『奴らを高く吊るせ!』

奴らを高く吊るせ! [DVD]

原題:“Hang ‘em High” / 監督:テッド・ポスト / 脚本:レナード・フリーマン、メル・ゴールドバーグ / 製作:レナード・フリーマン / 撮影監督:レナード・サウス、リチャード・クライン / 美術:ジョン・グッドマン / 編集:ジーン・フォウラーJr. / キャスティング:ジェーン・マーレイ / 音楽:ドミニク・フロンティア / 出演:クリント・イーストウッド、インガー・スティーヴンス、エド・ベグリー、ジェームズ・マッカーサーベン・ジョンソン、パット・ヒングル、ブルース・ダーン、チャールズ・マックグロー、ルース・ホワイト、アーレン・ゴロンカ、バート・フリード、デニス・ホッパー / 配給:UA / 映像ソフト発売元:20世紀フォックス ホーム エンターテイメント

1968年アメリカ作品 / 上映時間:1時間54分 / 日本語字幕:飯島永昭

1968年10月2日日本公開

2006年10月27日DVD日本最新盤発売 [DVD Video:amazon]

DVDにて初見(2010/10/14)



[粗筋]

 元保安官のジェド・クーパー(クリント・イーストウッド)は、牧童として生きていくことを決め、ある人物から牛を購入した。

 だが、放牧している最中、ウィルソン大尉(エド・ベグリー)ら9人に突然逮捕される。ある牧場から牛が盗まれ、持ち主の夫婦が殺害される事件が発生しており、クーパーはその嫌疑を掛けられたのだ。クーパーは買い取った相手の人相を説明して潔白を訴えるが、被害者と容姿が一致しなかったために、ウィルソン大尉はクーパーを犯人と決めつけ、その場で首吊りにする。

 幸いにも直後、保安官ブリス(ベン・ジョンソン)が現場を通りかかり、法廷で正しく彼を処罰すべく、囚人護送車で街へと連れ帰った。奇しくもその街には、クーパーに牛を売りつけた金で豪遊していた真犯人がいたために、フェントン判事(パット・ヒングル)はすぐさまクーパーの無実を確信、彼を解き放つだけでなく、保安官としてのかつての功績を理由に、この街で公職に復帰するよう求める。

 同時にフェントン判事はクーパーに、彼を私刑に処した9人の男を、生け捕りにするよう命じた。クーパー同様、正しい法の裁きを受けさせるために。

 胸に復讐心を滾らせながらも、クーパーはふたたび胸にバッヂをつけ、手綱を握った――

[感想]

 テレビドラマシリーズ『ローハイド』で西部劇のヒーローとして認知されながらも、当時のハリウッドに根強く存在していた、テレビドラマ俳優に対する差別的な意識故に、クリント・イーストウッドは映画で主演する機会に恵まれなかった。その状況を、イタリアの監督のもとで主演することによって打開したイーストウッドが、初めてハリウッドで主演した西部劇映画が本作である。ちょうど逆輸入されたイタリア産西部劇3部作が立て続けにヒットを遂げていたこともあって、この作品からイーストウッドは自らの制作会社を立ち上げ、資金調達にも尽力して、かなり映画作りの根っこから関わっていったようだ。

 そういう成立背景を知ったうえで鑑賞すると、頷ける点が多い。特にイーストウッド演じる主人公の人物造型が顕著だ。

 セルジオ・レオーネ監督の3部作においては、第1作『荒野の用心棒』の人物像が踏襲され、来歴も不明なら行動原理も謎が多い、どこか掴み所のないキャラクターとして描かれていた。それはそれで十分に魅力的だが、しかしずっと繰り返しては食傷気味になるのも当然だろう。翻って、本篇の主人公は、特に多くを語りはしないが、次第に“牧童を志した元保安官”という人物像が顕わになり、同時に物語の必然性から胸に復讐心を宿した男になる。レオーネ3部作でのクールな佇まいを受け継ぎながら、人物像に生々しさと深みを増すよう工夫を施しているのだ。

 ストーリーにおいても、3部作とは趣が異なる。無実の罪を被せられ私刑にかけられる立場から囚人へ、そして保安官に就任という転倒した筋書きに、随所で“法のもとでの正義”と“自らの信念における正義”との葛藤が織りこまれており、策略や腹の探り合いの面白さが尺を支えていた3部作とは明らかに違った手触りだ。この辺りの趣向は、のちのちの傑作『グラン・トリノ』とも繋がっており、そういう意味でも興味深い。

 いささか陰鬱な仕上がりに見えるために、3部作のある意味突き抜けたような楽天的な性質を好んでいた人は不満を覚える可能性もあるだろうが、そうでなければイーストウッドの異なる表情を堪能できる1篇となるだろう。

 ただ、手放しで賞賛はしにくい。シナリオの志は高いのだが、如何せん演出があまりにもオールドファッションで平坦だ。人物の表情を懸命に追いかけようとした結果、やたらとクローズアップする場面が多くなり、スクリーンならではの空間の広さや、人物配置の妙が感じられない。構成が緩くしばしば緊張が途切れるので、尺としては3部作後半の2作よりも短めのはずなのに、全体に間延びしている印象だ。

 特に後半に入ってからの、街での処刑シーンに過剰に尺を使ってしまったのが気にかかる。別の展開とも結びついているとはいえ、そちらに関わる人物についての描写を織りこんで緊張感を盛りあげるでもなく、イーストウッド演じるクーパーが不本意な状況に悩み何らかのリアクションを起こすべきか考え込んでいるような描写があるわけでもなく、不必要に長いだけに思えるのだ。展開を考慮すれば決して不必要な長さではないのだが、その長さに足るほどの工夫がないのがまずい。

 斯様に、どうも狙いをうまく処理しきれなかった嫌味はあるものの、クリント・イーストウッドという俳優が新しい境地を開拓しようと試み、自発的に動いた痕跡が認められ、かつその道程が現在に繋がっていることを窺える、という意味で、彼の作品に惹かれた者は必見の作品であると思う。そうしたクリント・イーストウッド作品史のなかでの位置づけを抜きにしても、古びた作りや整理の粗ささえ目をつむれば、レオーネ3部作と同様、一筋縄でいかない西部劇として鑑賞に値する1本である。

関連作品:

荒野の用心棒

夕陽のガンマン

続・夕陽のガンマン

許されざる者

グラン・トリノ

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