が多いのも気に懸かる。前作で登場したジョンの遺品の箱の中身が不明のまま、というのもかなり引っ掛かったのだが、本篇では更に多くの含みを残し、わざわざ次作に対する興味を惹こうとしている。第4作あたりまではまだ次を意識しない、すべてに締め括りをつけるような作りをしていて、それでなおも新作を送り出してくるから却って関心を誘ったが、こうして意識して次作への“引き”を作ってしまうとあざとさが生じる。作中でジグソウが仕掛ける“ゲーム”にも似た、これ1回きりの緊迫感が曖昧になり、主題と描き方がどんどん乖離しているように感じられた。
しかし今回、“ゲーム”の趣向については評価出来る。凶悪さだけが目立って逃げる術がなかったり、趣向の残虐性ばかりを過剰に追求する“ゲーム”が多くなっていたが、そういう意味では幾分初心に戻っている。生き残れるのはひとりだけ、とか選択で得られる命の重みを知らしめる、という本来の狙いに近づいており、ただ残虐なだけ、という傾向は薄れた。切り抜ければ脱出できる、と直感できるからこその焦躁、興奮を取り戻している。
このシリーズは2作目から4作目からダーレン・リン・バウズマンが担当していたが、前作で従来トラップのデザインを考案していたデヴィッド・ハックルにバトンタッチ、本篇ではまたケヴィン・グルタートという人物に代わっている。この方は前作まで一貫して編集を担当しており、前作のデヴィッド・ハックル同様にシリーズの雰囲気を理解しているので、色調も演出のテンポも変化はない。むしろ構成の小気味良さ、という意味では前作あたりよりもレベルアップしている。密室内で“ゲーム”を強制されている人物と、外側での出来事とをリズミカルに入れ替え、終盤まで飽きさせず、かつ過剰に緊張感ばかり高まらせて観客を疲れさせない組み立ては巧い。
シリーズの雰囲気、突き抜けた特徴はきちんと引き継いでいて、そういう意味では楽しめるのだが、もっと上を、ふたたび観る者の意表を衝いて欲しい、という願いには応えられていないのが残念であった。
故に、そろそろ限界かも……という感想を漏らしてしまうのだが、実のところ既に続篇の計画は立っているようだ。構成的に1から3までが第1期、4から本篇までが第2期と捉えられ、続篇から第3期のトリロジーが始まる、という解釈も出来るわけだが、さすがにもう期待はしづらい。
……と思い、IMDBで続篇に関する情報を調べてみると、ちょっと面白いことに気づき、興味を惹かれてしまった。監督は第5作のデヴィッド・ハックルがふたたび担当、シリーズのアイコンたるジョン・クレイマー=トビン・ベルがクレジットされているのは当然として、意外だったのはもうひとり、出演が確定しているらしいキャストの名前である。
その俳優はティネドラ・ハワード――いったいどの人物を演じていたのかというと、本篇のプロローグ部分で描かれる“ゲーム”の生存者なのだ。
この人物の再登場、という要素には、ちょっと心惹かれるものがある。やはり、ここまでシリーズを追いかけてきた者としては、来年も劇場に足を運ぶしか選択の余地はないようだ。……何だか私までが、“ジグソウ”の仕掛けるゲームに囚われているような気分である。
関連作品:
『SAW』
『SAW2』
『SAW3』
『SAW4』
『SAW5』
『狼の死刑宣告』
『REPO! レポ』
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