『猿の惑星・征服』

猿の惑星・征服 [Blu-ray]

原題:“Conquest of the Planet of the Apes” / 原作:ピエール・ブール / 監督:J・リー・トンプソン / 脚本:ポール・デーン / 製作:アーサー・P・ジェイコブス / 製作補:フランク・キャプラJr. / 撮影監督:ブルース・サーティース / 美術監督:フィリップ・ジェフリーズ / 編集:マージョリー・フォウラー,A.C.E.、アラン・ジャグス,A.C.E. / 特殊メイクデザイン:ジョン・チェンバース / 音楽:トム・スコット / 出演:ロディ・マクドウォール、ドン・マーレイ、ナタリー・トランディ、ハリー・ローデス、リカルド・モンタルバン、セヴァン・ダーデン、ルー・ワグナー、ジョン・ランドルフ、アサ・メイナー、H・M・ワイナント、デヴィッド・チョウ、バック・カータリアン、ジョン・デニス / 配給&映像ソフト発売元:20世紀フォックス

1972年アメリカ作品 / 上映時間:1時間27分 / 日本語字幕:飯嶋永昭

1972年7月22日日本公開

2011年9月21日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazonBlu-ray Discamazon|DVDマルチBOX:amazon|コンプリート・ブルーレイBOX:amazon]

Blu-ray Discにて初見(2011/10/03)



[粗筋]

 1991年の北アメリカ。

 20年前に地上に降り立った、人語を解する2匹の猿が預言したとおり、地上から犬と猫が消え、人類は代わりに猿をペットとして飼うようになっていたが、知的にも体力的にも急速に発達した猿たちは既に奴隷のように扱われていた。かつての“預言”を知る為政者たちは、猿たちのなかにいずれリーダーとなる、人語を解する猿が誕生することを恐れ、過敏に警戒している。

 しかし、喋る猿は既に存在していた。もはや世界で唯一残ったサーカスの団長アーマンド(リカルド・モンタルバン)が手許に置く猿・マイロ(ロディ・マクドウォール)である。マイロは20年前に現れた、人語を解する猿の忘れ形見であった。マイロの親たちの末路を知っていたアーマンドは、マイロに普通の猿のふりをさせて守っていた。

 だが、事件は起きてしまう。アーマンドに伴われ興行の宣伝をするべく訪れた街で、虐待される猿の姿を目撃したマイロは衝動的に「汚い人類め」と罵ってしまい、その事実は瞬く間にブレック知事(ドン・マーレイ)たちの知るところとなる。

 アーマンドは時間を稼ぐために警察署長コルプ(セヴァン・ダーデン)の手に落ち、その隙にマイロは輸入された猿の檻に紛れて難を免れる。

 マイロが送り届けられたのは、猿たちに調教を施す管理局であった。なかなかものを覚えない猿たちが虐待されるなか、高い知能を備えたマイロは従順な猿を装ったために、すぐオークションにかけられ管理局を脱する。マイロを買い取ったのは、あろうことか、アーマンドを捕えたブレック知事であった――

[感想]

 先行作の感想でも触れたとおり、もともと『猿の惑星』というのはシリーズ化が難しい素材だった。活劇的に物語を組み立てた続篇、そしてアクロバティックなひねりで結果として第1作の主題を再現した第3作までは、まだ成功した方と言えるだろう。

 そうして誕生した第4作である本篇は、だが、まだ許せるレベルに仕上がっていた前2作と比べると、どうにも物足りない。

 実のところ、こうする他にもう作りようのない展開ではあった。前作で、過去に送られたふたりの猿が人類と猿たちとの立場をひっくり返す契機となった可能性が示唆された以上、その推移をいちど描かなければ、予測された未来の出来事に驚きを持ち込むのも難しい。一気に未来の話をするのではなく近未来の、猿たちの反逆を描くというのはごく真っ当な選択だった。

 しかし、言わずもがなのことだが、お話として真っ当な選択であったからといって、面白くなるわけでも傑作になるわけでもない。本篇は、シリーズとして“あるべき話”を再現することは出来たが、それ以上にはなれなかった。

 大きく言って、本篇が失敗した要因は2つあると思う。ひとつは、物語の世界が異様に小さく感じられることだ。北アメリカのある都市で起きた猿の叛乱を描いているが、そこから発展する出来事のようには思えない。これが世界的な規模で猿の蜂起を促すのだ、というのなら、その兆候を織りこむべきで、本篇には物語を大きく見せる配慮、工夫が足りていない。

 もうひとつは、これまででいちばん、結末に驚きが少ない、という点だ。第1作には及ばないまでも、第2作も第3作も、その結末には何らかの驚きを演出していた。性質は異なるし、第3作は驚きの内容がかなり小さいと言わざるを得ないものの、第3作の場合は当初の主題を巧みに反復していたこともあって決して衝撃は軽くなかった。それに対して本篇は、内容が概ね想像通りで意外性は皆無に等しい。恐らくここが製作者の意図では驚きの要素になるはずだったのだろう、というポイントは窺えるが、たぶんほとんどの人は何も感じないだろう。

 本篇の見所を強いて挙げるなら、ロディ・マクドウォールがみたび演じる人語を解する猿の、その知性を隠しながら普通の猿として振る舞うくだりぐらいだ。前作では頑固すぎるジーラがほとんど人間同様に振る舞っていたため、ユーモア程度の味付けでしかなかったが、本篇では猿たちが奴隷として人類に虐げられ、しかも人語を解する猿が敵視されている状況が明確であるために、巧みにサスペンスが醸成されている。旧2作でこのキャラクターの演技、表現を確立しているロディ・マクドウォールだからこそ、その表情、身振りに説得力が備わっており、このあたりはなかなかに見応えがある。

 例えば、終盤で猿たちが見せる意志疎通の巧みさを裏打ちする描写がないことや、暴動計画がどう考えても杜撰なのにやたらうまく運んでいるあたりなど、本来のテーマとずれたところに不自然な部分が散見するが、それはこのシリーズが1作目から孕んでいた病弊なので、この第4作の時点でとやかく言っても仕方ない。本篇の失敗は、そういうところまで含めて予想をまったくはみ出さず、むしろよりこぢんまりとしてしまった、ということに尽きると思う。

 ここまでシリーズを追い続けてきて、第3作で仄めかされた未来が現実のものになるのか否か、そして残されたものはどうなったのか、ということに関心のある人なら、ある程度は愉しめる。だが、第3作までの流れを評価しておらず、続きに興味が湧かない人、そもそもこのシリーズを観たことのない人は、はっきり言って顧慮する必要のない作品である。

関連作品:

猿の惑星

続・猿の惑星

新・猿の惑星

コメント

タイトルとURLをコピーしました