原題:“Magnum Force” / 監督:テッド・ポスト / キャラクター創造:ハリー・ジュリアン・フィンク、R・M・フィンク / 原案:ジョン・ミリアス / 脚本:ジョン・ミリアス、マイケル・チミノ / 製作:ロバート・デイリー / 撮影監督:フランク・スタンリー / 美術監督:ジャック・コリス / 編集:フェリス・ウェブスター / 第二班監督:バディ・ヴァン・ホーン / 音楽:ラロ・シフリン / 出演:クリント・イーストウッド、ハル・ホルブルック、フェルトン・ペリー、ミッチェル・ライアン、デヴィッド・ソウル、ロバート・ユーリック、ティム・マシスン、キップ・ニーヴン、ジョン・ミッチャム、アルバート・ポップウェル、クリスティーン・ホワイト、アデル・ヨシオカ、マーガレット・エイヴリー、スザンヌ・ソマーズ、モーリス・アージェント / マルパソ・カンパニー製作 / 配給:Warner Bros.
1973年アメリカ作品 / 上映時間:2時間3分 / 日本語字幕:高瀬鎮夫
1974年2月9日日本公開
2010年4月21日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon|Blu-ray Disc:amazon]
[粗筋]
サン・フランシスコの裏社会の大物が、法廷で無罪を勝ち取った直後、何者かによって用心棒、弁護士もろとも射殺された。
この出来事を契機に、麻薬密売人、娼婦を殺害したヒモなど、法の網を逃れ続ける悪党たちが次から次へと殺害される。ニール・ブリッグス警部補(ハル・ホルブルック)の指揮のもと捜査が行われ、主に被害者と反目する犯罪者たちに疑いの目が向けられたが、サンフランシスコ市警きっての問題児ハリー・キャラハン警部(クリント・イーストウッド)には別の気懸かりがあった。
一連の事件で被害者は至近距離から撃たれており、免許証を見せようとした痕跡がある。警察を装ったか、或いは警官が犯人である可能性があった。ハリーにはひとり、心当たりがある。もともと刑事で、正義感に溢れる男だが、心に問題を抱えて現在交通課に出向している友人チャーリー・マッコイ巡査(ミッチェル・ライアン)。
だが、ハリーの推測に反して、新たな事件でチャーリーは犯人によって殺害されてしまう。しかしそのことが、ハリーに確信を抱かせた――一連の事件は、警官の犯行に違いない。
[感想]
近年、クリント・イーストウッドが監督として作りあげる映画は、ジャンルに縛られているという印象がまるでない。戦争映画も撮ればドラマも撮る、史実に基づいたミステリや、少々前の作品とはなるが『マディソン郡の橋』のようなロマンスまで手懸け、2011年2月19日に日本公開となった『ヒア アフター』では唯一手つかずだった超自然を題材にした作品までものにしている。
恐らくイーストウッドという人物は、作品選択に関わることが出来るようになった時点から既に、職人的な視座から作品に携わっていたのではないか。自身の作風にこだわる、というよりは、観客がどういうものを求めているか、こういう題材を形にするにはどうすればいいのか、というところに注視し、正攻法であれ奇手であれ、そのアイディアが活きるように作りあげる――当たり前のように聞こえるが、こういう姿勢を明快に打ち出し、実行し続ける人は稀だ。
そういう人物であるせいだろう、イーストウッドは自身の個性に嵌った役柄を繰り返し選んでいる一方で、いわゆるシリーズ物には関心を示していない様子がある。同じような役柄であっても、共演者やテーマとの組み合わせで立場をガラッと入れ換える場合があるので、シリーズという形で立ち位置が固定されてしまうのを嫌ったせいかも知れない。
そんなイーストウッドが初めて手懸けた続篇であるこの作品は、だがイーストウッドらしく、職人芸を感じさせる仕上がりになっている。
前作では、動機も理念も不透明な、モンスターめいた殺人犯と、法制度との板挟みになる中で孤軍奮闘する様を、サン・フランシスコの生活感を巧みに織りこんだ映像で味わい深く描き出したが、本篇はその面白さを、ひねりを加えた形で継承している。
法では裁けない犯罪者たちを次々と殺していく何者かを、意に染まない過程で追わされるハリー・キャラハン刑事、という構図を組み立て、価値観の側面から観る側を翻弄する。その一方で、なかなか犯人の全体像を見せないことで、ハリーの捜査の様子とちょっとした逆転を取り込んでいるのも巧妙だ。前作よりもその見せ方に娯楽色が濃く、テーマの重みのわりにいささか軽く感じられるきらいはあるが、少なくとも観客に評価されていたはずの良さをきちんと踏襲している。
そして、アクションは前作よりも増量し、より迫力のあるものになっている。クライマックス手前で披露される西部劇さながらの乱射戦に、意外なロケーションで繰り広げられるオートバイ同士の追跡劇など、印象は鮮烈だ。
何より、ハリー・キャラハンの立ち位置にブレがないのが見事だ。前作と並べると実に難しい題材であり、観るほうは悩まされ、動揺させられるが、しかしハリーは乱れない。中盤、ある事情から動揺を見せるものの、だがいざ真犯人と対峙したときにはもう迷いはない。観る者を揺さぶるからこそ彼の確固たる言動が雄々しく映る。題材の選択もさることながら、自らの演じるキャラクターの美点をよく理解しているクリント・イーストウッドの面目躍如たる作りだ。
社会派的な主題にせよアクションにせよ、前作のどういった要素が喜ばれたのか、を充分に理解した上で、配慮をして作っていることが窺われる。謎解きめいた語り口とアクションの迫力が増したために、映像的な味わいや主題の重みが和らぎ娯楽に傾斜してしまったことが人によっては不満に感じられるかも知れないが、間違いなく理想に極めて近い、良質の“続篇”である。
関連作品:
『ダーティハリー』
『完全なる報復』
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