原題:“Gamer” / 監督&脚本:ネヴェルダイン&テイラー / 製作:トム・ローゼンバーグ、ゲイリー・ルチェッシ、スキップ・ウィリアムソン、リチャード・ライト / 製作総指揮:ネヴェルダイン&テイラー、エリック・リード、デヴィッド・スコット・ルービン、マイケル・パセオネック、ジェームズ・マッケイド / 撮影監督:エッケハート・ポラック / プロダクション・デザイナー:ジェリー・フレミング / 編集:ピーター・アムンドソン、フェルナンド・ヴィレナ / 衣装:アリックス・フリードバーグ / 音楽:ロバート・ウィリアムソン、ジェフ・ザネリ / 出演:ジェラルド・バトラー、マイケル・C・ホール、アンバー・ヴァレッタ、ローガン・ラーマン、テリー・クルーズ、アリソン・ローマン、ジョン・レグイザモ、ゾーイ・ベル、クリス・“リュダクリス”・ブリッジス、キーラ・セジウィック、ラムジー・ムーア、アーロン・ヨー、ジョナサン・チェイス、ブリード・フレミング、ジョニー・ホイットワース、マイケル・ウェストン、ジョン・デ・ランシー、マイロ・ヴィンテミリア、ヘンリー・ハヤシ、キース・デヴィッド、ミミ・マイケルズ、ロイド・カウフマン / レイクショア・エンタテインメント/ライオンズゲート製作 / 配給:Showgate
2009年アメリカ作品 / 上映時間:1時間35分 / 日本語字幕:種市譲二 / R-15+
2010年12月3日日本公開
公式サイト : http://gamer-movie.tv/
TOHOシネマズみゆき座にて初見(2010/12/03)
[粗筋]
今よりも少し未来の話。
ケン・キャッスル(マイケル・C・ホール)は、彼が開発したふたつのサービスによって、僅かな期間で巨額の富を築いた。ひとつは、“ソサエティ”――いわゆるアバターを用いた仮想空間であるが、これまでと異なるのは、操るのが生身の人間である、ということ。脳細胞に融合されたシステムが、一定の範囲でのみ人間を他者の意のままにコントロールすることを可能にしているのだ。この画期的で、あまりに背徳的な“娯楽”は数億人の賛同を受け、瞬く間に一大産業へと発展する。
そしてキャッスルは数ヶ月前、更に過激なゲームを開発した。“スレイヤーズ”と名付けられたそれは、いわゆるコンバット・ゲームだが、仕組みは“ソサエティ”と同じ。つまり、生身の人間同士の殺し合いを楽しめるのだ。操る駒はすべて死刑囚、“スレイヤーズ”のキャラクターになる代わり、30回ゲームに勝つことが出来れば恩赦が与えられる。だが、大抵は10回程度で敗北し、肉塊となるのが普通だった。
この決して容易ではないゲームで27回の勝利を遂げ、ケン・キャッスルとともに“スレイヤーズ”の象徴として人気を博しているのが、ケーブル(ジェラルド・バトラー)という男である。世間は彼が果たして無事に出所できるのか、それとも直前に銃弾に斃れるのか、物見高い眼差しを注いでいた。
しかしその一方で、ケン・キャッスルが構築したシステムを支えるネットワークに、最近“ヒューマン”と名乗るハッカーが侵入と妨害を繰り返し、しばしばシステムに損害を与えている。彼らは、ケン・キャッスルの開発したシステムには、陰謀が秘められていると警告を繰り返していた。
そうしているあいだにもケーブルは着実に勝利を重ねていく。だが、彼の身辺では、多くの思惑が蠢き始めていた……
[感想]
ジェイソン・ステイサムが主演し、“アドレナリンを分泌し続けなければ死ぬ”“充電しなければ心臓が止まる”という荒唐無稽な窮地に追い込まれた男のクレイジーな活躍を描いて、一部の映画ファンを熱狂させた『アドレナリン』シリーズの監督コンビが、初めてシリーズを離れて作りあげた作品である。
粗筋、と言い条、設定の説明に終始してしまったが、ご覧の通り本篇も『アドレナリン』に負けず劣らず、過激な着想に基づいている。特に死刑囚を駒代わりにした殺戮のゲーム、という趣向は、激しいアクション映画を渇望する私のような者の好奇心を強烈に擽るもので、期待を募らせずにはいられなかった。
