原題:“Marcelino Pan y Vino” / 原作&脚本:ホセ・マリオ・サンチョス・シルヴァ / 監督&脚本:ラディスラオ・ヴァホダ / 撮影監督:エンリケ・ゲルネル / 美術:アントニオ・シマント / 編集:フリオ・ペーニャ / 音楽:パブロ・ソロサバル / 出演:パブリート・カルヴォ、ラファエル・リベリュス、アントニオ・ピコ、アドリアーノ・ドミンゲス / 配給:東和×東宝 / 映像ソフト発売元:IVC
1955年スペイン作品 / 上映時間:1時間31分 / 日本語字幕:?
1957年1月15日日本公開
2011年2月15日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon|Blu-ray Disc:amazon]
第2回午前十時の映画祭(2011/02/05〜2012/01/20開催)《Series2 青の50本》上映作品
TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2011/08/10)
[粗筋]
スペインの小さな村で賑やかに催される聖マルセリーノ祭。この祭りには、少し変わった謂われがあった。
その頃、村は長引いた戦乱に荒れ果て、少しずつ本来の日常を取り戻すべく努力を重ねていた。そこへ、3人の修道士が現れ、この地に修道院を建てたいと願い出た。村長は快く承諾し、修道士たちは村民の協力を得て、かつて貴族が暮らしていた土地に信仰の拠点を据えた。
それから10年、3人だった修道士は12人に増え、修道院はすっかり村に定着していた。だがそこへ、思いがけない珍客が訪れる。朝、ひとりの修道士が、門の前に小さな赤ん坊を発見したのだ。
修道士たちは赤子をいったん保護して、村の人々に誰が置いていった子供か探りを入れたが、身許は判然とせず、どうやら赤子の両親は既にこの世にいないらしい。やむなく修道士たちは、しばらくのあいだ自分で面倒をみることに決める。
とはいえ、子育ての経験のない自分たちが育てるのは相応しくない、と院長は考え、村の中に引き取り手を求めるが、戦乱を乗り越えたとは言い条、村は未だに貧しく、受け入れる家はなかった。渋々――という体を装っていたが、既に赤子に情の移っていた修道士たちは、喜んでこの子を育てる意を固めた。
見つけられた日に因む聖人の名前を貰ったその子、マルセリーノ(パブリート・カルヴォ)は、不慣れながらひたむきな修道士たちの世話によってすくすくと育った。素直だが少々悪戯っ子のきらいのあるマルセリーノは、ときおり修道士たちを困らせながらも、修道院に笑顔を齎していた。
だが、そんなある日、修道士たちにとって恩義のある村長が亡くなる。この哀しい出来事をきっかけに、修道院は思わぬ窮地に立たされることになった……
[感想]
当時のカンヌ映画祭で作品賞を獲得、“不朽の名作”と賞される作品である。なるほど、確かにいい映画なのは解る――解るが、個人的にはそこまで賞賛されるほど、物語としてよく出来ている、とは感じられなかった。
この作品、全体的に、伏線や合理性を考慮していないのである。
例えば、粗筋では手前で止めてしまったが、村長亡き後、そのあとを修道院と因縁のある鍛冶屋の男が引き継ぐのだが、この男、非常に横暴な性質で、人徳とは無縁の振る舞いが目立つ。いったいどういう過程を経て村長が選出されているのか、本篇の中で詳しく描写されていないが、例えば先代の村長が予め指名しておく制度だとしたら間違いなく外されそうな人物であるし、もし選挙が行われていたのなら尚更あり得そうもない。金にものを言わせて、という考えも、自らが口にする「昔は金がなかった」という発言と矛盾する。
クライマックスで描かれる、ひとつの“奇蹟”を経て、マルセリーノは冒頭で描かれる祭にて祝福される存在となるわけだが、この一連の過程も少々不自然だ。出来事自体が超自然的であるのはまったく構わないのだが、本篇の描き方だと、肝心の瞬間を目撃した人物があまりに少なすぎる。しかもあの目撃者だけでは、最悪、修道院と縁のない人々、信心の乏しい人々からすれば、たちの悪い宣伝文句にしか聞こえず、心に響かないどころか、余計に修道士たちと村人たちとのあいだに溝を作るように思う。マルセリーノが祝福されるためには、中立的な第三者、或いははっきりと修道院と対立する人物が、“奇蹟”の目撃者になる必要があったはずだ。
或いは、このマルセリーノについての物語は、実際にスペインのどこかで語り継がれているもので、描かれている過程もその説話に従っているのかも知れない。だとすると、製作者を責めるのは酷、という気もするが、信仰とは無縁な人間、私のように寛容でも懐疑的、という人間に向けて見せるための工夫はやはり施すべきだったろう。その弱さがどうにも気にかかって、私は本篇を手放しでは評価出来ない。
――とは言い条、こうした点を以て、出来映えをすべて否定する気にもなれない。そうした欠点を凌駕するほどに感銘を受ける部分が、非常に沢山あるのだ。
例えば、細かな心情描写である。振る舞いは無愛想で、マルセリーノに対して厳しい態度を装っている修道士が不意に覗かせる優しさであったり、上がることを禁じられた2階に向かう階段をじっと見つめて緊張するマルセリーノの姿をホラー映画的な不穏さで描くくだりなど、さり気なく効果的な表現が無数に鏤められている。
また、カメラワークが素晴らしい。古い映画には、セットを多用しているせいもあるのだろうが、映像が箱庭じみてしまい、どうしても人工的な匂いが際立ちがちなものが散見されるが、本篇はそうした紛い物っぽさをあまり感じない。片田舎の長閑で美しい光景と、粗末だが生活感に満ちて暖かい修道院のなかの風景が、適度なバランスを保って描かれているからだろう。物語が中盤を過ぎると、修道院は非常に難しい立場に追い込まれるのだが、それでも不思議な居心地の好さが保たれているのだから感服する。
何よりも、中心人物であるマルセリーノの愛らしさは出色だ。時として行きすぎるほど悪戯っ子なのだが、決して悪意を感じさせず、苛立ちを覚えはするがどうしても憎めない。終盤で彼が起こす“奇蹟”にしても、それは善意と言うより子供ならではの純真な想いから出た行動なのだが、そこに美しさを見てとることが出来るのは、彼がどこまでも無垢に描かれているが故だろう。少しでも悪意や、利己的な感情を窺わせてしまえば、あの結末は感動には繋がらない。
最初に挙げた問題点があるために、間然するところのない傑作、とは言えない。ただ、そんな欠点を割り引いても愛すべき作品であり、細部に神を宿した、後世に残る秀作であるのは間違いない、と思う。というか、女っ気がほとんどないのに“愛らしい”という形容詞が似つかわしい、という時点で驚異的ですらある。
関連作品:
『禁じられた遊び』
『薔薇の名前』
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