原題:“The Verdict” / 原作:バリー・リード / 監督:シドニー・ルメット / 脚本:デヴィッド・マメット / 製作:リチャード・D・ザナック、デヴィッド・ブラウン / 製作総指揮:バート・ハリス / 撮影監督:アンジェイ・バートコウィアク / プロダクション・デザイナー:エドワード・ピソニ / 編集:ピーター・C・フランク / 衣装:アンナ・ヒル・ジョンストーン / 音楽:ジョニー・マンデル / 出演:ポール・ニューマン、シャーロット・ランプリング、ジェームズ・メイソン、ジャック・ウォーデン、ミロ・オーシャ、エド・ビンズ、リンゼイ・クローズ、ロクサーヌ・ハート、ジュリー・ボヴァッソ、ジェームズ・ハンディ、ウェズリー・アディ、ジョー・セネカ、ルイス・J・スタッドレン、ケント・ブロードハースト、コリン・スティントン、トビン・ベル、ブルース・ウィリス / 配給:20世紀フォックス
1982年アメリカ作品 / 上映時間:2時間9分 / 日本語字幕:戸田奈津子
1983年3月19日日本公開
2010年8月4日映像ソフト日本盤発売 [DVD Video:amazon]
DVDにて初見(2010/12/01)
[粗筋]
弁護士のフランク・ギャルヴィン(ポール・ニューマン)は数年前、ある出来事がきっかけで大手事務所を解雇されて以来、すっかり堕落してしまった。アルコール中毒で酒が入っていないと手が震え、葬儀に赴いては遺族に訴訟を持ちかけて仕事にありつこうとする。
彼の師匠にあたるミッキー・モリッシー(ジャック・ウォーデン)はそんなフランクを見かねて、手堅い仕事を斡旋した。それは4年前に発生した、医療上の事件である。
妊婦であったモーリーン・ルーニー(ジュリー・ボヴァッソ)が昏倒、治療のために医師は彼女に全身麻酔を施したが、激しく嘔吐してマスクが詰まり、心停止状態に陥る。どうにか蘇生はされたがモーリーンは植物状態となり、お腹の子も流れてしまった。長いこと棚上げの状態となっていたが、妹のサリー・ドナヒュー(ロクサーヌ・ハート)はせめて姉を施設に入れる費用だけでも何とかしたいと相談を持ちかけてきたのである。
モーリーンを診察したのはキリスト教系の格式ある病院であり、事態を紛糾させることを望んでおらず、一定額の示談金を用意するのは確実と考えられた。少し調査を行い、先方との交渉を行うだけで、しばらくのあいだ遊んでいられるだけの金を稼げる、楽な依頼である。フランクは相変わらず酒に溺れた状態であったが、ミッキーに諭される形で、ようやくこの仕事に取りかかる。
だがこの事件は間もなくフランクに、彼自身思いも寄らなかった変化を齎した――彼は、提示された示談金21万ドルを蹴り、訴訟に臨んだのである――
[感想]
ハリウッド産の法廷ドラマの醍醐味と言えば、陪審員を意識したパフォーマンス的な弁論、証拠や証言を巡る丁々発止の駆け引きがまず挙げられる。意外性を演出するならそこにどんでん返しを仕掛けるのもありだろう。エドワード・ノートンがリチャード・ギアを食う存在感を示した『真実の行方』は間違いなく、この方面の傑作だ。
本篇もまた、確かに法廷ドラマである。だが、何処かしら異なった手触りを感じるのは、“法律”というルールブックの中で繰り広げられる推理合戦、知的なゲームの面白さではなく、むしろそのルールブックの冷たさ、理不尽さに対する不信感、反感のほうが色濃いせいだろう。
序盤の描写にはそもそも法廷ドラマになりそうな気配さえ薄い。バーのピンボール・ゲームで時間を潰し、新聞の訃報欄をチェックして、事故や事件絡みで亡くなった人物の葬儀に紛れ込んで売り込み、あわよくば仕事を得ようとするハイエナめいた立ち回りは、一般的な弁護士のイメージを感じさせない。こういう振る舞いをする弁護士も実際にいて不思議はないが、観ていて嫌悪感を覚えるほどだ。
フランクが訴訟に踏み切る決意を固めたあたりで、初めて法廷ドラマらしい証拠調べや聞き込みが始まるが、そこに至ってもフランクの振る舞いはかなり頼りない。法廷ドラマというより、落ちぶれた弁護士の生態を描くことに主眼を置いているかのようだ。
だが、そんなフランクの過去が垣間見え、彼が本気で事件に取り組もうとしていることが解ってくるにつれて、様相が変わってくる。顕わになっていくのは、病院側の人間のあまりに姑息な立ち回りと、法例や規則を振りかざして事態を彼らの信じる穏便な地点に降り立たせようとする司法側の傲慢さであり、そこに当事者が存在しない不条理さだ。
法律というのは実のところ、弱者のためにあるわけでもまして強者のためにあるわけでもなく、社会の秩序を保つために存在しており、裁判という形で争いを収束する上で、覚悟や妥協が少なからず求められるものだ。だがそれにしても、実際に傷ついている者を無視し、禍根を残すような本篇の成り行きには、フランクならずとも憤りを覚える。そして、不利な状況で必死に打開策を捜し求める彼の姿に一喜一憂させられる。このくだりには、法廷ドラマとしての真骨頂が感じられる。
しかし、そのうえでクライマックスに描かれる成り行きの理不尽さに、改めて遣る瀬ない想いを抱かされる。そこで繰り出される、フランクの最終弁論があまりに絶品だ。打ちひしがれた表情で、しばし呼びかけにも応えなかった彼が、立ち上がり、激昂することもなく静かに、だが力強く発する言葉の何と重いことか。このくだりをして“ポール・ニューマン畢生の演技”と評する声もあるようだが、まったくその通りだと思う。
この名場面のあとに示される結末は、今になって思えば、ある種の危険を孕んでいる。だがそれは、“法律”という制度そのものが孕む危険に対して突きつけた楯と呼ぶべきものだろう。それでも、何かを守ることは出来るのだ。
静かながらも絶望と希望との狭間を絶え間なく、激しく行き来した物語は、意味深なひと幕で終わる。いつまでも鳴り続ける電話のベルが、そのまま観客の心にも、問いかけのように響き続ける。
制度としてはやや異なるが、日本でも現在、裁判員制度が施行されている。こういう現在にこそ、敢えて向き合い、考える意義のある、社会派ドラマの逸品である。サスペンスとしては緊張感や驚きが足りない、と首を傾げるのもある意味当然だが、少し退き、全体と向かい合ってじっくりと鑑賞することをお薦めする。
関連作品:
『12人の怒れる男』
『スティング』
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