期待通り、アイディアは非常に面白い。だが、率直に言って、そのアイディアを綺麗に整頓できず失敗してしまった、という印象を受けた。
本篇には多くの事象が絡んでいる。システムに介入してメッセージを送る“ヒューマン”という組織に、プレイヤーとして関わる少年、そしてケーブルと関わりがあると見られる、“ソサエティ”でアバター役を務める女性。更にはケーブル本人の過去に、ケン・キャッスルの秘められた思惑も絡んでくる。それらが別々に、時折もつれながら描かれる様を、畳みかけるように見せる序盤はまだいいのだが、終盤になると何が起きているのか、いったい何を示したかったのか、はっきりと解らない場面が増えてくる。
題材に現代人の文化や娯楽に対する諷刺を盛り込み、『アドレナリン』のような過激さばかりが際立つ作品にするのではなく、描かれたものに様々な解釈を考えさせる奥行きを齎そうとしたことは察せられるのだが、幾通りもの解釈がある、というのと、意図が掴めない、というのはまったく別だ。クライマックスの描写は、人物の描き分けや時制が不明瞭であったり、伏線やフォローがないため位置づけに苦しむようなものが多く、咄嗟に理解しづらい。いちおう大まかな全体像は頭の中に描けるものの、どこにどの出来事を配置していいのか判断しづらいのだ。
たとえばこれが晦渋なSFとして提供された作品ならば、観終わったあとすぐに全体像が把握出来なくても、再構築する楽しみがある、と言えるのだが、本篇は基本的にスタイリッシュかつクレイジーなアクションが見所であり、また落としどころもシンプルであるだけに、背景はいくら込み入っていても、そこに繋がる物語はシンプルにするか、複雑でも出来る限り観客が直感的に理解しやすくなるような工夫が不可欠だった。そこをおろそかにして、描写のテンポや雰囲気に走ってしまったような演出をしたのが、本篇の最大の問題点だろう。
アイディアや表現は相変わらず刺激的で見応えがあるのだ。前作『アドレナリン:ハイ・ボルテージ』で開発した、廉価なビデオカメラを導入した異常なまでに動きの豊かなカメラワークと、ポップな色彩感覚に富んだ映像は観ているだけで幻惑されるし、“スレイヤーズ”の容赦ない殺戮の様子や、“ソサエティ”の登場人物たちのカッ飛んだ衣裳や振る舞いは『アドレナリン』シリーズの昂揚感を思い出させる。
『アドレナリン』はジェイソン・ステイサムとドワイト・ヨーカム以外は無名か、かなりマニアックな俳優ばかりが名前を連ねていたが、本篇では全般にやや知名度のある俳優が起用されており、それぞれに気を吐いているのも見所だ。主演のジェラルド・バトラーは久々に重量感のあるアクションを存分に披露し問答無用の強さを体現し、ドラマシリーズ『デクスター』のタイトルロールで人気を博したマイケル・C・ホールはあちらとは種類の異なる狂いっぷりを示し見事にジェラルド・バトラーと渡り合っている。『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々』でタイトルロールを獲得したローガン・ラーマンが終盤の窮地でも人を食った言動をするプレイヤーを嬉々と演じるかと思うと、名バイプレイヤーのジョン・レグイザモや『デス・プルーフ in グラインドハウス』の果敢なスタントが未だ記憶に鮮やかなゾーイ・ベルが“スレイヤーズ”の住人としてちょっとしたスパイスを効かせている。
題材や表現手法に魅力が溢れ、それについてくるキャストも豪華になった。旧作と同じく情熱の赴くままにそれらを詰めこんでしまい、本来整理の必要な物語をうまく観客に伝えきれていないことが本篇の問題点である。なまじ素材の魅力はかなり感じられるし、それを表現するためにスタッフ・キャストが情熱を注いでいるのも察せられるだけに、勿体ない仕上がりであった。
関連作品:
『アドレナリン』
『ロックンローラ』
『スペル』
『デス・レース』
『サロゲート』
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