原題:“Giallo” / 監督&脚本:ダリオ・アルジェント / 脚本:ジム・アグニュー、ショーン・ケラー / 製作:ラファエル・プリモラック、リシャール・リオンダ・デル・カストロ、エイドリアン・ブロディ / 助監督:ファブリッツィオ・バーヴァ / 撮影監督:フレデリック・ファサーノ / プロダクション・デザイナー:ダヴィデ・バッサン / 編集:ロベルト・シルヴィ / 衣装:ステファニア・スヴィツェレット / 特殊メイク:セルジオ・スティヴァレッティ / 音楽:マルコ・ウェルバ / 出演:エイドリアン・ブロディ、エマニュエル・セニエ、エルサ・パタキ、ロバート・ミアノ、ルイス・モルテーニ、シルヴィア・スプロス、タイヨウ・ヤマノウチ、ヴァレンティーナ・イズミ、バイロン・デイドラ / 配給:Fine Films
2009年アメリカ、イタリア合作 / 上映時間:1時間32分 / 日本語字幕:? / R-15+
2010年9月11日日本公開
公式サイト : http://www.finefilms.co.jp/giallo/
シアターN渋谷にて初見(2010/10/06)
[粗筋]
モデルである妹のセリーヌ(エルサ・パタキ)に逢うために、リンダ(エマニュエル・セニエ)は空路はるばるイタリア、トリノを訪れた。忙しい妹に先立って彼女の部屋に上がり、帰宅を待っていたリンダだったが、約束の時間になっても、ひと晩経ってもセリーヌは戻らなかった。
捜査を頼むために警察に赴いたリンダは、受付の警官に地下へ行くよう指示される。そこは壁一面に猟奇犯罪の犠牲者の写真や捜査資料が貼りつけられた異様な部屋だった。最近、トリノ界隈で、外国人の美女ばかりを狙った同一手口の殺人事件が連続しており、ここは事件を担当するエンツォ警部(エイドリアン・ブロディ)が使用している部屋だったのである。
エンツォ警部は事情を訊いただけでリンダを追い返したが、リンダは自分がこの地下に向かわされたこと自体に引っかかりを覚え、エンツォのあとを追おうとした。根負けしたエンツォは、妹を心配する彼女に、セリーヌがこの犯人によって誘拐された可能性があることを告げる。
やがて、そんなふたりの元に、新たな遺体が発見された、という連絡が届く。恐懼するリンダを伴いエンツォ警部が現場を訪れると、被害者はセリーヌではなく、日本人のケイコ(ヴァレンティーナ・イズミ)であった。
驚くべきことに、まだ息のあったケイコは、エンツォ警部に向かって日本語で何かを訴える。間もなく絶命したが、どうにか彼女の遺言を録音することに成功した警部は、それを知己の日系人に訳させる。いまわの際にケイコが繰り返し口にしたのは、“黄色(ジャーロ)”という言葉だった……
[感想]
『サスペリア・テルザ―最後の魔女―』で『サスペリア』『インフェルノ』と続いた魔女3部作を完結させたイタリアン・ホラーの巨匠ダリオ・アルジェントが次に挑んだのは、こうした超常現象を扱ったものと共に彼の作風を二分するもうひとつのスタイルであるスリラー、しかもイタリアにおいてこうしたジャンルを呼ぶときに用いられる単語“ジャーロ”をタイトルに冠した作品である。ダリオ・アルジェント作品を追いかけている者なら否応なしに期待させられる。
だが、恐らくそうして胸をときめかせて劇場に足を運んだ人の多くが失望するか、幾分寛容なタチであったとしても、失笑しながら家路に就くのがオチだろう。残念ながら、決していい出来とは言えない。
狙いは何となく察せられるのだ。詳しくは記さないが、本篇は観客がダリオ・アルジェントの作品に抱いているイメージの死角を衝いて、従来と異なる興奮を齎そうとしたものだろう。彼のファンであったという若き名優エイドリアン・ブロディと組むことで、趣向の面でも演技の質の面でも補強して新しい方向性を示そうとした意欲は間違いなく賞賛に値する。
ただ、結果として全体的な印象が、却って凡庸なものになってしまったのだ。意欲は感じられるし、細かな表現は秀逸ではあるが、事件を構成するアイディアが単純で、あまり際立ったものがない。従来のアルジェント監督流スリラーにありがちだった大袈裟な趣向や、現実離れしたシチュエーションがないだけに、不自然さはかなり抑えられているが、その分だけ作品全体の大胆さ、強烈なインパクトをも犠牲にしてしまったようだ。
スリラーとしての先行作『デス・サイト』と較べると、まだ「アルジェント作品を観た」という満足感は得られる。連続猟奇殺人、しかも犠牲者はすべて美女、ハリウッドなどではフレームから外して表現することの多い殺害シーンを極力画面に収める表現など、『デス・サイト』ではかなり省かれていたアルジェントらしい趣向が蘇っているからだ。他の作品と同様にイタリアの、名所とは違うが独特の情緒のあるロケーションを中心とした映像も、最近の技術で撮影されているお陰でかなりクリーンになっているが、その美麗さを保っている。
とりわけ、エイドリアン・ブロディの健闘ぶりは目覚ましいものがある。本篇の結末もまた、ハリウッドの作るスリラーとは一線を画した、極めて苦い余韻を齎すものだが、捜査官の最後の姿を押さえた一連のシーンは出色の出来映えである――だからこそ、ストーリーや仕掛けがそれを活かしきっていないことが惜しまれてならないのだが。
ダリオ・アルジェントの体臭を滲ませつつも、悪い方向へと洗練されてしまい、質を重視するアルジェント愛好家にはちょっとお勧めしづらい出来になってしまった。かといって、スリラーとしての緊張感とクライマックスで訪れるカタルシスを欲する一般的な観客にも勧めづらい。個人的には決して嫌いではないのだが、どうも扱いに悩む作品だった。
関連作品:
『歓びの
『4匹の蝿』
『シャドー』
『スリープレス』
『デス・サイト』
『プレデターズ』
コメント
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