原作:池宮彰一郎(角川文庫・刊) / 監督:杉田成道 / 脚本:田中陽造 / 製作:小岩井宏悦、服部洋、椎名保、酒井彰、名越康晃、井上伸一郎、喜多埜裕明、川崎代治、大橋善光 / プロデューサー:野村敏哉、岡田渉、宮川朋之 / 製作総指揮:ウィリアム・アイアトン / 企画:鍋島嘉夫 / 撮影監督:長沼六男 / 美術:原田哲男 / 美術監督:西岡善信 / 照明:宮西孝明 / 編集:長田千鶴子 / 衣装:黒澤和子 / 音響効果:柴崎憲治 / 音楽:加古隆 / 出演:役所広司、佐藤浩市、桜庭ななみ、山本耕史、風吹ジュン、田中邦衛、伊武雅刀、笈田ヨシ、安田成美、片岡仁左衛門 / 配給:Warner Bros.
2010年日本作品 / 上映時間:2時間13分
2010年12月18日日本公開
公式サイト : http://www.chushingura.jp/
TOHOシネマズ西新井にて初見(2010/12/30)
[粗筋]
元禄十五年十二月十四日の吉良邸討ち入りの際、四十七人の浪士はすべてが忠義に果てたわけではなかった。ただひとり、寺坂吉右衛門(佐藤浩市)だけは生き延びていた。吉良上野介(福本清三)を誅し泉岳寺を目指す途中、大石内蔵助(片岡仁左衛門)から生き証人となり、浪士たちの遺族や、討ち入りに加わらなかった藩士の力となるよう、命じられたのである。
寺坂は十六年の歳月を費やし、すべての遺族を捜し出したあと、四十六士の十七回忌の法要が営まれる京へと赴いた。内蔵助の従兄弟であり、近衛家に仕える進藤長保(伊武雅刀)は寺坂を労い、法要までのあいだ自身の居宅で身を休めるように言う。
しかし、使命を果たしたはずの寺坂にはひとつだけ、気懸かりがあった。京までの道中、さる寺の前で、彼は自らの知己によく似た男を見かけたのだ。それは、瀬尾孫左衛門(役所広司)――討ち入り前夜まで志士に連なっていたはずが、突如として逐電した男である。命惜しさ故に逃亡した、と見られていたが、竹馬の友であった寺坂は、瀬尾が浅野家ではなく大石家の用人として三代仕えていた家系であり、妻子もなく内蔵助と共に果てる覚悟を決めていたことを承知しているために、ずっと腑に落ちぬものを感じていた。仮に生き延びたとして、いったい何をしているというのか……?
その頃、瀬尾孫左衛門は確かに、京にほど近い場所に身を潜めていた。ある“密命”を背負い、可音(桜庭ななみ)という娘を育てていたのである――
[感想]
既に乱世は遠い過去、折しも将軍綱吉の圧制下で鬱屈を抱えていた民衆は、忠義のためにその命を賭した赤穂浪士たちを早い段階から英雄視していたといわれる。だが、復讐を果たし自害した彼らはともかく、その遺族たちはどのような余生を送ったのか。そして、少なからずいたはずの、討ち入りに加わらなかった人々はどのような扱いを受け、何を思って生き長らえたのか。討ち入り前夜までの過程は仔細に描かれることが多いが、こうした後日談や周縁の出来事については、未だにあまり語られてはいないように思う。
本篇は、討ち入りに加わりながらも実際に内蔵助の命により隊列を離れ、長い人生を全うした寺坂吉右衛門の目線から語りはじめ、やがて発見された瀬尾孫左衛門に視点を移して、生き残りたちの境遇や過去に対する想いを描き出している。
語り口は全般にストレートで、妙な仕掛けは凝らしていない。寺坂と瀬尾、双方の視点を交互に用いて重層的に描くことも可能だったはずだが、カメラが瀬尾を中心に動き始めると、しばし寺坂の存在を忘れ去ったかのように、瀬尾と彼によって育てられた可音の表情を丹念に追い続ける。
人によっては物足りなく感じるかも知れないが、しかし腰を据えてじっくりと積み重ねられる描写によって、瀬尾と可音の心情が森々と沁みてくる。そして、基本的に詳細に描かれる人物は限られているのに、志士たちの遺族や、討ち入りに加わらなかった人々の境遇をも想起させる。予め、寺坂が訪ねた遺族の暮らしぶりや進藤との会話の端々に、その片鱗を匂わせていることも奏功しているが、瀬尾の何かを耐える面持ちのままに秘密を貫きとおそうとする姿や、何よりも中盤あたりで、他の浅野家元家臣と遭遇した際の顛末が能弁だ。こうした描写の蓄積が、極めて味わい深い空気を生み出している。
個人的に惜しい、と思えるのは、台詞にいまひとつ重厚感が乏しいことだ。次にこう言うだろう、と想像するとほぼその通りの台詞が出て来てしまう。それだけ堅実な作りとも言えるが、あまりに素直すぎて、会話が印象に残らないのは残念だ。特に寺坂と瀬尾が再会し、斬り合いとなるあたりの描写は、見せ場であるはずなのに、どうも全体が安易に感じられた。
しかしその分、無言の表情や仕草が非常に重い。瀬尾や可音がひとりで思案に耽る横顔はそれだけで様々な感慨を窺わせ、所作のひとつひとつに意志を滲ませる表現が実に見事だ。
そして、そうした静かで繊細な描写の最高潮に設けられた花嫁行列は圧巻の一言に尽きる。十六年に亘る想いを様々なかたちで託し、昇華させるこのくだりは、いささかあざとい、と感じたとしても、胸を熱くせずにはいられないだろう。
或いは不満に思えるかも知れない終幕も、しかし様々な要素を重ね合わせると必然的だ。哀しくも愚かに映る選択は、だが本来、元禄十五年のあの晩で果てるつもりだった命の行き場として、他にあり得ない――そして、周りの人間もそれを悟っていることが、直接描かれなくとも窺えるから、余韻はいや増す。
あまりに真っ直ぐな表現に物足りなさ、不満を覚えるかも知れないが、だがここまで己の“使命”に愚直であろうとした人々の姿を描くにはいちばん相応しい語り口であろう。許容するか否かを別にしても、その生き様が観た者の胸に優しくも鋭く突き刺さる、秀麗で誠実な時代劇である。
関連作品:
『十三人の刺客』
『必死剣鳥刺し』
『サマーウォーズ』
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