原題:“Copie Conforme” / 英題:“Certified Copy” / 監督&脚本:アッバス・キアロスタミ / 脚色:マスメ・ラヒジ / 製作:マラン・カルミッツ、ナタナエル・カルミッツ、アンジェロ・バルバガッロ / 製作総指揮:ガエタノ・ダニエレ / 撮影監督:ルカ・ビガッツィ / 美術:ジャンカルロ・バージリ、ルドヴィカ・フェラーリオ / 編集:バフマン・キアロスタミ / 出演:ジュリエット・ビノシュ、ウィリアム・シメル、ジャン=クロード・カリエール、アガット・ナタンソン、ジャンナ・ジャンケッティ、アドリアン・モア、アンジェロ・バルバガッロ、アンドレア・ラウレンツィ、フィリッポ・トロジャーノ、マニュエラ・バルシメッリ / 配給:ユーロスペース / 映像ソフト発売元:KING RECORDS
2010年フランス、イタリア合作 / 上映時間:1時間46分 / 日本語字幕:?
2011年2月19日日本公開
2011年8月10日映像ソフト日本盤発売 [DVD Video:amazon]
公式サイト : http://www.toscana-gansaku.com/
DVD Videoにて初見(2011/09/21)
[粗筋]
美術の真贋について論じたエッセイがイタリアで賞を受けた作家ジェームズ・ミラー(ウィリアム・シメル)は、現地に招かれ、講演を催すことになった。
講演を終えると、ジェームズはある家を訪れる。縁あって、その家の主である女性(ジュリエット・ビノシュ)と過ごすことになったのだが、ジェームズは訪れて初めて、彼女が骨董のギャラリーを営む女主人であることを知る。研究に携わってはいるが、自ら所有することや、傍に置くことには懐疑的な立場をとるジェームズは、外での歓談を申し出る。彼女はドライヴに赴くことを提案した。
ハンドルを握った彼女は、トスカーナへと車を走らせる。道中、ふたりは美術の真贋というものの曖昧な境界線や、彼女の家族について話し合う。どこか噛み合わない議論は、ふたりの間に微妙な空気を醸していた。
やがて辿り着いた美術館で、彼女はジェームズを1枚の絵の前に導く。それはかつて、古代ローマ時代に描かれたものとして伝えられていたが、実際には18世紀、優れた贋作師によって作られたものだった。事実が判明したのは僅か50年前、それまでこの“贋作”は“真作”として敬意を払われ、“贋作”と知られてからも、大事に扱われているのだという。
そのあと、ふたりは近くのカフェに足を運ぶ。なおも議論を交わしている途中で、ジェームズのもとに仕事の電話がかかり、彼は中座する。そのあいだに、彼女に話しかけてきたカフェの女店主(ジャンナ・ジャンケッティ)は、ふたりを夫婦と誤解していた。戻ったジェームズに、彼女がそのことを話したときから、ふたりの会話の内容は一変する……
[感想]
普通の、いわゆる大人の恋愛映画、程度の感覚で本篇を鑑賞すると、たぶん呆気に取られる。
序盤の、美術における真贋を巡る議論が続くくだりも、恋愛映画として鑑賞すると異色なのだが、肝は粗筋に記したあたりのあとだ。冒頭の描写では、明らかに男はこのイタリア訪問で初めて女に出逢った、としか解釈できないのだが、ふたりは十数年にわたって連れ添ってきた夫婦として会話を交わすようになる。これ以降の奇妙な手触りは、類を見ない感覚を観る者に齎す。
カフェの女主人の誤解に便乗して、即興で夫婦を演じ始めた結果、と単純に受け止めても、不思議な展開だ。これ以降、ふたりは素に戻ることなく、まるで断片的に語られる出来事が実際にあったかのような親密さと、微妙な空気を醸成する。最初はおぼろにしか存在しなかった互いへの思慕が、僅かのあいだに形作られて、すぐさま倦怠や惰性に転じてしまったかのような、異様な夫婦像がそこに浮かび上がってくるのである。
この奇妙な展開は、しかし現実にはあり得ない解釈も可能だ。演技ではなく、カフェを出た瞬間から、ふたりは本当に十数年連れ添った夫婦に変貌してしまった、というものである――無論、実際にそんなことなどあり得るはずもないのだが、これはあくまで映画、フィクションだ。そういうことがあってもおかしくはない。
というより、そう感じさせようと、意識的に演技と真実の境が不明瞭になるよう、慎重に言葉や描写を選んでいる節さえある。カフェを出て以降、ふたりはさながら相手が提示した要素、事件を引用して、夫婦としての歴史があったかのように装っている、とも受け取れるが、迷いのない言葉の応酬は、そうした虚飾を感じさせない。脚本や演出の段階で意図して築いたであろうやり取りの妙が、本篇の名状しがたいムードを生み出しているのだ。
彼らの会話が単なる芝居であるのか、それともどこかで世界が切り替わってしまったのか、本篇を最後まで観たところで判然としない。むしろ、最後の最後で女が口にする台詞は、カフェを出る以前の会話の要素を汲み取っているだけに、なおさらに混沌とする。
だが、この奇妙な語り口は、愛情や家族の絆といった、単純なようでいて割り切れない感情の複雑さを知的に、洒脱に表現していると言える。その最も象徴的なくだりが、女の終盤の台詞であり、男が見せる謎めいた表情であろう。
ロマンスの甘さ、感動を求める人には間違いなく戸惑いしか与えない。しかし、映画だからこそ、フィクションだからこそ可能な表現の深甚さは、いったん囚われたら癖になりそうだ。舞台に選んだトスカーナの、まさに迷宮めいた光景とも相俟って、魔術的な魅力に溢れる1篇である。
関連作品:
『それぞれのシネマ 〜カンヌ国際映画祭60周年記念製作映画〜』
『昼顔』
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