原題:“Salt” / 監督:フィリップ・ノイス / 脚本:カート・ウィマー / 製作:ロレンツォ・ディ・ボナヴェンチュラ、サニル・パーカシュ / 製作総指揮:リック・キドニー、マーク・ヴァーラディアン、ライアン・カヴァノー / 撮影監督:ロバート・エルスウィット,ASC / プロダクション・デザイナー:スコット・シャンブリス / 編集:スチュアート・ベアード,A.C.E.、ジョン・ギルロイ,A.C.E. / 衣装:サラ・エドワース / キャスティング:アヴィ・カウフマン / 音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード / 出演:アンジェリーナ・ジョリー、リーヴ・シュレイバー、キウェテル・イジョフォー、ダニエル・オルブリフスキー、アンドレ・ブラウアー / 配給:Sony Pictures Entertainment
2010年アメリカ作品 / 上映時間:1時間40分 / 日本語字幕:菊地浩司
2010年7月31日日本公開
公式サイト : http://www.salt-movie.jp/
TOHOシネマズ西新井にて初見(2010/08/18)
[粗筋]
その日は、イヴリン・ソルト(アンジェリーナ・ジョリー)にとって2度目の結婚記念日に当たっていた。石油会社に偽装したCIAの拠点からいそいそと帰途に就こうとした矢先に、彼女は上司のテッド・ウィンター(リーヴ・シュレイバー)共々呼び止められる。ロシアから亡命してきた元スパイを標榜する男が、情報提供を申し出てきた、というのだ。
手早く済ませようと赴いたソルトにそのロシア人――オレグ・オルロフ(ダニエル・オルブリフスキー)は、CIA内部に深く潜入した二重スパイが存在する、と告げる。ロシアで幼少時から英才教育を施された多くの子供たちのひとりが、ロシアで事故に遭い死んだアメリカ人一家の娘に成り代わり、アメリカで成長して今はCIAに在籍している。長いこと沈黙を貫いてきた彼女は、アメリカ副大統領の葬儀に出席するロシアの大統領を暗殺するために、動こうとしているというのだ。
都市伝説めいた内容に、ソルトは話を切り上げようとしたが、そのときオルロフは「ソルト」と呟く。返事をしたソルトに、オルロフは告げた。「ロシアのスパイの名は、イヴリン・ソルト。お前の名がそうだと言うなら、お前はスパイだ」
真偽はさておき、もしスパイだと判断されれば、まず家族が危険に晒される。夫・マイクの身を案じるソルトを、ウィンターと防諜部のピーボディ(キウェテル・イジョフォー)は取調室に閉じ込めオルロフを別室に移送させるが、その途中でオルロフは護衛を殺害、姿を消してしまう。
同僚たちが気づいたときには、ソルトもまた取調室を脱出していた。防壁で追い込まれながらも、優れた技術で特殊部隊を翻弄すると、まんまと逃走する。
果たして、ソルトは何者なのか。本当に二重スパイなのか、それとも……?
[感想]
女性スパイが登場する、という程度なら別に珍しいことではない。ただ、女性スパイを主人公に、ここまで過激なアクションを前面に押し出して作りあげた映画、というのはあまり例が思いつかない。まずその点からして、本篇には独特のインパクトがある。
しかしこれは、偶然が齎した好影響だったようだ。もともと本篇はトム・クルーズが主演することを想定して脚本が執筆されたが、諸事情からギリギリで降板することになり、急遽女性に主人公を変更、アンジェリーナ・ジョリーを起用するという発想に至ったらしい。
想定外の経緯で施された変更だったようだが、しかしこれは作品の狙いとも合致して、恐らくは製作者が意図していた以上の効果を上げている。
一般のスパイもの、アクション映画と異なり、本篇の主人公はなかなか正体が判然としない。最初こそ悲運から幸福を手にしたCIA職員、という風にしか映らないが、ロシアからの亡命者に二重スパイと指摘されたあとの行動は、次第に動機が不明瞭になっていく。最初のうちは、夫の身を気遣っているように見えるものの、自宅から夫が拉致された痕跡を確認すると、観客に対して詳しい説明をすることなく過激な逃走をはじめる。そして、この逃走が長引くほどに、観客には彼女の素性が解らなくなっていく。話を追うごとに増していく謎めいたムードを、性別を感じさせないほど激しいアクションが、いっそう強調しているのだ。オスカーを獲得する演技力に、『トゥームレイダー』シリーズでアクション映画の経験値も稼いでいたアンジェリーナ・ジョリーだからこそ体現できる役柄であり、トム・クルーズの降板は天佑とさえ言えるかも知れない。
とはいえ、スパイを題材としたアクション映画の、“ジェイソン・ボーン”シリーズを踏まえた上での新しい発展形――と、素直に賞賛するには、少々瑕が多いのも事実だ。
あまりに謎を強く打ち出しているので、細かな伏線から意外な真相を暴き立てるような作品を期待してしまうが、微妙に性質が異なる。どちらかと言えば、そこまでで追求していない死角から意外な事実を繰り返し突きつけてくる、というスタイルで、認識を覆される快感、といったものは得られない。随所で変化が生じるため、アクション以外の部分でも観る側を退屈させない役には立っているが、あまりの謎の濃密さに対して少々拍子抜けの感は否めない。
何より、冷戦終了の影響でスパイ映画が凋落していった経緯を思うと、あまりに大時代的な背景に違和感がある。作中語られているような種類のスパイが実在しても不思議ではないし、それをこの時代に採り上げることも可能だと思うが、その場合必要な当事者の心情の掘り下げや、計画を遂行するための手順などがすべて不透明なままになっているのはあまり望ましくない。いま敢えてこういう背景を設定するのなら、“何故”というところに踏み込まないと、真実味が薄れてしまう。細部にまで目を凝らすタイプの観客には、どうしても滑稽に映ってしまうだろう。
だが、そういう欠点がある、と承知した上でも、アンジー演じる“ソルト”という謎の女の存在感と、彼女が随所で示す重量感のあるアクションの魅力は否定できないはずだ。観終わってみて顧みると、本気で危険を感じるような状況を見事に描き出す一方で、表情や佇まいに“ソルト”の不退転の覚悟が見事に現れていることに感嘆する。二度は使えない見せ方だが、アンジェリーナ・ジョリーという名優を得たことで、存分にアイディアを活かしきっている。
続篇に色気を残す終わり方をしているが、正直次はあってもなくても構わないように思う。既に手札を出し切ったあとで、どんな“謎”を提示してくるのかにも興味はあるが、エンドロールの黒い画面の向こう側に没したままふたたび現れない、というのも乙なものだろう。
上に提示した以外にも瑕はある。だがそれでも、充分に面白く、魅力に溢れた作品である。こと、最近は演技派の側面を強く示していたアンジーに多少なりとも不満を覚えていた向きは、久々に溜飲を下げるに違いない。
関連作品:
『チェンジリング』
『2012』
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