『未来を生きる君たちへ』

『未来を生きる君たちへ』

原題:“Hævnen” / 英題:“In a Better World” / 原案:スサンネ・ビア、アナス・トマス・イェンセン / 監督:スサンネ・ビア / 脚本:アナス・トマス・イェンセン / 製作:シセ・グラム・ヨルゲンセン / 撮影監督:モーテン・ソーボー / 美術:ペッテル・グラント / 編集:モーテン・エンホルム、ペニッラ・ベック・クリステンセン / 音響:エディ・シモンセン、アネ・イェンセン / 音楽:ヨハン・セーデルクヴィスト / 出演:ミカエル・パーシュブラント、トリーヌ・ディアホルム、ウルリッヒ・トムセン、ヴィリアム・ユンク・ニールセン、マークス・リーゴード、キム・ボドニア、エリザベット・ステーントフト、カミラ・ゴットリーブ、トーケ・ラース・ビャーケ、シモン・モーゴード・ホルム、オディエゲ・マシュー / 配給:Longride

2010年デンマークスウェーデン合作 / 上映時間:1時間58分 / 日本語字幕:渡辺芳子 / PG12

2011年8月13日日本公開

公式サイト : http://www.mirai-ikiru.jp/

TOHOシネマズシャンテにて初見(2011/09/04)



[粗筋]

 母エーヴァ(カミラ・ゴットリーブ)の死を契機に、クリスチャン(ヴィリアム・ユンク・ニールセン)はイギリスから、郷里であるデンマークに移り住むことになった。癌を患っていた母の看病のあいだに、父クラウス(ウルリッヒ・トムセン)とのあいだに溝が出来ており、クリスチャンにとって嬉しくもない転居だった。

 初めて訪れた地元の学校で、クリスチャンはエリアス(マークス・リーゴード)という少年と隣同士になる。エリアスは歯列矯正具を嵌めているせいで歯が出ており、そのために“ネズミ顔”などと言われて、同級生ソフス(シモン・モーゴード・ホルム)を中心としたグループによっていじめに遭っていた。

 ある日、自転車の空気を抜かれキャップまで盗られていたエリアスに、ソフスの自転車からキャップを拝借してしまえばいい、と唆したクリスチャンは、その現場を見咎められ、ソフスにバスケットボールを叩きつけられる。だが、転校したばかりの学校で侮られるまいと考えたクリスチャンは、ソフスがひとりでエリアスに絡んでいたところを急襲、したたかに殴りつけたあとナイフを突きつけ、金輪際自分たちに手出ししないよう脅しをかける。

 ソフスの酷い有様に、事態は隠蔽しようもなく、警察が出向いて事情聴取を行ったが、クリスチャンとエリアスは口裏を合わせ、殴ったことだけを認めて、ナイフの存在はひた隠しにした。幸いソフスの傷は重くなく、学校側の仲立ちで3人は和解する。

 秘密を共有したクリスチャンとエリアスはいっそう親しくなり、エリアスの父アントン(ミカエル・パーシュブラント)は子供たちの外出にクリスチャンも加えるようになった。

 そんなある日、クリスチャンたちは遊びに向かった港で、ちょっとしたトラブルに遭遇する。アントンの大人の振る舞いで大事にはならなかったが、その出来事が、クリスチャンやエリアスたちの中にある“何か”を狂わせていった……

[感想]

 粗筋では子供たちに焦点を絞って綴ったが、本篇はどちらかと言えば群像劇に近い。子供たちの家族である大人達の心情も非常に丹念に描かれている。

 中でも最も尺を割かれているのは、エリアスの父・アントンである。そもそもプロローグに該当する部分で描かれるのは、アントンが定期的に訪れているアフリカの難民キャンプでの、恐らくボランティアとしての医療行為だ。劣悪な環境で、継続的な治療に励むアントンたちのもとに担ぎ込まれる、惨い凌辱を受けた住民。理不尽な暴力に対して、事後処理的な治療を繰り返すしか抗う術のないもどかしさ。多くを説明することのない最初のくだりで既に、全篇を支配するもどかしさ、やり切れなさが象徴されている。

