原題:“Precious : Based on the Novel Push by Sapphire” / 原作:サファイア(河出書房新社・刊) / 監督・製作:リー・ダニエルズ / 脚色:ジェフリー・フレッチャー / 製作:ゲイリー・マグネス、サラ・シーガル・マグネス / 製作総指揮:リサ・コルテス、トム・ヘラー、タイラー・ペリー、オプラ・ウィンフリー / 撮影監督:アンドリュー・ダン,B.S.C. / 美術:ロシェル・バーリナー / 編集:ジョー・クロッツ / 衣装:マリーナ・ドライチ / キャスティング:ビリー・ホプキンス、ジェシカ・ケリー / 音楽:マリオ・グリゴロフ / 出演:ガボレイ・シディベ、モニーク、ポーラ・パットン、マライア・キャリー、シェリー・シェパード、レニー・クラヴィッツ / リー・ダニエルズ・エンタテインメント/スモークウッド・エンタテインメント・グループ製作 / 配給:PHANTOM FILM
2009年アメリカ作品 / 上映時間:1時間49分 / 日本語字幕:松浦美奈 / R-15+
第82回アカデミー賞作品・監督・脚色・主演女優・助演女優・編集部門候補作品
2010年4月24日日本公開
公式サイト : http://www.precious-movie.net/
TOHOシネマズシャンテにて初見(2010/04/24)
[粗筋]
1987年、16歳のクレアリース・プレシャス・ジョーンズ(ガボレイ・シディベ)は、2度目の妊娠をしていた。
1度目の妊娠も、彼女を孕ませたのは実の父親だった。12歳のときに産んだ子供を育てることが許されるはずもなく、いまその子は祖母のもとに引き取られている。
父親は現在行方をくらましており、プレシャスは母親メアリー(モニーク)とふたりだけで暮らしている。だが、唯一の家族である母はことあるごとにプレシャスを罵倒し、時として手を上げることもあった。
ジャンク・フードばかり食べ、失敗した料理をすべて食べさせられる、という生活のためにプレシャスは太り、学校では無視されている。メアリーが生活保護を獲得する方便のために学校に通わされている感のあるプレシャスは、当然学業に身の入るはずもなく、読み書きさえろくに修得していなかった。
プレシャスにとって唯一の逃げ場は、夢の世界だった。厭なことが起こるたびに、ミュージック・クリップに出演し、大物セレブになる、という妄想を頭のなかに思い描く。それは彼女が、この過酷な現実と折り合いをつけるために身につけた、数少ない処世術だった。
だが、2度目の妊娠が、そんな八方塞がりの彼女に思いがけない転機を齎した。学校長は極めて逼迫した環境にある彼女を、生活に問題を抱える人々を集め、無償で授業を行っている代替学校にプレシャスを転校させる手続きをとったのだ。
積極的に行く気もしなかったが、しかしプレシャスは、母親にそのことを告げずに、新しい学校へと足を運ぶ。そこでの、新しい教師ミズ・レイン(ポーラ・パットン)や同級生たちとの出逢いが、やがてプレシャスを変えていくこととなる……
[感想]
なんと言うか、酷い話、である。どちらを向いてもマイナス要因しかない。
だが、奇妙なことに、本篇にはそれ故の“暗さ”というものがあまり感じられない。随所でシリアスな雰囲気は漂うが、閉塞感に息が詰まる、というほどではない。
このことにはまず、プレシャスという主人公が幼少時からこの境遇に慣れ切っていた、という事実が関わって来ると思われる。格別よかった、と言い切れる時期や想い出がないのなら、比較として現在が悪い、と感じにくくなる。従って、プレシャスの目線で綴っている限り、決して暗澹とした語り口にはなり得ない。
また、そうは言いつつも、苦しい状況に直面すると、プレシャスはしばしば妄想に逃避している傾向がある。何かと言えば、音楽のPVに出演し、やがては女優として大成する自分を想像して、気持ちを紛らわせている。この描写が、プレシャス自身のみならず、観客にとっても彼女の苦境に行き過ぎた感情移入をせずに済むような、緩衝剤の役割を果たしているのだ。
――実のところ、この“別の自分を想像して逃避する”という行為は、虐待を受けている子供にありがちな反応で、それが度を過ぎると統合失調症に発展することもあり得るため、この描写自体に慄然とするところだ。
こうして挙げてみると、本篇は劣悪な境遇にある少女の姿を、安っぽい同情で描いていないことが解る。己の立ち位置の悪さを自覚していないあいだは、救済することも難しい。そういうところをきっちり描いているから、本篇にはリアリティがあり、有無を言わさぬ迫力を備えている。
舞台のうらぶれた感じを和らげる、どこかミュージック・クリップのような色遣いや、テンポのいい編集もまた、主人公の体感する空気を巧みに伝えている。表現しようとする題材と手法とが、驚異的なバランスで噛み合っているのだ。
加えて、配役の妙にも出色のものがある。ヒロインに演技経験のなかった、まったくの新人を起用したことで、おかしな先入観を観客に与えなかったのもさることながら、マライヤ・キャリーやレニー・クラヴィッツら大物を、決して軽くはないが地味な役に付けているのが憎い。そこには話題作りや、製作背景にかかる理由も想像出来るが、どんな目的であれ奏功しているのは確かだし、出る側がそれだけの価値を本篇に対して認めているのも窺える。
だが、配役という意味で特に優れているのは間違いなく、プレシャスを虐待する母親を演じたモニークだ。学校のことで思い悩み自分の食事を作る手が止まってしまった娘の頭にフライパンを振りかざしたかと思うと、やたらと娘への愛を訴える。娘への理不尽な罵倒で愚かさを見せたかと思えば、生活保護支給の審査でソーシャルワーカーが来るときには孫をダシにして貧しさに悩む母親を賢しく演じてみせる。実は決して珍しくないタイプの人物像ではあるのだが、矛盾が多く許容しがたいこのキャラクターに充分すぎる説得力を付与し、クライマックスを見事に飾れる役者はそう多くない。本人でさえ、いつまでもこの母親のままでいるのが怖かった、と語っているが、その言葉こそ彼女が最良のキャストであった証明だろう。アカデミー賞助演女優賞の受賞も宜なるかな、だ。
この作品、描き方は決して重くないが、出来事自体はひとつとして軽くない。それはラストまで辿り着いても変わることがない。にも拘わらず、本篇は何故か観終わったあとで、明るさを感じる。なにか名状しがたい力が充填されたかのような心地を味わう。それは、はじめのうちは無自覚と逃避で成り立っていたプレシャスの能天気さがいつしか、己の苦境を自覚し、向き合いながら前へ進もうとする力強さに切り替わっているからだ。
最後まで辿り着いても、酷い話、である。だがそれでも、眩いまでの希望を感じさせてしまう。そこが、本篇の稀有な作品である所以と言えよう。
関連作品:
『チョコレート』
『ヘアスプレー』
『ドリームガールズ』
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