『12人の優しい日本人』

『12人の優しい日本人』

監督:中原俊 / 脚本:三谷幸喜東京サンシャインボーイズ / 製作:岡田裕 / プロデューサー:笹岡幸三郎、重水保貴 / 企画:成田尚哉、じんのひろあき / 撮影監督:高間賢治 / 美術:稲垣尚夫 / 編集:冨田功、冨田伸子 / 助監督:上山勝 / 音楽:エリザベータ・ステファンスカ / 出演:塩見三省相島一之上田耕一、二瓶鮫一、中村まり子、大河内浩、梶原善山下容莉枝村松克己、林美智子、豊川悦司、加藤善博、久保晶、近藤芳正 / 配給:アルゴ・プロジェクト

1991年日本作品 / 上映時間:1時間56分

1991年12月14日日本公開

2000年10月25日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon]

2011年10月15日〜21日『三谷幸喜監督が選ぶステキな“シネマコレクション”』の1本として上映

ユナイテッド・シネマ豊洲にて初見(2011/10/15)



[粗筋]

 ある女性の殺人容疑を巡る裁判のために召集された、12人の陪審員。法廷での弁論は終了し、12人は別室に移って、裁決のための議論に入った。

 当初、誰もが“無罪”という判断に傾いていた。裁決はあっさり行われる、かと思いきや、陪審員2号(相島一之)がこれに異を唱える。彼も心証は“無罪”であったが、人ひとりが殺された事件を、果たして簡単に“無罪”と決めつけてしまっていいものか、もっと話し合いが行われるべきではないか――そういう思いから、彼は“有罪”に票を投じる。

 ぶっちゃけ、他の人々はみな「めんどくせー」という気分だったが、陪審員長に任命された陪審員1号(塩見三省)の呼びかけで、一同は渋々着席する。

 議論は思いの外紛糾した。誰もが無罪と思っているが、しかしいずれも直感であったり、場の成り行きに従っただけであったり、明確な無罪の確証を得ているわけではない。若く美しい見た目に騙され、子持ちで苦労している被告人に同情しているだけではないのか? 2号の執拗な問いかけに、まともに返せる者はいない。

 やがて、理路整然とした物言いをする9号(村松克巳)が突如として“有罪”を主張する立場に回った。信じる、信じないの水掛け論に陥りかけていた議論は、それを契機に初めて、事件の再検証へと向かい始めた……

[感想]

 題名自体で推測はつくが、中身を観ると、驚くほど徹底して『十二人の怒れる男』を意識した作りになっている。

『〜怒れる男』は弁護人の力量不足に被告に対する偏見が加わって、最初は全員が有罪という見解を抱いていたが、うちのひとりが議論のないまま評決に至ることに疑問を唱え無罪に回る。対して本篇は、被告人が美人で同情したくなる境遇だったために、当初は全員が無罪を選びかかるが、やはりひとりが議論の必要性を唱えて有罪に転じる。つまり、有罪無罪をひっくり返しただけの構造だ。

 基本的に名前を名乗る場面はないが個性がくっきりして区別のしやすい登場人物たちが、序盤は感情論的なやり取りを繰り返し、やがてどうにかこうにか証言の検討を始める。陪審員に女性が3人加わっていたり、それぞれの人物像が日本的になっていたりするが、各人の役回り、証言の検討の手法など随所に『〜怒れる男』を意識した表現が窺える。そもそも討議の舞台として用意される部屋のデザインが『〜怒れる男』に酷似しているのだから、徹底している。

 こう書くとオリジナリティに欠く代物に聞こえそうだがさにあらず、オリジナルを意識した部分が多いからこそ、本篇にはパロディの雰囲気が強く滲んでいる。そのパロディ性を補強するべく試みるかのように、オリジナルとは一風異なる、ニヤリとさせられる描写が実に細かに盛り込まれている。

 たとえば梶原善が演じる男は、誰にも増して証言の内容よりも被告人の美貌と境遇とを念頭にした判断を口にして、他人の発言の順番にもやたらと割り込んで来ようとするので、中盤以降は意識的にスルーされてしまう。かと思うと、年輩の夫人は特に意見などなく付和雷同するだけだったので、意見を求められても曖昧な反応をするばかりで、議論を望んだ陪審員2号に怒られるあまり、2号に対する反感で無罪を貫こうとしたりする。

 決して爆笑は誘わないが、そうしたくすぐりが細かくちりばめられているため、本篇には『〜怒れる男』に漂う濃密な深刻さはなく、終始脳天気なムードに満たされている。当初は手短に済むと思われていた評決が延び延びになっているが故に苛立ちを顕わにする陪審員もいるが、その振る舞いも滑稽で、他人事として眺める限り実に愉しいのだ。

 しかし、そのうえで決して法廷ものとしての基本を外していない。中盤あたりからようやく証言を確認する流れになっていくが、新事実、新発見の連続で幾度も印象がひっくり返っていく様は、オリジナルに劣らない力強さと説得力がある。

 その状況の中にあっても、陪審員たちはしばしば態度を一転二転させ、ある者などそれまでのイメージを払拭する目覚ましい活躍を見せるなど、変化を繰り返して観客を幻惑し翻弄する。このあたりも『〜怒れる男』のとおりと言われればそれまでだが、オリジナルと異なる形で育ててきた登場人物が、その人物像に添った、しかし驚くべき変節を遂げる終盤は、滑稽さも滲ませつつ強烈なインパクトを齎す。ある人物が突如としてキレのある推理を展開し、ある人物はその直感力で新発見を繰り返し、そして最後は『〜怒れる男』によく似たクライマックスを、最も意外な人物が演出する。

 単品で鑑賞しても、三谷幸喜脚本らしい、爆笑こそ誘わないが絶え間なくくすぐってくるような描写の数々と、のちに発表する『古畑任三郎』シリーズよりも考えようによっては洗練された謎解きに魅力が横溢する作品であることは確かだが、予め『十二人の怒れる男』を鑑賞しておいた方が、よりディープに愉しめるはずだ。名作の優れたパロディであり、本物の敬意に満ちたオマージュであるが故、である。

関連作品:

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