原題:“There’s No Business Like Show Business” / 原作:ラマー・トロッティ / 監督:ウォルター・ラング / 脚本:ヘンリー・エフロン、フィービー・エフロン / 製作:ソル・C・シーゲル / 撮影監督:レオン・シャムロイ / 美術監督:ジョン・デキュアー、ライル・R・ウィーラー / 衣裳:トラヴィラ、マイルス・ホワイト / 編集:ロバート・シンプソン / 作曲:アーヴィング・バーリン / 音楽監督:アルフレッド・ニューマン、ライオネル・ニューマン / 出演:エセル・マーマン、ドナルド・オコナー、マリリン・モンロー、ダン・デイリー、ジョニー・レイ、ミッツィ・ゲイナー、ヒュー・オブライアン、リチャード・イーストハム、ジョージ・チャキリス / 配給&映像ソフト発売元:20世紀フォックス
1954年アメリカ作品 / 上映時間:1時間54分 / 日本語字幕:金丸美南子
1955年4月22日日本公開
2007年4月6日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon]
第1回午前十時の映画祭(2010/02/06〜2011/01/21開催)上映作品
TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2011/01/21)
[粗筋]
1920年代から、“ザ・ドナヒューズ”と称して夫婦でミュージカルの舞台に立っていたテリー(ダン・デイリー)とモーリー(エセル・マーマン)。やがて相次いで3人の子種に恵まれるが、子供たちの成長に伴い、教育の問題が浮上した。テリーは自分の手許に置いておきたがったが、各地の福祉係にその都度咎められ、親類にも諭された結果、寮制の学校に預けることを決断する。
両親の血を色濃く受け継いだ子供たち、特に最年少のティムは親の元に戻りたいが為に二度にわたって脱走を試みる、という事件もあったが、やがて3人の子供たちは無事に卒業すると、両親の一座に加わった。斯くして“ザ・ファイヴ・ドナヒューズ”となった一家は、手を携えて興行の旅を繰り返す。
だが、そんな孝行息子たちも、それぞれが年頃を迎えて、一家には変化が訪れた。長女ケイティ(ミッツィ・ゲイナー)と次男ティム(ドナルド・オコナー)は色恋に忙しく夜遊びが増えるなか、驚くべきは長男スティーヴ(ジョニー・レイ)の決断である。学校で優等生だった彼は、神に仕える道を選んだのだ。
告白された当初は悩んだテリーとモリーだったが、結局は我が子の意志を受け入れる。かくてドナヒュー一家は4人で興行を務めることになったが、次なる転機は次男ティムが齎した。新進ミュージカル女優であるヴィッキー(マリリン・モンロー)への恋が、意外な進路をティムとケイティに指し示したのだ……
[感想]
ミュージカルを生業とする一家の年代記をミュージカルで描く、という体裁だが、本篇の巧みさは、実際の舞台以外は基本的に普通の芝居で描写し、作中作というべき興行の場面をひと幕きっちり織りこんでいることだ。そうすることで、ミュージカル映画にありがちな不自然さを拡散する一方で、中盤でのティムとヴィッキーとのやり取りを現実部分ながらミュージカルで演出し、ティムの恋心の高まりを際立たせることに成功している。
何よりも本篇の肝は、そのミュージカル部分の華やかさだろう。物語の一部をそのままミュージカルにしてしまうと、内容の制約を受けてしまいかねないが、はじめからステージ上で披露する演技、という前提にすることで、書き割りも大仰な動きも正当化している。メインとなるドナヒュー一家の面々はいずれもブロードウェイなどで活躍していた俳優たちのようだが、古さを差し引いても大仰な表現が、2/3ぐらい占めると思われるミュージカル・パートのお陰で、大きな違和感を抱かせない。華やかなセットと表情豊かなダンス、そして職人的な工夫の光るミュージカルを味わう、という意味では、非常に満足度の高い作品だろう。
ただ、個人的には不満を覚えたことを添えておかねばならない。好きな映画のひとつに『ムーランルージュ!』を掲げるぐらいなので、ミュージカルに抵抗はないし、大袈裟な表現にも寛容なほうだと自分では思うが、本篇の場合、場面場面の見せ方にこだわりすぎているせいなのか、物語の連携がどうも甘い。
少しずつドナヒュー一家に起きていく変化が全体の柱のはずだが、子供たちが寮に入る、という大幅な転機からあっという間に卒業まで辿り着いてしまい、子供たちが戻ったという感慨が乏しかったり、続く次の大きな出来事である、スティーヴが信仰の道を選ぶくだりも、伏線など何もなくいきなり訪れるので、驚きはあるがいまいち感動を呼び起こさない。当初、プレイボーイ風だったティムがどうして一気にヴィッキーに傾いたのか、はミュージカルでの心情描写と重なって比較的明瞭だが、しかしもっと大切なクライマックスへの裏打ちをしていないので、折角の感動的な場面が効果を上げていない。あの場面を活かすのなら、あいだの出来事をもう少しはっきりと描くべきだったのではないか。
唯一無二の大スター、マリリン・モンローにしても、二度の独壇場で気を吐いているが、存在感はあれど言動にいまひとつ説得力がない。彼女の演技力の問題というより、感情の変遷を伝えるのに失敗しているからで、本篇のひとつ前に『午前十時の映画祭』で鑑賞した『お熱いのがお好き』に較べると、どうしても魅力が乏しく感じられた。
昨今なかなかお目にかかれないほど鮮やかで、精密に構成されたミュージカル・シーンの完成度は一見の価値があるが、物語の出来まで期待すると辛い、という印象だ。派手で荒唐無稽、時として物語が無軌道でも認める私だが、これほどはっきりと物語の道筋が見えているのに、お座なりにしているのは却って納得しにくい。目と耳はたっぷりと愉しませてもらったし、歴史に残るのも頷ける娯楽映画だというのは確かだが、個人的にはどうしてもハマることの出来ない作品だった。
関連作品:
『お熱いのがお好き』
『シカゴ』
『ドリームガールズ』
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