原題:“Whatever Works” / 監督&脚本:ウディ・アレン / 製作:レティ・アロンソン、ステファン・テネンバウム / 製作総指揮:ブラヒム・チョウワ、ヴァンサン・マラヴァル / 撮影監督:ハリス・サヴィデス / 美術:サント・ロクァスト / 編集:アリサ・レプセルター / 衣装:スージー・ベンジンガー / 出演:ラリー・デヴィッド、エヴァン・レイチェル・ウッド、パトリシア・クラークソン、エド・ベグリーJr.、ヘンリー・カヴィル、キャロリン・マコーミック、クリストファー・エヴァン・ウェルチ / 配給:ALBATROS FILM
2009年アメリカ作品 / 上映時間:1時間31分 / 日本語字幕:松浦美奈 / PG12
2010年12月11日日本公開
公式サイト : http://jinsei-banzai.com/
[粗筋]
かつては量子工学の分野でノーベル賞も期待されていた、自他共に認める天才であったボリス(ラリー・デヴィッド)。パニック障害を発端とする自殺騒動で優れた妻ジェシカ(キャロリン・マコーミック)と別れて以来、朽ち果てそうなアパートに蟄居し、子供たちにチェスを教える報酬で細々と暮らしていた。
ある日、ボリスがアパートに戻ると、ひとりの少女が彼に食事を乞うてきた。3日前に家出して以来何も食べていない、と言われ、やむなくボリスは彼女を家に上げるが、厚かましいことに、仕事を見つけて新しい住居が見つかるまで置いて欲しい、と言い出す。愚かだが決して悪人ではない、と判断したボリスは、渋々滞在を認めてしまう。
彼女――メロディ(エヴァン・レイチェル・ウッド)は、だがなかなか出て行こうとしなかった。観光案内をして欲しい、と言ってはボリスを連れ回し、彼を翻弄する。しまいにはボリスに対して、はっきりと好意を示すようになって、彼は困惑した。自分のような偏屈な男に恋するより、同年代の健康な若者のほうが彼女にはお似合いだ、と考えた――初対面のときと異なり、彼女の魅力を正しく認めるようになっていたからこそだった。
魅力的なメロディは、やがて手にした犬の散歩代行の仕事の最中に出逢った青年に、デートに誘われて出かけていく。彼女が留守のあいだ、いつものように友人たちを相手に皮肉を吐いて時間を潰していたボリスだったが、何故かかつてと同じように飄然としていられない。やがて帰ってきたメロディは、デートは最悪だった、と嘆く。あらゆるものを無条件に愛すると言って聞かず、少しウイットのある表現を用いただけでたじろぐ相手にうんざりしていた――そして、いつの間にかそんなことを言ってのけるようになった彼女に、ボリスは運命を感じる。
ふたりは結婚した。相変わらず悲観主義的なボリスは、この結婚が長続きするとは考えられずにいたが、ふたりはそれから“人生最悪ではない1年間”を過ごす。だが、そんなふたりの家に、メロディの母・マリエッタ(パトリシア・クラークソン)が現れたことで、事態は動き出す――誰もが予想の出来ない形で。
[感想]
最初のうち私は、本篇の主演がウディ・アレンだと勘違いをしていた。広告で用いられている写真にあしらわれた主人公の横顔がパッと見ただけだとウディに似ていたからだろうが、プロローグ、カフェで友人たちと語り合う主人公ボリスの物言いが、これまでウディ・アレンが自身の監督作で演じてきた人物像と食い違っていなかったために、しばらく混乱は収まらなかった。
しかし、このボリスという男は、ウディの演じてきた人物たちを彷彿とさせるが、同時にそれ以上のアクの強さを備えている。かつ、そのキャラクターが物語の価値観、世界観と一致しており、完成度という意味では、少なくとも私がこれまでに劇場で鑑賞したウディ・アレン監督作品の中ではいちばん高い、と感じた。
本篇は冒頭から、人を食った趣向を用意している。友人たちと語り合っていたボリスが、突如としてカメラ目線になって、映画館で作品を観ている客へと語りはじめるのだ。登場人物がこういう形で説明を施す、という表現は決して珍しくないが、本篇の場合は主人公が観客の存在を周りの人物に向かって説明し、対する友人は訝り、目撃した子供が彼を指さす、というくだりまで用意している。こういう徹底の仕方は珍しい。
だが、そう言う行動をしていても周囲が不思議がらないほどのボリスの人間性が、この奇妙で意外性に富んだ物語とその表現を正当化しているのだ。
普通、いくら偏屈ではあっても、メロディのような愚かだが愛らしい娘が傍にいれば多少なりとも情が移るだろうし、こういう状況であればもっと素直に話を運ぶのが定石だろう。しかし度を超えたボリスの性格は、なかなかそういう安易な方向へと靡かない。メロディの言動に大きな影響を与え、彼女を経由して意外な拡散をしていく。観ていると終始驚かされ、ほとんど先の予想が出来ないストーリーなのだが、その中心には無自覚ながら常にボリスがいる。しかも、さり気ない台詞があとの出来事と繋がっていくのだから、終盤になると感嘆を禁じ得ない。あの冒頭のメタ・フィクション的な描写でさえも、最後にきちんと繋がっていくのだから。私の鑑賞したウディ・アレン作品にはどうしても安易さや唐突さがつきまとっていたが、本篇は計算が隅々まで行き届いている。
そうして、言ってみればボリスの提唱する価値観の中で人々が踊らされているのが本篇なのだが、秀逸なのは、ただひとりボリスに対しても強い影響を与えることになるメロディの魅力だ。序盤の突き抜けた天然ぶりも印象的だが、その後も基本的におつむの中身は軽そうなまま、しかしボリスの価値観を吸収して確かに成長している。変化しながらも、だが天使めいた愛らしさは最後まで残しているのだ。もともとウディ・アレン作品のヒロインはみなキュートだが、本篇のメロディはトップクラスだと感じる。エヴァン・レイチェル・ウッドの容姿と振る舞いがまた、このピュアな魅力に満ちあふれた人物像にぴったりと嵌っている。
物語は終盤になればなるほど意外な――意外すぎて却って予想がつく人もあるかも知れない――展開を繰り返し、最後には驚くべき人物関係を一堂に集めて幕を下ろす。一歩間違えれば荒唐無稽な事態だが、そこにリアリティを付与しているのは、ボリスの人物像であり、彼を中心とした独得の語り口なのだ。そして、こんなクセのある人物を軸にしながらも、本篇の終幕はとてもハッピーで、後味も快い。
不穏な感情を背負って劇場をあとにするのは厭だ、という信念のあるような人にも安心して薦めることの出来る、観終わって本当に笑顔になれるコメディである――どうしてもボリスの価値観が受け入れられない、という人を除けば、だが。
関連作品:
『マッチポイント』
『レスラー』
『フォロー・ミー』
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