原題:“In the name of the King : A Dungeon Siege Tale” / 監督:ウーヴェ・ボル / 原作ビデオゲーム・クリエイター:クリス・テイラー / 原案:ジェイソン・ラパポート、ダン・ストロンカック、ダグ・テイラー / 脚本:ダグ・テイラー / 製作:ウーヴェ・ボル、ダニエル・クラーク、ショーン・ウィリアムソン / 製作総指揮:ステファン・ヘッジス、ウォルフガング・ヘロルド、チェット・ホルムズ / 撮影監督:マシアス・ニューマン,BVK / プロダクション・デザイナー:ジェームズ・スチューアート / 編集:デヴィッド・M・リチャードソン / 衣装:トニ・ルター、カーラ・ヘトランド / アクション監督:トニー・チン・シウトン / キャスティング:エイド・ベラスコ、モーリーン・ウェッブ / 音楽:ジェシカ・デ・ロージ、ヘニング・ローナー / 出演:ジェイソン・ステイサム、リーリー・ソビエスキー、ジョン・リス=デイヴィス、ロン・パールマン、クレア・フォラーニ、クリスタナ・ローケン、マシュー・リラード、ブライアン・ホワイト、ウィル・サンダーソン、タニア・ソルニアー、レイ・リオッタ、バート・レイノルズ / 映像ソフト発売:20世紀フォックス ホーム エンターテイメント
2007年ドイツ、カナダ、アメリカ合作 / 上映時間:2時間7分 / 日本語字幕:神代知子
2010年2月3日DVD日本盤発売 [bk1/amazon]
DVDにて初見(2010/03/09)
[粗筋]
コンライド王(バート・レイノルズ)の統治する国の片隅で、その男(ジェイソン・ステイサム)は穏やかに暮らしていた。
ある日、ソラナと息子のゼス(コリン・フォード)が妻の実家のあるストーンブリッジに商売に出かけていったあと、ファーマーは近隣に巣くう魔獣クラッグたちの襲撃に遭う。ノーリックを助けたあと、妻たちの身にも危険が迫っている、と直感したファーマーはノーリックを伴って急行したが、時既に遅く、村はクラッグの群れによって蹂躙されていた。ソラナの両親とゼスは骸となって見つかり、ソラナの姿は何処へともなく消えていた。
間もなく、コンライド王と王宮の魔術師メリック(ジョン・リス=デイヴィス)が率いる軍勢が到着し、敵勢の掃討を約束し、戦える者は軍に加わるよう命じたが、ファーマーは拒絶する。我が子や妻の両親を殺害した者に復讐し、囚われているかも知れない妻を取り戻すために、単独で赴く道を選んだのだ。ノーリックと、ただひとり生き残ったソラナの弟・バスティアン(ウィル・サンダーソン)とともに、ファーマーは森を越えて、クラッグたちの巣窟を目指す。
一方、王宮では不穏な動きが活発化していた。王にとって唯一の身内でありながら道楽者であり、密かに地位の簒奪を狙っていた甥のファロー男爵(マシュー・リラード)が、ガリオン(レイ・リオッタ)という魔術師の侵入を許していたのだ……
[感想]
近年、テレビゲームが映画化されることはさほど珍しくない。たいていの場合、オリジナルのイメージを損ねるか、充分に再現できないのがオチなので、ほとんどのゲーム・ファンは歓迎していないのが実情だが、それでも怖いもの見たさが勝つのか別物と割り切って愉しむ人もいるからなのか、それとも何か大きな勘違いが訂正されないまま引きずられているのか――何にせよ、思い出したようにゲーム原作の映画が撮られている。
スターが主役を張るか、B級アクションの大家や全くの新人が監督を手懸けることが多いせいか、少なくとも製作されている途中で「頼むからやめてくれ」とファンが訴えるような話はあまり聞かない。だが、その監督が携わる、という噂が流れた途端に、ファンのあいだから悲鳴が迸り、やがて肝心のゲームをリリースしているメーカーから「その予定はない」と正式ではないにせよコメントを出させてしまった、そんな監督がひとりだけいる――それが本篇を手懸けたウーヴェ・ボルである。
そんな彼が、近年『トランスポーター』シリーズによって新世代のアクション・スターとなったジェイソン・ステイサムを主演に招いて撮った映画が本篇だが――正直、観られるとは思っていなかった。前述のように、はじめから失敗が約束されているような評判を立てられた監督であり、そのせいか初期の作品は日本でも劇場公開されたものの、以後は輸入されるとしても確実にDVD直行、むしろ輸入されればいいほうだ、という有様になっている。不思議なことに彼の映画にはそこそこ名の知れた俳優が顔を連ねていることが多いのに扱いは同様だから、もはや充分にその名前だけである程度の数字を稼げるようになったジェイソン・ステイサムがメインでも、日本で普通に鑑賞できるようになる可能性は低い、と踏んでいた。
