原題:“Inju, La Bete dans L’ombre” / 原作:江戸川乱歩 / 監督:バルベ・シュロデール(バーベット・シュローダー) / 脚本:ジャン=アルマン・ブグレル、フレデリック・アンリ、バルベ・シュロデール / 製作:サイード・ベン・サイード、ヴェラーヌ・フレディアーニ、フランク・リビエール / 助監督:オリヴィエ・ジャケ / 撮影監督:ルチアーノ・トヴォリ / プロダクション・マネージャー:ブリュノ・ベルナール / 美術:小川富美夫 / 衣装:菅谷文子 / アート・アドヴァイザー:ミレナ・カノネーロ / 編集:リュック・バルニエ / 録音:ジャン=ポール・ミュジェル、フランシス・ヴァルニエ、ドミニク・エヌカン / 音楽ジョルジュ・アリアガダ / 出演:ブノワ・マジメル、源利華、石橋凌、島岡現、西村和彦、藤村志保、菅田俊、福井友信、霧島れいか、モーリス・ベニシュ、辻本一樹、新穂えりか、尾関伸嗣 / 配給:FINE FILMS / 映像ソフト発売:Happinet Pictures
2008年フランス作品 / 上映時間:1時間45分 / 日本語字幕:?
2009年8月22日日本公開
2010年1月1日DVD日本盤発売 [bk1/amazon]
公式サイト : http://www.finefilms.co.jp/inju/
DVDにて初見(2010/01/04)
[粗筋]
フランス人の推理作家アレックス・ファヤール(ブノワ・マジメル)は、10年ほど前に忽然と現れた日本の覆面作家の大江春泥に憧れ、彼の世界観になぞらえた小説を発表した。その作品『黒い瞳』は大江のいる日本、しかも彼の作品を刊行している出版社・白文館で訳出されて好評を博し、アレックスはキャンペーンのために日本の京都へと招かれる。
かねがね大江と議論を交わしたいと願っていたアレックスは、出版社を通して対面する機会を求めるが、大江は一切の露出を認めず、アレックスの頼みも断られる。だが、アレックスが出演した歴史のある文芸番組で、大江は意外な形で接触してきた。視聴者からの質問を募るコーナーに、大江は電話をかけてきて、「すぐにフランスに帰れ」と脅迫めいた言葉を投げかけると、さっさと切ってしまう。
その日の夜、白文館の担当編集者・本田(島岡現)の案内でお茶屋を訪れたアレックスは、フランス語を嗜む芸妓・玉緒(源利華)と知り合う。彼の名前も知っていた彼女に、冗談半分で連絡先を記したサイン本を手渡したところ、翌る朝には玉緒から逢う約束を申し込んできた。
だが、アレックスと落ち合った玉緒は、彼に思わぬ相談を持ちかけてくる。彼女には15年前、親しくなった平田一郎(尾関伸嗣)という男がいた。やがて平田は玉緒に求婚したが、芸妓という仕事を退いてまで添い遂げるほどの愛情を抱いていなかった玉緒は拒絶する。途端に、彼は豹変した。玉緒に暴行を振るい、その翌日、彼女の家の玄関に首を切った猫の死骸を置いて、姿を消してしまう。以来音沙汰のなかった平田から1ヶ月前、突如として玉緒の働くお茶屋に手紙が届けられた。
彼女に対する憎悪を綴ったその手紙には、平田自身が大江春泥である、と署名がしてあった。平田は、大江の著作に綴られた残酷な描写こそが、自らの心の内を物語っている、という……
[感想]
江戸川乱歩の小説を、フランスのスタッフ、キャストが映画化する、と聞くと、たぶん多くの探偵小説愛好家、乱歩愛読者は悪い意味での期待を抱くだろう。どれほど改竄されているのか、奇天烈な代物になってしまうのか。実際私自身がそんな感覚で、本篇の日本での上映を恐る恐る待っていた。劇場公開の期間はタイミングが合わずに観逃してしまい、DVDリリースでようやく念願叶った、という経緯である。
そういうわけで、おっかなびっくり、という表現の似つかわしい心境での鑑賞であったが、早いうちにそれは驚きに変わり、最後には感嘆するに至った。
如何にも海外の監督が撮った作品らしく、京都・祇園を舞台に、芸妓や日本刀でのアクションなど、海外の人間が日本らしいと感じるであろうモチーフがのっけから目白押し、という風にも捉えられるが、そのテンポや映像の雰囲気などが、日本で作られた乱歩原作のドラマや映画に近く、先入観抜きで鑑賞すれば、日本産だと勘違いしそうなほどに真に迫っている。芸妓の世界の風習や立ち居振る舞い、法律の部分で違和感や微妙な部分を目にすることはあるが、この程度は日本人が作っても同様のミスを犯すだろうし、敢えて過剰に描いているという見方も出来る。
真相を察知するための手懸かりがあまりに少なかったり、主人公が推理作家というわりにはあまり筋の通った謎解きをしていなかったり、という疑問も多々あるが、しかしその類の欠点は、江戸川乱歩の原作、ひいては“通俗もの”などと呼ばれたタイプの乱歩作品が孕んでいた欠点であり、特徴でもある。むしろあまり過剰に付け足すことなく、その胡乱さが演出する妖しさを留めているのは、脚色として優秀な部類だろう。
主人公をフランス人に設定し、かつ京都、祇園を舞台に置き換えるという、如何にも海外の映画監督がやりそうな脚色も、ちゃんと作品にとって充分な必然性が備わっているのもいい。こと、芸妓を組み込んだ理由付けについては、日本人の目で見ても感心する。無論、祇園や芸妓の世界に詳しい人間なら細かく不自然なところを見出して不快に思うだろうが、日本人なら誰もお茶屋のしきたりに精通しているわけではない。少なくとも、おおよその日本人がしているのと同じ程度に理解をして、その上にアイディアを乗せていることは確かな出来に、好感を抱くはずだ。
動機の設定にいささか非現実的な点があるのも確かだが、大枠の発想は乱歩らしい幻想性、寓話性をきちんと押さえており、そのアンバランスさもむしろ乱歩らしさを感じる。
基本的なスタッフはフランスを中心に招かれているが、美術と衣裳は日本映画のスタッフに託し、映像的にもどこか昔懐かしい邦画の匂いを再現しているのも好感を抱く。たとえば、そうした構築美の上に更にアイディアを、乱歩らしさを留めながらも隙のない論理性や詭弁を、などと高くハードルを設定すると物足りなさを感じるのも間違いないが、海外の監督が撮ったからとんでもない代物だろう、などと高を括って観れば足をすくわれるくらいに、良質の映像化である。
imdbの評価はあまり高くないが、恐らく他のどの国よりも、日本の観客がいちばん本篇を理解し受け入れるはずだ。とりわけ乱歩の小説の愛好家や、往年のテレビドラマ化された江戸川乱歩作品に親しんできた人ならば、意外な喜びを得られる思う。……ただどうしても、他の国でも通用する仕上がりにして欲しかった、と残念に感じることは止められないだろうけれど。
関連作品:
『盲獣VS一寸法師』
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