『新少林寺/SHAOLIN』

『新少林寺/SHAOLIN』

原題:“新少林寺” / 英題:“Shaolin” / 監督&製作:ベニー・チャン / 脚本:チュン・チークォン、ワン・グイユー、チェン・カムチュン、サン・タン / アクション監督:コーリー・ユン / アクション指導:ニッキー・リー、ユエン・タク / 撮影監督:パン・イウミン(HKSC) / プロダクション・デザイナー:イー・チュンマン / 編集:ヤウ・チーワイ / 衣装:スタンリー・チュン / 音楽:ニコラス・エレーラ / 出演:アンディ・ラウニコラス・ツェーファン・ビンビンジャッキー・チェンジャッキー・ウー / 配給:Broadmedia Studios×Culture Publishers

2011年中国、香港合作 / 上映時間:2時間11分 / 日本語字幕:小島早依 / PG-12

2011年11月19日日本公開

公式サイト : http://www.shaolin-movie.jp/

東商ホールにて初見(2011/07/30) ※GTFトーキョーシネマショー2011試写会



[粗筋]

 1912年の中国。各地の軍勢は、西欧の列強国と結びついて版図の拡大を図り、国土全体に戦渦が広がっていた。

 修行に武芸を採り入れ、中国拳法の頂点として信仰を集める少林寺の周囲には、砲火を辛うじて免れた難民が溢れかえっていた。少林寺の僧たちは懸命に施しを行っていたが、提供する饅頭はどんどん小さくなっている。

 そこへ、近隣を制圧しつつある軍の武将・候杰(アンディ・ラウ)が配下と共に現れた。彼が征伐した登封城の主・霍龍が少林寺に逃げこんだことを知り、追ってきたのである。霍は財宝の在処を示した地図と城の権利とを手渡し命乞いをするが、候は容赦なく霍を射殺してしまう。

 平和のために戦争に赴いている、と自負していた候だが、いつしか野心に火が点いていた。脚を負傷し戦場に出られない義兄弟の宋から、戦果を上げるたびに利益の分配を求められることに苛立つあまり、遂に候は宋の暗殺を目論む。

 宋の側から、双方の子供たちの婚約を持ちかけられたことに乗じて、設けた祝宴の席で宋を殺害する腹積もりだった候だが、彼を待っていたのは、腹心・曹蛮(ニコラス・ツェー)の手酷い裏切りであった。暗殺の目論見があることを宋に伝え、動揺してその場で宋に銃弾を撃ち込んだ候を、曹の配下が襲う。

 満身創痍になりながらも辛うじて脱出した候だったが、逃走中、馬に跳ねられた愛娘・勝男は致命的な重傷を負っていた。救いを求め少林寺に逃げこむものの、治療を待たずに娘は息を引き取る。少林寺の僧によって助けられていた候の妻は、夫を罵った――これは、あなたへの天罰だ、と……

[感想]

少林寺”といえば真っ先に、そのものをタイトルに冠したジェット・リーのデビュー作がまず思い浮かぶ。“新”と銘打った本篇は、そのリメイクのように感じられるがさにあらず、ほぼ別物と言っていい。

 コメディ色が強く、全体的に陽性だった『少林寺』と比べ、本篇は最初から内容が重い。死屍累々の戦場から映像は始まり、間もなく題名にある少林寺に場面は切り替わるが、そこもまた、戦乱で行き場を失った人々が集まり汲々としている姿が描かれる。

 主人公も、はじめから少林寺にいた人物ではなく、何と逃亡者を追って少林寺を踏みにじる武将である。ここまで様相が異なっては、仮にリメイクだと思いこんで観に来た人も、数分で己の誤解を悟るだろう。

 ただ、観ていくうちに解ることだが、本篇はその題名に相応しく、往年の“カンフー映画”、それも“少林寺”という題材に求められる志、精神をきちんと組み込んで作られている。

 主人公を、例えば無垢な少年や、復讐心に燃える若者、何らかの志を強く抱いた青年にするのでなく、既に功成り名を遂げた人物に設定しているのも、その精神を描くために必要な選択だったのだ。守るべき家族を持ち、充分な権力を誇りながらも疑心暗鬼に苛まれ、結果として裏切りに遭い、すべてを喪う。あまりに深い業の持ち主であるが、だからこそ、闘うため、殺すために強くなることを良しとしない少林寺の精神を学んでいく様が明瞭になっている。最初に淀みがあるから清澄なものがより美しく映り、先に闇があるから、光をより目映く感じられるわけだ。

 そのうえでアクション映画、カンフー映画としての完成度を高めることも怠っていない。主人公・候杰は少林寺の門を叩く前から武術を修得しており、それ以前の場面でも強さ、身体能力の高さを示しているために、修行を経て戦い方を学んでいく、という描写こそないものの、全篇一貫して擬斗には迫力が漲っている。序盤、食糧に困った若い僧たちが“義賊”となって倉庫から米などをくすねる場面があるが、侵入する動きにさえキレがあるあたりに、カンフー映画の伝統を感じずにはいられない。

 また、別物とは言い条、随所に映画『少林寺』や、“少林寺”を題材とした対する敬意、オマージュめいたものを組み込んでいるのも快い。棒杭の上に片足で立ち、反対の足を大きく掲げた状態で制止する修行の光景は実に『少林寺』らしく、若い僧たちのやり取りがコメディタッチであるのも、往年のカンフー映画の味わいがある。何より、主人公の名前に“杰”という、ジェット・リーの中国名“李連杰”から取ったと思しい一字を加えているのがその証拠だろう――もしかしたら穿ちすぎた見方かも知れないが。

 本家ジェット・リーの参加こそなかったものの、彼にやや先んじてデビューし、少林寺の拳法を題材とした映画にも繰り返し主演しているジャッキー・チェンが参加しているのも、そうした映画に対する敬意の表れであると同時に、本篇の志の高さを証明している、と捉えられる。

 宣伝では極めて重要なキャラクターのように扱われているが、本篇でのジャッキーの出番は、率直に言ってあまり多くはなく、本筋とはずれた立ち位置に存在する。しかし、彼の役柄、披露するアクションは、これぞジャッキー・チェン、とファンなら快哉を上げたくなるほどに彼らしい。見せ場は僅かだが、ジャッキーのアクションが全体に深刻で血腥い物語の清涼剤となり、そして彼の演じる人物が物語に救いを齎している。出番が少なくとも、ファンはかなり満足を得られるはずだ。

 物語は最後まで壮絶であり、ほとんどが悲劇として完結するが、しかし幕切れは物悲しくも清々しい。武術を決して己の欲や激情のために用いるのではなく、多くの人々を守るために用いて散っていく潔さと、滅ぼしていけないものは何処にあるのか、はっきりと示しているからだろう。

 題名から、『少林寺』のリメイクと誤解するのは仕方ないだろう。あのコミカルさと、全篇で繰り広げられる超絶技巧を期待してしまうとさすがに納得がいかないかも知れないが、その底にあるカンフー映画の心を愛している人であれば、むしろ快い感動を味わうことが出来るはずだ。

関連作品:

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