原題:“Jennifer’s Body” / 監督:カリン・クサマ / 脚本&製作総指揮:ディアブロ・コディ / 製作:メイソン・ノヴィック、ダニエル・ダビッキ、ジェイソン・ライトマン / 撮影監督:M・デヴィッド・ミューレン,ASC / プロダクション・デザイナー:アーヴ・グレイウォル / 編集:プラミー・タッカー,A.C.E. / 衣装:カチア・スタノ / 音楽監修:ランドール・ポスター / 音楽:セオドア・シャピロ、スティーヴン・バートン / 出演:ミーガン・フォックス、アマンダ・セイフライド、ジョニー・シモンズ、J・K・シモンズ、エイミー・セダリス、アダム・ブロディ、クリス・プラット、シンシア・スティーヴンソン、ダン・ジョフレ、キャリー・ゲンゼル / 配給:Showgate
2010年アメリカ作品 / 上映時間:1時間43分 / 日本語字幕:中沢志乃 / PG12
2010年7月30日日本公開
公式サイト : http://www.jennifers-body.jp/
TOHOシネマズみゆき座にて初見(2010/08/19)
[粗筋]
ニーディ(アマンダ・セイフライド)とジェニファー(ミーガン・フォックス)は、“Best Friend Forever”の頭文字をあしらったお揃いのペンダントをしている。ジェニファーはチアリーダーも務めるイケてる女子高生だが、どちらかと言えば冴えないニーディとは親友の間柄を築いていた。
その晩もニーディは、恋人のチップ(ジョニー・シモンズ)と過ごす約束を反故にして、ジェニファーに誘われて地元唯一のバーに赴いた。人気のインディーズ・バンド“ロー・ショルダー”が特別に演奏するということで、ジェニファーはあわよくばヴォーカルのニコライ(アダム・ブロディ)と一夜のアヴァンチュールを堪能しようと目論んでいるらしい。だが、ニコライとバンドの仲間たちが自分たちの性知識について軽口をたたき合っているのを耳にして、ニーディはバンドに不信感を抱いた。
それでも演奏は愉しんでいたふたりだったが、突然、災厄が襲う。火事が起きたのだ。火の勢いは凄まじく、ニーディたちは顔見知りの人々が次々と炎や瓦礫に飲まれていくのを目の当たりにしながら、命からがら外へと脱出した。だが、そんなふたりに“ロー・ショルダー”のニコライは暢気に声をかけ、自分たちのバンで安全なところへ送ってやる、と言う。奇妙な態度を訝るニーディを置き去りに、ニコライたちは放心状態のジェニファーを乗せて、何処へともなく去っていった。
どうにか家に帰りついたニーディが、救いを求めるようにチップに電話をしたとき、家のどこかから妙な物音が響いた。様子を確かめに行くと、そこにいたのは全身血まみれのジェニファー。動揺し心配するニーディをよそに、ジェニファーは冷蔵庫の肉を貪り、異様な黒い血を吐き出すと、来たときと同様、音もなく姿を消した。
翌る日、バーで起きた火事によって多くの人命を失った町は悲しみに沈んでいたが、ただひとり、ジェニファーだけは奇妙に陽気だった。前夜の異様な雰囲気は微塵もなく、それどころか死者に対して不謹慎なことを口走り、悪びれもしない。
あの晩、ジェニファーの身に何が起きたのか? だが、彼女の変化はこれだけに留まらなかった――
[感想]
『JUNO/ジュノ』でデビュー作にしてオスカーをはじめとする多くの映画賞を獲得した脚本家ディアブロ・コディの2作目がホラー映画と聞いて、意外に思った人は、是非とも『JUNO/ジュノ』をもういちど観直していただきたい。あのなかで主人公ジュノは、ダリオ・アルジェントの映画について言及している。映画の好みが本筋に直接絡まない――ジュノという少女の特異性を仄めかす効果はあったが――場面であり、そこには脚本家自身が投影されていた、と想像するのは難しくない。少なくとも私には、この脚本家が次にホラーを手懸けるのはごく自然な成り行きと思えた。
ただ、そこはデビュー作から優れた作家性を示した書き手だけあって、定石を押さえつつも一筋縄ではいかない仕上がりとなっている。
導入のシーンはホラーの定番を踏襲した、不気味な状況が蓄積されているが、そこに重ねられた語り手・ニーディのナレーションはもったいぶった印象がなく軽快だ。そしてこの冒頭の部分が終わると、目が醒めたかのようにティーンを題材とした映画の定番的な描写に移行する。しかしその随所に、のちの展開に繋がる伏線をうまく鏤め、バーの火災シーンからふたたびムードを反転させる。この緩急自在のストーリー展開と、押さえるべき部分をきちんと押さえる的確さは、『JUNO/ジュノ』の魅力と巧さと共通している。既に確立された作風の上に、ホラー映画のガジェットを綺麗に組み込んでいる。
あまりにうまく嵌っているので、ホラー映画独特の芳香よりも、女の子たちの生活臭のほうが色濃く漂ってくるため、人によっては食い足りない印象を受けるかも知れない。だが、オカルトの要素と共鳴するように、少女同士の関係に潜む歪さを炙り出し、そこから恐怖を醸成するという手管はユニークで、かつかなり完成されている。
物語終盤までニーディとジェニファーの友情は保たれているように映るが、そこには終始ズレたものを感じさせる。話を追うほどにズレは拡大していき、それがクライマックスで爆裂する。いささか突飛で大仰に過ぎる印象もあるが、序盤でのふたりの姿と対比すると、あまりの反転ぶりに怖気を覚えるほどだ。この作品がホラーでないように見えてしまう原因も、同時に個性的なホラーたらしめている理由も、ガジェットよりそれが導き出す少女達の本音や変貌の怖さに焦点を当てているせいだろう。ここに気づかないと、ピンと来ない可能性が高い。
狙いがユニークでいまいち伝わりにくいのも欠点と言えるが、その他にも本篇には気にかかる部分がある。たとえば、時間の経過がいまいち実感できないことが挙げられる。時の経過がニーディのみならず周囲の人々にも変化を齎しているはずなのだが、時間がどの程度経過しているのかを判断する材料がニーディのナレーションのみなので、観る側がいまひとつ同調しづらい。また、心情の変化や事態の推移にところどころ強引なところが認められる。大きいところだと、バーの火災についてバンドの“ロー・ショルダー”が英雄扱いされているが、あの状況では少々あり得ないだろうし、ある人物の死の扱いについても、実際に屍体が置かれていたはずの状況と世間の解釈が大幅に食い違っているのが気にかかる。少女達の生々しい心情と、オカルト・スリラーならではのシチュエーションをうまく組み合わせることに腐心するあまり、細部の整合性がやや疎かになったような印象を受けた。
しかし、ホラー映画、オカルト映画のガジェットを巧みに援用しながら、少女達の心理を極めて生々しく描き出した作りは新鮮であるし、細部の詰めは甘いとは言い条、表現を掘り下げて鑑賞する面白さがある。ホラー愛好家からすると、直接的な恐怖描写や、血飛沫の表現などがだいぶぬるく思えるが、その不満を払拭するかのようにああいう毒のあるエピローグを添えるあたりに、ホラー映画に対する愛情を感じ取れる。そのくだりまで含めて、『JUNO/ジュノ』同様にロックやポップスを大量に取り込み、テンポよく軽快に描き出した本篇は、別の意味で――褒め言葉として、グロテスクな作品である。歪んでいるから、奇妙な魅力を宿しているのだ。
関連作品:
『JUNO/ジュノ』
『マンマ・ミーア!』
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