 子供たちが全体に跨るストーリーを構築する一方で、大人達のほうは、決して明快な物語として展開はしていかない。アントンはアフリカでの仕事のなかで、ある事件に遭遇するが、それは最終的に子供たちの事件とリンクさせているためであり、多くはその細かな表情、断片的な描写で、彼らの抱えるジレンマを垣間見せる。アントン自身が妻との別居、という状況にあり、その妻マリアンは夫がかつて犯した過ちを許すことが出来ず、その感情がのちの言動に影響を及ぼす。クリスチャンの父クラウス(ウルリッヒ・トムセン)にしても、病死した妻について抱えた後ろめたさが、息子との関係により深い溝を作っていることを感じながら何も出来ず、仕事に逃避する。

 そうして点綴された大人達の感情が、子供ふたりを中心とする物語に絡み、至極真っ当に映る理念や信念が機能しなくなっていく様が沈痛だ。特に、子供たちと共に物語の実質的な柱になっているアントンは、ごく真っ当で高邁な理想を掲げ、それを実現しようと努力している人物である。アフリカではのちに、住民達に理不尽な凌辱を加えていた一団のリーダーが重傷を負って担ぎ込まれるが、アントンは感情を揺さぶられながらも彼に治療を施す。私生活においても、理不尽な暴力を振るう相手に力で対抗はせず、そんな愚かな人物は怖れていない、という姿を子供たちに見せることで彼らに啓蒙しようとする。

 だが、理想は理想であり、あくまで感情とは別にあるものだ。そんな高潔さを示すアントンでさえも感情に振り回され、過ちを犯す。その瞬間瞬間の彼の心境が、実に明瞭に描かれていて、観る者の胸にゆっくりと突き刺さる。

 本篇ではその幼稚さ、思慮の乏しさをはっきりと印象づけている子供たちの行為にしても、他のドラマ、或いは勧善懲悪のヒーローものであれば、逆に正当化して描かれそうなものであることが興味深い。クリスチャンの一種、感情を抑えこんだような振る舞いは、解釈によっては英雄然としているし、エリアスの優しさ、純真さは、そうした英雄によって救済されるのがいちばん似つかわしい人物像だ。同じ人物像を別の切り口で描けば、清々しい青春もののように見せかけることも決して不可能ではない。

 本篇はそういう行為の危うさを、過剰に説明することなく、事実の積み重ねで観客の前にそっと差し出してくる。そのメッセージをきっちりと汲み取った観客は、観終わったあと、自らが立っている世界が荒波に揺られる船のようにひどく不安定なもののように感じられるはずだ。

 そのうえで、この作品は決して明瞭な答を指し示さない。最も集中して描かれた子供ふたりを軸とした事件はいちおう決着したように描かれ、ラストの映像もほのかな希望を湛えているように映るが、しかし実は多くの不安材料を残したままであり、そのことに気づくにせよ気づかないにせよ、本篇の幕切れには言いようのない薄気味悪さが漂っている。

 カタルシスを欲しているなら不満を覚える締め括りだが、そこから齎される感情、思索は豊かだ。いくら考えても答は出て来ないが、本当に幸福を望むのなら、いつか向き合わねばならない疑問が、本篇にはしっかりと描かれている。

 原題“Hævnen”は“復讐”を意味する言葉だという。これに対し、アカデミー賞でも読み上げられた英題は“In a Better World”、それらを踏まえた上での邦題は、“未来を生きる君たちへ”――すべて、作品から汲み取る部分が微妙に異なるタイトルだが、どれが間違っているわけでもなく、正しいわけでもない。その、語ろうとしても語り尽くせない奥行きこそが、本篇の面白さであり、優れた作品である所以だ。

関連作品:

悲しみが乾くまで

マイ・ブラザー

白いリボン

ツリー・オブ・ライフ

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