が、それでもなおジェイソン・ステイサムという名前が看板になると踏んだのか、或いは怖いもの見たさで輸入を求める声に奇特なメーカーが応えてくれたのか、事情は不明だが、こうしてどうにか日本で鑑賞できるようになった。私としては、ジェイソン・ステイサム出演作品で鑑賞していないのは本篇含めて僅かに3本であったという事実に加え、前々からウーヴェ・ボルという映画監督の撮る作品にいちど触れてみたかったこともあって、購入――はさすがに二の足を踏んでしまったが、レンタルにて鑑賞してみた次第である。
そういう意味では、出来不出来は別にしてはっきりと満足を味わえたのだが、映画としてどうなのかと問われると――確かにこれは駄目だ。何と言おうか、愛すべき駄目さではなく、いちばん困った趣味の駄目さが蔓延っている。
前述の通り、ウーヴェ・ボル監督が撮る作品はゲーム原作のものが多く、本篇もその例に漏れない。生憎私は原作の詳しい内容は知らないのだが、恐らくそこに示された世界観やモチーフは多少なりとも引き継いでいるのだろう。それ故にか、固有名詞がいちいち意味不明で唐突な嫌いがある。しかも、会話を通じて少しずつ理解させていくのかと思いきや、最後まで意味不明なものも多い。
この作品の鍵を握るのはガリオンという魔術師だが、この男の計画、どうも最初から最後まで支離滅裂なのだ。城内に潜入するために何故か王の甥と宮廷魔術師の娘と両方に取り入っているが、何故わざわざ入り込んだのか。それと並行して“獣”と呼ばれるクラッグを魔法にて操り兵隊として使っているが、何故それを王宮の隠された場所でやる必要があったのか。そのあたりの狙い、必然性がほとんど描かれていない。
クラッグと戦う軍や、仇を討つために旅に出るファーマーたちの理屈も謎である。彼らはいったい何を根拠に、どこを目指していたのか。私がどこか見落としていたのかも知れないが、いずれにしてもひたすら理解しづらい話がただ続いていくので、次第に観るのが面倒臭くさえなってくる。
思うにこの監督、或いは製作者たちは、剣と魔法の世界を舞台にしたアクションものをやりたい、そこでこんなシーンを織りこみたい、という程度の発想でゲームを原作に採り上げたのではなかろうか。全体にダラダラしているしカメラワークが稚拙で迫力を演出し切れていない傾向にあるものの、当代きってのアクション・スターに、優秀なアクション監督であるトニー・チン・シウトンを起用しているお陰で、アクションそのものには重みがあり、見所と呼べるものがちらほら見いだせる。
部分的にだが、観ていて男子としては胸を熱くせざるを得ないシチュエーションがあるのも確かだ。クライマックス手前での主人公の演説などはその最たるものである――そこに至る経緯があまり陳腐かつ稚拙で、結果として演説自体が薄っぺらになってはいるが。
伏線は雑、ドラマ性を膨らませるための工夫にも乏しく、ハッピーエンドなのはいいとしても、過程での悲劇を全部忘れ去ってしまったかのような幕切れはさすがにあんまりだ。挙句に大上段に構えた歌詞で荘重に飾ったエンドロールが流れてくると、開いた口が塞がらなくなる。映画館で上映していて、傍らで「金返せ」の絶叫が上がったとしても、たぶん許してしまうだろう――気持ちはよく解る。
妙に贅沢な役者たちが、脚本の拙さを承知の上で一定のレベルの演技を披露しており、前後の脈絡を考えなければそれなりの味わいはある。クラッグの造形が安易だったり、アクションの激しさの割に血が出ないので全般に安っぽさは禁じ得ないが、美術やCGの質は悪くない。脚本でも演出でも、第三者がもっと積極的に関与していればもっと良くなっただろう可能性は見いだせる――だからこそ余計に、どうしてこうなった、と首を傾げたくなる、本当に捉え方に困る作品である。ここで羅列したような要素、欠点をはじめから愉しむつもりで観ることのできる人や、私のようにジェイソン・ステイサムが出ているからチェックしておきたい、という人以外には決してお薦めしない。
ちなみに本篇、日本で鑑賞できるのは2時間程度のヴァージョンだが、どうやら海外では30分近く追加したディレクターズ・カットがリリースされているらしい――世の中には、他国でディレクターズ・カットが発売されているのに日本では何故“不完全”なヴァージョンで出すのだ、という怒りを示す人もいるが、本篇についてはきっと、ディレクターズ・カットでなくて充分だ、と納得するだろう。そして、ディレクターズ・カットでないから、と怒り出すことも少なくなるに違いない……あ、ならそういう人には観てもらった方がいいのか?
関連作品:
『リボルバー』
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