『オテサーネク』

オテサーネク(廉価版) [DVD]

原題:“Otesanek” / 監督・脚本・製作・美術・衣裳:ヤン・シュヴァンクマイエル / 製作:キース・グリフィス、ヤロミール・カリスタ / 撮影監督:ユーライ・ガルヴァネク / 美術・衣裳:エヴァ・シュヴァンクマイエロヴァ / 編集:マリア・ジマノーヴァ / 出演:ヴェロニカ・ジルコヴァ、ヤン・ハルトゥル、ヤロスラヴァ・クレチュメロヴァ、パヴェル・ノーヴィ、クリスティーナ・アダムコヴァ、ダグマール・ストリブルナ / 配給:チェキスー・ケー=レン・コーポレーション / 映像ソフト発売:Uplink

2000年チェコ、イギリス合作 / 上映時間:2時間12分 / 日本語字幕:寺尾次郎 / 字幕監修:ペトル・ホリー / PG-12

2001年11月3日日本公開

2006年5月26日DVD日本最新盤発売 [amazon]

DVDにて初見(2010/01/12)



[粗筋]

 カレル・ホラーク(ヤン・ハルトゥル)とボジェンカ(ヴェロニカ・ジルコヴァ)の夫妻は、子供が出来ないことに悩み、不妊治療に赴いたが、結果ふたりが知らされたのは、決して彼らが子宝に恵まれることはない、という哀しい事実であった。

 隣人のシュタードレル夫妻はそんな彼らを心配し、気晴らしに訪れるための別荘を購入することを薦めた。提案を受け入れたカレルだが、いざ別荘を訪ねても、ボジェンカの気鬱が晴れる様子はない。苛立ちながら庭の整理をしていたカレルは、掘り出した木の根が人の形に似ていることに気づいて、一計を講じた。

 その日の夜遅く、食事をしていたボジェンカのもとにカレルが持ち込んだのは、木の根を大雑把に削って仕立てた人形であった。あくまでも少し喜ばせるだけ、のつもりでカレルが用意したプレゼントに、だがボジェンカは予想以上の反応を見せる。その木の根を本物の子供と信じこみ、用意していた子供服を着せ、おしめを着けさせ、家に連れ帰ろうとしたのだ。妻の狂態に動揺しつつもカレルは、いきなり赤ちゃんを連れ帰れば誘拐を疑われる、木の根を別荘に残し、週末だけ逢いに来ればいい、と諭してどうにか彼女を連れ帰る。

 しかし数日後、帰宅した彼は、シュタードレル夫人(ヤロスラヴァ・クレチュメロヴァ)から妊娠を祝福する言葉をかけられ、呆然とする。ボジェンカは週末だけの逢瀬では納得できず、自然に“我が子”を家に迎え入れるために、妊娠を偽装する計画を立てていたのだった。

 こうして、ホラーク夫妻の異様な生活が始まる。周囲の人々は、ようやくふたりに訪れた幸せを喜ぶだけだったが、ただひとり、そんな夫妻に疑問の眼差しを向ける者がいた――シュタードレル夫妻のひとり娘、アルジュビェトカ(クリスティーナ・アダムコヴァ)である……

[感想]

 監督であるヤン・シュヴァンクマイエルは、もともと造形作家であり、自らの製作したパペットを用いた短篇アニメーション映画を多く撮ってきた人物であるという。生憎私はそれらの作品に触れたことはないのだが、本篇にはその作風の片鱗が窺える。

 本篇のタイトルである“オテサーネク”というのは、どうやらチェコではある程度人口に膾炙した童話のようだ。だが、知らないからと言って本篇を観る上で障害とはならないし、その内容を知るよすがも、それが本篇の舞台ではそれなりに知られた話であることを窺わせるシーンも盛り込まれている。

 中盤、妻の策略もあって、シュタードレル家の人々の前で子供が産まれた瞬間の喜びを演じねばならなくなったカレルは、アルジュビェトカから「子供の名前は?」と問われ、反射的に“オテサーネク”と答えそうになり、代わりに頭の音が似た“オティク”という名前を口にしている。この出来事がのちにアルジュビェトカが、“オティク”という赤ん坊に対して抱いた疑念を探るときに、お伽噺の本に当たる、という手段を取らせ、彼女の朗読と絵本のタッチを基本としたアニメーションという形で、作中に“オテサーネク”のストーリーを綺麗に組み込んでいる。非常に巧みな構成だ。

 そうして語り口に洗練を窺わせる一方で、作品世界は朴訥で、恐らくはチェコのごく普遍的な家庭像や生活を描いていると思われ、生々しさが色濃い。しかし、随所に登場するモチーフはそんな生々しさの中で、ハッとさせられるほどに強烈なインパクトを放ってくる。そもそも冒頭の時点で、産院の窓からカレルが階下を眺めたときに幻視する奇妙な光景からして鮮烈だが、すぐに彼の妻が見せる狂的な振る舞いも衝撃的であるし、そんな彼らの姿を眺めながら、幼くして性に関する専門知識を漁り賢しらな口を利き、ホラーク夫妻の奇矯な言動に目を光らせるアルジュビェトカがまた突出して異様だ。遥か遠い地で暮らす者にも直感的に理解できるような日常の、すぐ隣で繰り広げられるグロテスクなドラマが、本篇の寓話性を高めている。

 木の根を使って作られた赤ん坊や、絵画調で描かれた絵本のアニメーションの、それぞれやたらとぎこちない動きも、作品の幻想性を強めている。2000年であればもっと遥かに洗練された、滑らかな動きを作ることも決して不可能ではないだろうが、それを敢えて昔ながらのストップモーション・アニメ、しかもかなりコマを落とした粗い仕上がりにすることで、現実とも幻想ともつかない、奇妙な距離感を醸成している。恐らくどちらも、リアルに作ってしまえば、わざとらしさを禁じ得ないはずで、題材と表現手法との噛み合い方が絶妙だ。

 物語自体も、途中で示される“オテサーネク”の筋をベースにしながら、現代的なペーソスを添えていて実に味わい深い。次第に最悪の行動に至る“オティク”を、だが終始愛し庇い続けるボジェンカと、その異常さを理解しながら“オティク”を始末できないカレルの狂おしくも哀しい言動に、アルジュビェトカの定石とは異なる――だが、きちんと伏線を設けた――意外な行動が導くクライマックスは、禍々しくも滑稽で、それでいて奇妙な切なさが滲む。

 直接描写はないが、あちこちに性的な知識やモチーフが盛り込まれていることに眉をひそめる人もいるだろう。具体的に描いていないのに、妙に血腥さを感じさせる表現の数々も好みが分かれる。何より、全体に古めかしい作りに違和感を覚え、合わない、と思う人も多いはずだ。だが、いったん魅せられたら、恐らくずっと記憶に留まり続けるだろう。日本でも無論のこと、ハリウッドでも決して作りだすことの出来ない、怪奇幻想譚の傑作である。幻想的な物語や、奇妙な手触りのホラー映画、美術的な拘りのある作品に惹かれるという方にお薦めしたい。

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