原題:“Where Eagles Dare” / 原作&脚本:アリステア・マクリーン / 監督:ブライアン・G・ハットン / 製作:エリオット・カストナー / 製作総指揮:ジェリー・ガーシュウィン / 共同製作:デニス・ホルト / 撮影監督:アーサー・イベットソン、H・A・R・トムソン / 美術:ピーター・ミュリンス / 編集:ドン・ジンプソン / 衣装:アーサー・ニューマン / 音楽:ロン・グッドウィン / 出演:リチャード・バートン、クリント・イーストウッド、メアリー・ユーア、マイケル・ホーダーン、ロバート・ビーティ、アントン・ディフリング、イングリッド・ピット、ドナルド・ヒューストン、ファーディ・メイン、ウィリアム・スクワイア、ブルック・ウィリアムズ、ダーレン・ネスビット、パトリック・ワイマーク / ウィンカスト・フィルム製作 / 配給:MGM / 映像ソフト発売元:Warner Home Video
1968年アメリカ、イギリス合作 / 上映時間:2時間35分 / 日本語字幕:?
1968年12月21日日本公開
2010年7月14日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon|Blu-ray Disc:amazon]
[粗筋]
第二次世界大戦のイギリスで、極秘に6人の士官が集められた。彼らに課せられた任務は、連合軍の作戦に携わるアメリカ軍将校・カーナビー将軍(ロバート・ビーティ)を救出することである。場所は、ドイツ軍の情報統括本部が置かれた難攻不落の要塞、“鷲の城”。
指揮を委ねられたスミス少佐(リチャード・バートン)らはアルプスの森の中へと降下して潜入するが、その直後に通信兵の死が確認された。機材だけを回収し、遺体を森の中に残して、城の麓にある集落へ潜入すると、更にもうひとり、士官が殺害される。
そのうえ、情報収集ののち合流したバーで、異変を察知した警備隊のガサ入れがあり、スミス少佐はやむなく投降を命じた。
連行される途中、潜入班のなかで唯一のアメリカ軍所属であるシェイファー中尉(クリント・イーストウッド)の機転により、彼とスミス少佐のふたりだけは辛うじて脱出に成功した。2名で改めて“鷲の城”潜入を試みるが、道は決して容易ではなかった――
[感想]
近年の戦争映画はすっかり、易々と人の命が奪われていく様を軸にした重厚なドラマであったり、何らかの反戦的なメッセージを盛り込むのが基本となってしまったが、かつては戦場を舞台に、スリリングなアクションや虚々実々の駆け引きを描いた作品も多く作られていた。
本篇は『女王陛下のユリシーズ号』でデビューして以来、冒険小説の旗手となっていたアリステア・マクリーンが書き下ろした脚本(小説版は、本篇の脚本を元にマクリーン自らがノヴェライズしたもの)に基づいている。それだけに、前述のようなテーマ性はほぼ皆無に等しく、謎めいた展開に緊迫した駆け引き、そしてかなりシンプルな肉体勝負の見せ場が積み重ねられていく。
現代の目から見ると、アクションの描写はいまひとつリアリティに乏しい。カーチェイスやケーブルカーの背景は填め込み合成だというのが見え見えで、遠景で撮影されたものはスタントマンが演じていることが易々と察せられる。そこまでするわりには、危険を観客に実感させる工夫もあまり凝らしていないので、臨場感にも欠く。このあたりは、CG全盛の――というより、この後著しく発達した特撮技術全般に目の慣れてしまった若い観客にはかなり物足りなく映るかも知れない。
だが、序盤から何度も立ち現れる謎めいた出来事や緊迫したシーンの連続、多分にハッタリを利かせた演出は、まさに“冒険”と呼ぶに相応しい。アクションシーンが決して多くなくとも、2時間半を超える長めの尺を充分な力強さで牽引している。
最近クリント・イーストウッド主演映画を順に追って本篇に辿り着いた私だが、この作品は事実上、リチャード・バートン演じるスミス少佐が回していると言ってよく、イーストウッドは全般に“お飾り”のような印象を与えるのが残念だった。ただ、当時頭角を顕しつつあったスター俳優を客引きに用いるのではなく、その存在感自体を利用するようなプロットであり、配役としては正しい、と認めざるを得ない。自らの出演作の脚本に手を入れ、台詞を削り最小限の言葉で存在感を醸すスタイルを取っていた彼が、最後の最後で観客の心情を代弁するかのようなひと言を口走るのも、そうと知ったうえで鑑賞するとニヤリとさせられる。
古めかしさは否めないし、映像的な佇まいという意味ではあまり強さを感じないのも残念だが、しかし戦争を舞台とした謀略劇としては未だにその魅力を失っていない佳作である。
関連作品:
『マンハッタン無宿』
『父親たちの星条旗』
『硫黄島からの手紙』
『地獄のバスターズ』
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