原作:笹沢左保 / 監督:長谷和夫 / 脚本:宮川一郎 / 製作:岡部竜 / 撮影監督:小杉正雄 / 美術:根岸正晃 / 照明:山形邦夫 / 編集:笠間編集工房 / 音楽:牧野昭一 / 出演:天知茂、川口小枝、原知佐子、加藤嘉、岩崎加根子、菅井一郎 / 配給:松竹
1966年日本作品 / 上映時間:1時間30分
1966年10月15日日本公開
本格ミステリ作家クラブ10周年記念企画『美女と探偵〜日本ミステリ映画の世界〜』(2011/6/4〜2012/7/1開催)にて上映
神保町シアターにて初見(2011/06/19) ※芦辺拓×北村薫×有栖川有栖トークイベント付上映
[粗筋]
保険会社の調査員である新田純一(天知茂)が、競争相手の佐伯初子(原知佐子)とともに出張先から帰京する途中の電車で、ひとりの女が突如悲鳴を上げた。線路脇の崖から人が落ちるのを目撃したのだ、という。東京に着き、駅の事務室で事情聴取を受けた女――小梶鮎子(川口小枝)は、その転落した人物が父親・美智雄(加藤嘉)であったことを聞かされ、卒倒する。
美智雄はつい最近、鮎子を受取人にした高額の保険に複数加入しており、成り行きから新田と佐伯がこの件を担当する運びとなった。自殺の場合保険金が支払われないケースだが、他殺の可能性が濃厚であるため問題はないはずなのに、あまりに出来過ぎた偶然の蓄積に、新田は疑問を抱く。
他殺の場合、最も嫌疑が濃厚であるのは、小梶美智雄の旧友・国分久平(菅井一郎)であった。画家というがギャンブルに明け暮れ、小梶は会社の金を彼に一時的に貸していたが、なかなか返さないためにたびたび請求をしていたという。警察はなかなか彼の所在を掴めずにいたが、もともとふらりと行方をくらますことが多かったとのことで、周囲の者は気に留める様子もない。
だがその矢先、国分が自殺した、という報が飛び込んでくる。自らに嫌疑がかかっている、とも知らされていない段階だというのに、いったい何故……? 新田は前々から意味深な態度を取る佐伯と、奇妙に影を帯びた鮎子とのあいだで揺れながら、次第に真相に近づいていく……
[感想]
これは、のちに大量に製作され、いまなお作り続けられているテレビの2時間サスペンスドラマの原型と言っていいのではなかろうか。
事実、お馴染みの要素はほとんど詰まっている。旅の要素に濡れ場、爛れた人間関係、そして何よりも、いつしか定番のようになってしまった、崖の上での真相解明まで含まれているのだ。決して後年のテレビドラマなどが本篇を意識して真似したわけではなく、そういう要素が日本人に馴染みやすかった、という背景が強いように思われるが、翻って本篇が如何にキャッチーに作られているのかが感じられるポイントである。
だが、だからといって本篇が観客受けすることのみを考慮して作られた、と言っているわけではない。全ての要素がきちんと必然的に登場し、巧妙に組み立てられているのだ。
原作者である笹沢左保は、『木枯し紋次郎』シリーズの原作を手懸けたことでも知られる、多作な小説家のひとりだが、もともとミステリ出身で、発表された作品にはいま読んでも侮りがたいトリックや謎解きの興趣を盛り込んだものが多い。本篇にしても、物語を支えているのは極めて危険でトリッキーなアイディアで、いわゆる2時間ドラマのような安易さを感じさせない。いずれの仕掛けも、すれっからしのミステリ読者であれば早い段階で察しがつく可能性はあれど、その埋め込み方の巧さには唸らされるはずだ。
そして、犯人像とその動機が生み出す湿っぽい哀感は、やはり日本産のサスペンス・ドラマではお馴染みのものだが、本篇ほど完成されたものには滅多にお目にかかれない。それまでの謎解き中心、危機感を煽るような展開から一変し、唐突に浪花節を唸りまくるような作りはしばしば滑稽さが際立つが、本篇にそういう印象がないのは、犯人像とその動機が仕掛けと不可分に結びついており、違和感をもたらさないからだ。犯人の佇まいと、関係者の冷酷さ、そして主人公である新田の達観した語り口とも相俟って、クライマックスの余韻は嫋々として忘れがたい。
何度も使い回されるほどに、日本における2時間サスペンスの方法論は非常に完成されたものであるのは確かなのだが、出来れば本篇ぐらいの完成度を目指して欲しいものである――それがけっこう無茶な要求であることは承知の上で。
関連作品:
『三本指の男』
『本陣殺人事件』
『死の十字路』
『猫は知っていた』
『ゼロの焦点』
コメント
[…] デジタル修復版』 『黒い十人の女』/『死者との結婚』/『「空白の起点」より 女は復讐する』/『秋刀魚の味』/『ニッポン無責任時代』/『ALWAYS […]