原題:“Django” / 監督:セルジオ・コルブッチ / 脚本:フランコ・ロゼッティ、ホセ・G・マエッソ、ピエロ・ヴィヴァレッリ / 製作:マノロ・ボロジーニ、セルジオ・コルブッチ / 撮影監督:エンツォ・バルボニ / プロダクション・デザイナー:カルロ・シミ / 編集:ニノ・バラグリ、セルジオ・モンテネリ / 衣装:マルセラ・デ・マルシス、カルロ・シミ / 音楽:ルイス・エンリケス・バカロフ / 出演:フランコ・ネロ、ロレダナ・ヌシアック、ホセ・ボダロ、アンヘル・アルヴァレス、エドゥアルド・ファヤルド、ジーノ・ペルニーチェ / 配給:東宝東和 / 映像ソフト発売元:エスピーオー
1966年イタリア、スペイン合作 / 上映時間:1時間32分 / 日本語字幕:二階堂卓也
1966年9月23日日本公開
2007年3月24日DVD日本盤発売 [DVD Video:amazon]
DVDにて初見(2010/10/28)
[粗筋]
メキシコとの国境間際にある底無し沼の畔で、ひとりの女が立て続けの災難に見舞われていた。最初はメキシコ人の男たちに鞭打ちにされ、現れたアメリカ人たちの一団がメキシコ人たちを射殺したかと思うと、今度は彼らが女を十字架に吊るし火炙りをしかけようとする。
そこへ現れたのは、北軍の服をまとい、棺桶を引きずる奇妙な男――ジャンゴ(フランコ・ネロ)。ジャンゴは5人のアメリカ人たちを驚異的な早撃ちで仕留めると、マリア(ロレダナ・ヌシアック)と名乗った女を伴い、近くにある寂れた街へと赴く。
この地では、元南軍に所属した人種差別主義者のジャクソン少佐(エドゥアルド・ファヤルド)と、メキシコの独立運動に情熱を注ぐウーゴ将軍(ホセ・ボダロ)とがしのぎを削り、死者が溢れた結果、いまでは火が絶えたようになっている。マリアももともとはこの街の、ナサニエル(アンヘル・アルヴァレス)が営む宿で娼婦をしていたが、アメリカ人とメキシコ人のあいだに生まれたために、双方から目をつけられる羽目に陥っていた。
だがジャンゴはそんな事情になどお構いなしに、多めの金子を託して、マリアに部屋を提供するようナサニエルに請う。やがて噂を聞きつけてやって来たジャクソン少佐の部下たちを瞬く間に始末すると、残りの部下も自分が消してやる、と不敵に言い放った。
翌る日、挑発に乗せられ、40人あまりの部下を率いて街へと戻ってきたジャクソン少佐に、ジャンゴは意外な――そしてこの上なく凶暴な牙を剥いた……
[感想]
最近も劇場公開なし、DVD直行という作品にはしばしば見られるが、昔は劇場でも、まったく縁のない作品を大ヒット作の続篇と銘打って公開されることがままあった。最も顕著な例はダリオ・アルジェント監督の『サスペリア PART2 』だろう――あれなどは、『サスペリア』と異なり超常現象を扱わないスリラーであり、そのうえ『サスペリア』よりも先に作られている。
本篇は、作られた年こそ『荒野の用心棒』よりあとだが、それ以外はまったく別物と言っていい。監督も主演俳優も異なり、作品の主役も舞台もまるで違う――撮影に用いたロケーションが一部重なっているようだが、それはイタリアで西部劇を作ろうとすれば同じ場所を使うこともあるだろう。一致しているのは主人公が流れ者で、策を弄して金を稼ごうとしていることぐらいのものだ。“用心棒”とも言い切れないのだから、かなり乱暴な邦題である。
出来映えとしても、黒澤明の映画を下敷きにしたあちらと較べると、計画はかなり雑だし、人物の背景も安易で、率直に言えば安物じみている。
だが、本篇の場合、そういうチープさを敢えて受け入れ、喜んでB級娯楽作品の道を辿ろうとしている潔さが窺われ、決して観ていて不快な印象は受けない――上質の作品を求めるなら話は別だろうが、西部劇独特の暴力描写やけばけばしさに愛着のある、本篇を進んで手に取るような人であれば、不満を覚えたまま観終わる、ということはないだろう。
秀逸なのは主人公の人物像だ。名無しでこそないが、“ジャンゴ”という名前と、ジャクソン少佐とのあいだに何らかの因縁がある、かつてウーゴ将軍を刑務所から助け出した、などごく断片的な素性が語られるだけで、回想などで具体的に過去を描かれることがない。だから、どうして棺桶を引きずって歩いているのかも謎なのだ。いちおう途中でその中身がとんでもないものであると明かされるが、アレのためだけに決して小さくない代物を引きずって旅をしている、とはちょっと考えにくい。その突拍子もなく謎めいた佇まいに異様な魅力があることは否定できない。棺桶のギミックなど、ロバート・ロドリゲスの『エル・マリアッチ』シリーズが象徴するように、後年の映画フリークたちに与えた影響は相当に大きかったのではなかろうか。
かなり無思慮で大胆極まりないが、見せ場がことごとく派手で壮絶であることも本篇の優れた特徴だ。ジャクソン少佐の部下たちを僅かなあいだに仕留めてしまうひと幕に、ウーゴ将軍と組んでの計画、とりわけクライマックスの衝撃と迫力は、『荒野の用心棒』と種類は異なるものの、並べてしまいたくなる心情も頷けてしまう。
セルジオ・レオーネの立体的で広がりのある構図と較べるとこぢんまりとした感は否めないが、映像的にも印象深い場面が少なくない。ジャンゴがウーゴ将軍の裏を掻く様をワンショットで描き出すあたりや、ラストシーンなどは特に記憶に残る。
娯楽に徹しつつも洒脱な深みのあった『荒野の用心棒』に対し、自覚的にチープであることを受け入れ更に派手に過激に独自の“西部劇”を構築した本篇もまた、傑作であることは確かだろう――だが、だからこそ、既に受け入れられたあとの今、『荒野の用心棒』と切り離したタイトルで売り出されてもいいように思うのだが。タイトルを借り、テーマ曲まで拝借してしまった三池崇史監督『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』のような作品だって、今は存在しているのだから。
関連作品:
『荒野の用心棒』
『エル・マリアッチ』
『デスペラード』
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