『ブリット』

『ブリット』 ブリット [DVD]

原題:“Bullitt” / 原作:ロバート・L・パイク / 監督:ピーター・イエーツ / 脚本:アラン・R・トラストマン、ハリー・クライナー / 製作:フィリップ・ダントニ / 製作総指揮:ロバート・E・レリア / 撮影監督:ウィリアム・A・フレイカー / 美術:アルバート・ブレナー / 編集:フランク・P・ケラー / 音楽:ラロ・シフリン / 出演:スティーヴ・マックイーンジャクリーン・ビセットロバート・ヴォーンドン・ゴードンサイモン・オークランドロバート・デュヴァルノーマン・フェルジョーグ・スタンフォード・ブラウン、ジョン・アプリア、ビル・ヒックマン、ジャスティン・ター、フェリス・オーランディ、ヴィク・タイバック、ロバート・リプトン / 配給&映像ソフト発売元:Warner Bros.

1968年アメリカ作品 / 上映時間:1時間54分 / 日本語字幕:高瀬鎮夫

1968年12月21日日本公開

2010年4月21日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon]

第1回午前十時の映画祭(2010/02/06〜2011/01/21開催)上映作品

第2回午前十時の映画祭(2011/02/05〜2012/01/20開催)《Series1 赤の50本》上映作品

TOHOシネマズみゆき座にて初見(2011/08/02)



[粗筋]

 サンフランシスコ市警の刑事ブリット(スティーヴ・マックイーン)は早朝に叩き起こされた。政治家チャーマース(ロバート・ヴォーン)の要請で、ある証人の警護を任されたのである。

 ブリットの警護対象である男は、組織が行った強奪計画についての情報提供と引き替えに保護を求めていたのだという。狙われる危険が高いために、優秀な成績を残すブリットを名指しで託したのだ。

 だが、まさに警護を始めたその直後に、事件は起きる。ブリットが警備をふたりの部下に任せ一時帰宅しているそのあいだに、男の潜伏しているホテルが襲撃され、部下は死亡、警護対象も瀕死の重傷を負ってしまう。

 チャーマースはこの“失態”を責めるが、ブリットは腑に落ちないものを感じた。現場の状況から、部屋の中にいる者が襲撃者を招き入れたと考えられる。そして、チャーマースの振る舞いにも訝しいものがあった。この事件の背後には、何か別のものが隠れているのではないか……?

 襲撃者は警護対象者の収容された病院にも現れ、どうにかブリットたちが追い払うことに成功したが、肝心の警護対象者は治療の甲斐なく絶命してしまう。

 しかし、そこでブリットは一計を講じた。死を隠蔽し、周囲の出方を窺うのである。医師たちの協力を得、書類上で警護対象者を生き長らえさせつつ、ブリットは屍体を移送した――

[感想]

 昔の映画についてはまだまだ勉強中の身ゆえ、本当は断言などはしたくないのだが、本篇を観ると、感激と共に叫びたくなった――これこそ、刑事物の原点だ、と。

 これ以前にも警官、刑事を主体としたフィクションはあったはずだが、しかしのちに日本で生まれる『太陽にほえろ』や『西部警察』、そうしたものに限らずハリウッドの多くの刑事ドラマで描かれるものの基本要素が、完成された上できっちりと詰めこまれていた作品が果たしてあったのかどうか。

 一匹狼的な刑事と、彼の所属する組織や仲間との微妙な力関係を織りこみつつ、奇妙な推移を辿る事件が描かれる。犯人が不気味に暗躍するなか、刑事もその正体を推測し、奇手で相手の動きを探ろうとする。証拠品の洗い出しや足を使った調査を行い、何者かの張り巡らした策略、事件の真相に肉迫していく――刑事物は斯くあるべき、という捜査の流れが着実に描き出されている。

 そしてそこに、決して不自然でない形で、映画ならではの見せ場を盛り込んでいる。病院内に潜入した襲撃者との駆け引きもかなりの緊迫感を漲らせるが、やはり逸品は中盤のカーチェイスである。今では爆発横転当たり前、甚だしいものになると電車の上を走るようなとんでもないものもある始末で、そうしたものに見慣れると大人しいが、CGが採用されるより遙か以前に作られたものであるということを考えると、凄まじい工夫が窺われる内容だ。高速で疾走する自動車のなかにもカメラを据えて撮影し、走りながら銃撃戦まで繰り広げられる。いま観ると物足りない、とは言い条、カーチェイス、カーアクションの迫力を描くのに必要なのが何なのか、この映画ではほぼあらかた提示されているのだから、やはり感服させられる。

 そうした、犯罪と対峙する刑事達の姿を描いたドラマ、という枠組のなかで、スティーヴ・マックイーンという俳優の存在が実に巧く活かされている。一匹狼的な立ち居振る舞いで、言葉数は少ないがそれ故に勘所は決して外さない。窮地に立たされても決して自己弁護にのみ走ろうとせず、己の推理、直感を確かめるために最後まで行動を続ける。骨のある刑事像の典型、とも言える造形だが、これにスティーヴ・マックイーンが恐ろしいほどぴったりと嵌っている。

 最近、クリント・イーストウッド作品を続けて鑑賞しており、その流れで本篇よりも先に『ダーティハリー』を鑑賞したのだが、いまにして思うと、あの作品は本篇をイーストウッド流に再構築したものと言えそうだ。違うのは、本篇の主人公ブリットが一匹狼的と言い条、部下もあり周囲の理解や協力をしっかりと得ているのに対しハリー・キャラハンは組織のなかでもほぼ孤立し、周囲に頼ることは最小限で事件と対峙している。また、追いつ追われつ、の見せ方で工夫をしている本篇に対し、『ダーティハリー』は犯人と接触する機会が幾度かあり、見せ場のテイストは西部劇に近い。そうした差違はあるが、それは『ダーティハリー』本篇を下敷きとしているからこそ意識して打ち出したものなのだろう。

 斯くの如く、はっきりとしたフォロワーを誕生させ、ジャンルを形成するほどに発展している。前述の通り、不勉強ゆえ、或いは本篇以前にこうしたタイプの映画が存在したのかも知れない、あっても不思議はないと思いつつも、やはり断言したくなるのだ――これこそ、刑事物の原点だったのだ、と。

関連作品:

荒野の七人

華麗なる賭け

パピヨン

ダーティハリー

フレンチ・コネクション

ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン!

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