原題:“Black Swan” / 監督:ダーレン・アロノフスキー / 原案:アンドレス・ハインツ / 脚本:マーク・ヘイマン、アンドレス・ハインツ、ジョン・マクラフリン / 製作:マイク・メダヴォイ、アーノルド・W・メッサー、ブライアン・オリヴァー / 製作総指揮:ブラッドリー・J・フィッシャー、アリ・ハンデル、タイラー・トンプソン、ピーター・フラックマン、リック・シュウォーツ、ジョン・アヴネット / 撮影監督:マシュー・リバティーク / 視覚効果監修:ダン・シュレッカー / プロダクション・デザイナー:テレーズ・デプレス / 編集:アンドリュー・ワイスブラム / 衣装:エイミー・ウェストコット / 振付:バンジャマン・ミルピエ / 音楽:クリント・マンセル / 音楽監修:ジム・ブラック、ゲイブ・ヒルファー / 出演:ナタリー・ポートマン、ヴァンサン・カッセル、ミラ・クニス、バーバラ・ハーシー、ウィノナ・ライダー、バンジャマン・ミルピエ、クセニア・ソロ、クリスティーナ・アナパウ、ジャネット・モンゴメリー、セバスチャン・スタン、トビー・ヘミングウェイ / プロトゾア&フェニックス・ピクチャーズ製作 / 配給:20世紀フォックス
2010年アメリカ作品 / 上映時間:1時間48分 / 日本語字幕:松浦美奈 / R-15+
第83回アカデミー賞作品、監督、主演女優、撮影、編集部門候補
2011年5月11日日本公開
公式サイト : http://www.blackswan-movie.jp/
TOHOシネマズ日劇にて初見(2011/05/11)
[粗筋]
ニューヨーク・シティ・バレエ団に勤めるニナ・セイヤーズ(ナタリー・ポートマン)にとって、悲願の時が近づいていた。芸術監督のトマ・ルロワ(ヴァンサン・カッセル)は今年最初のプログラムに新しい振付での『白鳥の湖』を選択、折しもこれまでプリマを務めてきたベス・マッキンタイア(ウィノナ・ライダー)が今回限りで現役を退く決定を下したこともあり、踊りの完成度で高い評価を得ていたニナがプリマになる可能性が俄然浮上してきたのだ。
だが、ルロワは今回の『白鳥の湖』を新しい切り口で描こうと、従来は別々のバレリーナが演じるはずの“白鳥の女王”と、彼女を追い込む“黒い白鳥”を、いずれもプリマに舞わせることを考えていた。ニナの踊りは完璧だが、“不感症”と陰口を叩かれるほど色香を伴わない彼女では、二役をこなせないのでは、と判断されたのである。
オーディションのあと、ヴェロニカ(クセニア・ソロ)に決定した、という噂を聞いたニナは思いあまってルロワのもとを訪れるが、強引に唇を奪われ、思わず噛んで抵抗してしまう。
そうして失意の中、ニナは配役発表の日を迎える。“白鳥の女王”に指名されていたのは――ニナだった。
抵抗するために歯を立てた激情を評価されての抜擢であったが、悦びは束の間だった。繊細なニナにとって、プリマという重責に加え、持ち合わせのない性的魅力を求められた稽古は、想像を超えるストレスを彼女にもたらした……
[感想]
ダーレン・アロノフスキー監督の撮る映画の主人公たちは基本的に、袋小路の中にいる。『Π』の主人公は思考の迷宮に陥り、『レクイエム・フォー・ドリーム』の登場人物たちは麻薬依存から抜け出せなくなった。『ファウンテン 永遠につづく愛』の主人公はいわば愛というものが大いなる円環を構築した物語であり、ミッキー・ロークにオスカーをもたらした前作『レスラー』は落魄しながらもプロレスの世界から抜け出せず、その道に殉じる男を描いた物語だった。
本篇も、そういう意味ではまさにアロノフスキー監督らしい主題なのだ。ヒロインは、プリマを志しながらも挫折した母親の夢を引き継ぎ、青春のすべてをバレエに注ぎ込んできた女性である。具体的に説明する部分はないが、細かな描写が伝える彼女の立ち位置は序盤から切迫している。
