『デビル』

『デビル』

原題:“Devil” / 監督:ジョン・エリック・ドゥードル / 原案:M・ナイト・シャマラン / 脚本:ブライアン・ネルソン / 製作:M・ナイト・シャマラン、サム・マーサー / 製作総指揮:ドリュー・ドゥードル、トリッシュ・ホフマン / 撮影監督:タク・フジモト,ASC. / プロダクション・デザイナー:マーティン・ホイスト / 編集:エリオット・グリーンバーグ / 音楽:フェルナンド・ベラスケス / 出演:クリス・メッシーナ、ローガン・マーシャル=グリーン、ジェフリー・エアンド、ボヤナ・ノヴァコヴィッチ、ジェニー・オハラ、ボキーム・ウッドパイン、ジェイコブ・ヴァルガス、マット・クレイヴン、ジョシュ・ピース、ジョー・コブデン、カロリン・タヴァーナス、ヴィンセント・ラレスカ / ザ・ナイト・クロニクルズ製作 / 配給:東宝東和

2011年アメリカ作品 / 上映時間:1時間20分 / 日本語字幕:風間綾平

2011年7月16日日本公開

公式サイト : http://devil-movie.jp/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2011/07/16)



[粗筋]

 フィラデルフィア州にある、とあるオフィスビルのエレベーターが突如停止した。

 乗り合わせた5人の男女は非常ボタンを押し警備室に連絡を取るが、どうやらマイクが壊れているようで、先方に声が届かない。スピーカーと防犯カメラは生きており、辛うじて状況を察知した警備員のラスティグ(マット・クレイヴン)はアナウンスで、修理が済むまで待機するように呼びかけた。

 それから間もなく、警察に傷害事件の通報が入る。折しも、同じオフィスビルで奇妙な自殺者が出ており、捜査に赴いていたボーデン(クリス・メッシーナ)とマコーウィッツ(ジョシュ・ピース)の両刑事がすぐさまに駆けつけると、問題の停止したエレベータの中で、若い女(ボヤナ・ノヴァコヴィッチ)が何者かに背中を噛まれる、という事態が発生していた。

 ボーデンは警察の到着を告げ、冷静になるよう訴えると、身許を確認しようとする。しかし、相変わらず箱の中のマイクは機能せず、防犯カメラにIDカメラを示してもらうが、解像度の問題で判読が出来ない。

 そうして、一同が手をつかねているとき、エレベーター内の照明が点滅し、闇に没した。そして、ふたたび照明が点ったとき――ひとりの男が、割れた鏡の破片を喉元に突き刺された状態で息絶えていた。

 警備室に詰めていたもうひとりの警備員ラミレス(ジェイコブ・ヴァルガス)は、モニターに一瞬、悪魔の顔を見た、と訴える。ボーデンは耳を貸さず、エレベータに閉じ込められた人々の素性を洗い始めたのだが――

[感想]

 実は、M・ナイト・シャマラン監督は“意外性”よりも、“己の役割を知る”という部分に重きを置いた映画作家なのかも知れない。それがサプライズとして活きていた『シックス・センス』『アンブレイカブル』の成功によって誤解されたまま、或いは監督自身が世間の認識と自身の追い求める主題との乖離を埋めきれないまま進んでしまったことが、監督と観客双方の不幸だったのだろう――考えようによっては幸福なすれ違いでもあるのだが。

 前作『エアベンダー』で極まってしまった感のある、そうしたすれ違いは、シャマラン監督が原案と製作のみを担当した本篇でも、期待よりは不安として機能してしまっている。もうシャマラン監督の作る映画には期待しない――と考えている方も少なくないと思うし、それも致し方のないところだ。

 個人的にも、正直シャマラン監督はそのあたりの認識の溝を埋めない限り、万人に薦めづらい方向へどんどんと傾いてしまう、という危惧を抱いているのだが、しかしそれ故に、本篇にはむしろ期待してもいいのではないかと思っていた。

 というのも、シャマラン監督は決してアイディアの乏しい人物でなければ、追い求めようとする主題が安易で掘り下げようのない代物だ、というわけでもない。世間的に失敗作扱いされている『レディ・イン・ザ・ウォーター』や『ハプニング』も、発想を活かす配慮を施した演出があれば、或いは表現をきちんと取捨選択していれば、評価はまるで違ったのではないか、と考えている。なまじ、フィラデルフィアを主な舞台に選択した特徴的な映像、東洋的な思想の滲む世界観など、独自な作風も確立していたことが、逆に足枷になっていた感があるのだ。

 それは翻って、アイディアの核を別のクリエイターに託すことで、解消できる可能性があった。無論、きちんとテーマを咀嚼し、相応しい組み立ての出来る人物であることが肝要だが、一定のレベルを備えていれば決して難しいことではない。