無事に大役を任されるが、だからと言ってプレッシャーから逃れられるわけではない。彼女も自覚している人生経験の乏しさによる性的魅力の欠如ゆえに、芸術監督の要求に応えられず煩悶する。たとえば他に逃げ場のある生き方をしているなら、或いはバレエを収入の手段と割り切っているのなら、ここまで固執せずに済んだかも知れないが、小さい頃からプリマを志していたがために執着する。
母親の立ち位置も重要だ。どうやら過去にプレッシャーから自傷行為に及んだこともあるらしいニナを気遣い、口では無理をしないように忠告する。しかしその一方で、主役を勝ち取ったことを報告されると、記念にケーキをワンホールで購入し、緊張で胃が縮んで食べられない、とニナに訴えられるとケーキまるごと捨てようとする――その神経質な振る舞いが、言葉とは裏腹の期待の大きさを窺わせ、ますますニナを追い込んでいく。
入れ替わりに引退する前任プリマに、役柄に拘らず自由に振る舞いニナにない魅力を発散する新しい同僚リリーの存在もニナに圧力を加えており、その閉塞感は、感情移入しやすい人なら恐怖を覚えるほどだろう。
演出も、ホラー映画の手法を敷衍しており、ニナの焦躁を濃密に伝えてくる。背後から迫り来る悪魔の表情、過ぎる人影、といったオーソドックスな手法ながら、前述のような状況が積み重ねられているだけに効果は大きい。とりわけ、環境音がときおり、翼の羽ばたきのように聞こえる趣向は、クライマックスでのニナの変化を巧みに裏打ちしていて絶妙だ。
だが何よりも素晴らしいのがナタリー・ポートマンの演技であることは誰しも認めるところだろう。可憐で神経質なバレリーナに見事に扮し、その舞いも表情も文句のつけようのない仕上がりだ。普段は本当に、完璧なプロポーションに反してほとんど色気を感じさせないのに、ルロワの助言に従って自らを慰めるシーンや、クライマックス付近で示すステップはまさに凄艶。ラストで彼女が口にする台詞がこれほどの説得力を帯びるのも、その名演あってのことだろう。本篇の演技でオスカーに輝いたことを批判できる人はそうそうあるまい。
演出も演技も完璧ながら、恐らくその締め括りについては釈然としない想いを抱く人も多いだろう。だが本篇はあくまでひとりのバレリーナの壮絶な葛藤と、クライマックスでの“飛翔”の様を象徴的に、しかし実感的に描き出すことが目的であり、細部の整合性を詮議することはあまり意味がない――この描写は現実でここは彼女の幻覚、ここでこういう出来事があったのはこれが影響で、と、細部を検証していくことで深みを増し、異なった表情を見せることも、本篇の魅力のひとつなのである。
本質的には平明なストーリーながら、観る者が意識的に踏み込んでいかないと理解しづらい表現と、そこから更に考察が必要となる結末は、納得のいかない想いを抱く人もあるだろう。だが、この物語を咀嚼すればするほどに、これ以上のハッピーエンドはなかった、と気づくはずだ。だからこそ、釈然としない印象をもたらしながらも、本篇の結末は奇妙な清々しさをたたえている。
内容や表現手法に異論はあるかも知れないが、そこに1本芯が通っていることを否定できる人はいるまい。ダーレン・アロノフスキー監督ならではの作品であり、恐らく後年どれほどナタリー・ポートマンが優れた映画に出演しようと、彼女の代表作として掲げられ続けるはずの、畢生の傑作である。
関連作品:
『レスラー』
『マイ・ブラザー』
『オーシャンズ12』
『マックス・ペイン』
『エコール』
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