 今回起用されたジョン・エリック・ドゥードル監督は、日本ではこれが劇場初公開作となるため初めて聞いたという人がほとんとだろうが、実は本篇に先んじて、『REC:レック/ザ・クアランティン』という作品を撮っており、DVDとブルーレイで発売されている。スペインで製作された『REC』のハリウッド・リメイクだが、決してオリジナルの良さを壊すことなく、アイディア面で補強を施した、優秀な仕上がりだった。あまりにオリジナルと同じに見えることが、日本での劇場公開を阻んだのかも知れないが、それでも間違いなく監督の理解力の高さと確かなセンスは窺い知ることが出来る。

 加えて、脚本家も実は注文すべき人物なのである。『JUNO/ジュノ』で高く評価されたエレン・ペイジがその直前に、異様な存在感を発揮する少女を演じた心理スリラーの佳作『ハードキャンディ』という作品があるが、これを担当したのが本篇のプライアン・ネルソンだ。のちに携わった『30デイズ・ナイト』はやはり心理スリラー的要素を備えたホラー・アクションであり、もともと本篇のような作品に適性があったと考えられる。

 もともとそういう布陣が揃っているのだから、シャマラン監督の提示したアイディアがある程度しっかりしたものであれば、如何ともし難い作品にはならない、と思っていた。案の定、本篇はホラーの世界観を背景にしながら、かなり完成度の高いスリラーとなっている。

 実のところ、このアイディア自体は、昔から馴染みのある趣向を敷衍したものでしかない。だが、それを特殊な設定に組み込むことで活かし、変化と意外性に富んだストーリーに仕立てている。エレベーターならではの要素、防犯カメラやマイク、宙吊りになっている状態ではどこからもアプローチ出来ない、という状況だからこその展開は、他の映画ではちょっと味わえないものだろう。

 いわゆる謎解きとしては、決してフェアではない――いや、推測は可能だが、はっきりとしたヒントが提示されているわけではない。しかし、この設定という土俵の上で、決して新味のあるわけではない技でひっくり返してくるヌケヌケとした手際には脱帽するはずだ。

 アイディアを巧みに整理して、ホラーテイストのスリラーとして巧くまとめ上げているが、しかしそこここにM・ナイト・シャマランお馴染みの要素がちりばめてあるのも、彼の名前に惹かれて劇場に足を運ぶ観客への配慮として心憎い。状況が制約されているためにその雰囲気は乏しいものの、舞台は定番であるフィラデルフィア。独自の宗教観に基づく“悪魔”像が語られるのもそうだが、特にエピローグ部分での出来事には、シャマラン監督作品を追ってきた者ならニヤリとするはずだ。考えようによっては、決して評価の高くないある作品の趣向に再度挑んだ、とも捉えられ、そういう意味でも興味深い。

 けっきょく最後まで観ても説明のつかない部分はあるし、ミステリではありがちなのだが、あえてミスリーディングするためにちりばめたヒントの存在に不信感を抱く人もいるだろう。

 ただ間違いなく言えるのは、初期のシャマラン監督作品に魅せられた人が期待していたものが、本篇にはきっちりと盛り込まれているということだ。それでも満足するか否かは嗜好によるので保証はしかねるが、もうシャマランには懲りた、と思った方も、騙されたと思って劇場に足を運ぶなりしていただきたい――きっと、“いい意味で騙された”と感じられるはずだから。

 なお、本篇冒頭で“The Night Chronicles 1”というロゴが表示されるが、これはシャマランのプロジェクトで、彼が原案・製作を手懸ける作品が、とりあえず3本製作されることが決まっており、本篇がその第1作であることを示すものだ。

 くどくどと記した通り、シャマランは原案・製作に徹したほうが、彼のアイディアが活かされる可能性があり、本篇でそれがある程度まで証明された今、このシリーズの第2作、第3作にも期待していいのではないかと思う――が、そう言いつつも、未だにどこか不安を拭えず、また同時に、シャマラン自身が監督する作品の濃密な個性をふたたび味わってみたい気もするのは、これまで彼の作品を熱心に追い続けてきたがゆえの宿痾なのかも知れない。

関連作品:

REC:レック/ザ・クアランティン

サイン

ヴィレッジ

レディ・イン・ザ・ウォーター

ハプニング

エアベンダー(2D・字幕版)

ハードキャンディ

30デイズ・ナイト

コメント

  1. […] 関連作品: 『サイン』/『ヴィレッジ』/『レディ・イン・ザ・ウォーター』/『ハプニング』/『エアベンダー』/『スプリット』/『ミスター・ガラス』/『デビル(2011)』 […]

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