原題:“The Robot [ ENDHIRAN ]” / 監督&脚本:S・シャンカール / 製作:カラーニディ・マーラン / 撮影監督:R・ラトナヴェール / ハリウッド・ユニット・エグゼクティヴ・プロデューサー:ジャック・ラージャセーカル / アニマトロニック・スーパーヴァイザー:アラン・スコット / アニマトロニック・コーディネーター:ヴァンス・ハートウェル / 衣裳:メアリー・E・ヴォクト / VFX:スリーニワーサン・モーハン / 編集:アントニー・ゴンサルヴェス / 音楽:A・R・ラフマーン / 出演:ラジニカーント、アイシュワリヤ・ライ、ダニー・デンゾングパ、サンターナム、カルナース / 配給:Unplugged
2010年インド作品 / 上映時間:2時間50分 / 日本語字幕:?
2012年日本公開予定
第24回東京国際映画祭アジアの風−中東パノラマ部門にて上映
TOHOシネマズシャンテにて初見(2011/10/25)
[粗筋]
バシーガラン博士(ラジニカーント)、通称バシーは、己の理想とする最高のロボット完成に、あと一歩のところまで迫っていた。自らの容姿をスキャンし、製造した人工皮膚を取り付けると、搭載したAIの精度を高めるため、自宅や街中に連れ出すようになる。
バシー博士の母親により、チッティ(ラジニカーント、二役)と名付けられたロボットは、あちこちで騒動を起こしながらも、バシーの期待通りの活躍を見せた。チッティ開発のために長らくほったらかしにされて拗ねていた恋人サナ(アイシュワリヤ・ライ)に貸し出したところ、彼女の窮地を救い、医師免許の試験にもこっそりと、大いに貢献した。
だが、バシーにとって師匠にあたるボラ教授(ダニー・デンゾングパ)の胸中は複雑だった。バシー同様、高性能ロボットの開発に携わっているが、ボラ教授のロボットの能力はバシー博士のチッティに遥かに及ばない。
自らの功を焦り、バシー博士に嫉妬するあまり、ボラ教授は自身の立場を悪用して、いやがらせを試みた。人工知能の審査を行い、商品として実用化を認めるか否かを判断する席で、ボラ教授は矢継ぎ早に命令を出し、軍用として製造されたチッティの宿す危険性を指摘、認可が出ないように仕組んだのである。
ボラ教授の作戦は奏功し、チッティの実用化は却下された。だが、同胞たちの犠牲を最小限に抑えるためにチッティを開発していたバシー博士は諦めきれず、教授に再度の審査を懇願する。与えられた猶予を用い、チッティに対して、封印していた要素を加えることにした――“感情”を教えたのである。
熱意故のバシー博士のこの行為は、だが博士の予想を超える事態を招いてしまう……
[感想]
『ムトゥ 踊るマハラジャ』という映画の名前をご存知だろうか。インド映画特有のスピーディでど派手なダンス・シーン、荒唐無稽なストーリー展開が好評を博して日本で大ヒットし、パロディまで生み出した作品である。あれ以降、大きなヒットに恵まれなかったため、インド産映画の輸入はごく短期間で盛りを終えてしまったが、当然ながらインドでは同系統の作品が陸続と作られていた。ダニー・ボイル監督がそのシステムを借りて作りあげた『スラムドッグ$ミリオネア』で、その魅力を思い出した、という人も多いのではなかろうか。
本篇は『スラムドッグ〜』のような、ハリウッドのために庭先を貸したような作品ではなく、完全なるインド映画である。監督はインドにおいて娯楽大作を多く発表している人物で、主演は前述の『ムトゥ 踊るマハラジャ』を筆頭に、多数の映画で主演している、インド映画界の“スーパースター”だ。
それ故にだろう、本篇の手触りには最初、かなり戸惑う。やたらと主人公やヒロインの表情を丁寧に追うカメラワークに、全般に過剰なリアクションは、ハリウッド映画とも日本映画ともかなり異なっており、インド映画に親しんでいないものからするといささか古めかしく映る。どこか往年の香港映画にも似たテイストがあるように感じるのは、たまたま私がここ最近、80年代前後の香港映画にやたらと触れているせいかも知れないが。語り口や演出のセンスがどこか古めかしく感じられるのに、アクション・シーンやCGを活用した場面の凝りようが尋常でなく、撮影、上映いずれもデジタルで行われやたらと鮮明なのが妙な感じだ。
だが、観ているうちにその妙なズレ具合と、徹底した奇想天外ぶりに嵌ってしまう。歌とダンスが唐突に始まるのはハリウッド産のミュージカルでも似たようなものだが、本篇の場合、物語の進行に寄与する、というよりは、どっちかというとただ歌って踊りたいだけなんじゃないか、と思えるほど無駄に尺を取っている。どうしてこの状況でそのイメージだ、いったいなんの必要があってマチュピチュのそばで撮影してるんだ?! 色々なところで度胆を抜かれ、呆気にとられっぱなしになる。気合の入りすぎたダンスシーンが物語に貢献しているのかはさておき、作品の強烈な魅力の一部になっていることは確かだろう。
モチーフや描き方は破天荒、奇想天外でありながら、しかし――こう申しては失礼ながら――意外なほどSFとして真っ当な作りになっている点にも注目したい。“ロボット三原則”を意識しつつ、軍事目的で敢えてそのルールを侵した設計にしたことが招く変化と災いにはいちいち説得力があり、二転三転したのちに繰り広げられるクライマックスも、ヴィジュアルの荒唐無稽な迫力に圧倒されてしまうが、その成り行きに明快な伏線が張り巡らせてあるのだ。
決して独創的とは言い難いものの、モチーフの多くが往年の名作を意識していると察せられ、快いものがある。ロボットであるチッティが辿る変遷には本邦の『鉄腕アトム』の影響が窺えるし、終盤、大量に生産されたチッティのコピーたちとバシー博士との駆け引きは『アイ,ロボット』を思い出させる。全般にコメディ・タッチの色濃い物語を綺麗に締めくくるラストシーンは、敢えて題名を伏せるが、このモチーフを扱った映画の最高傑作と言ってもいい某作品を彷彿とさせる。チッティの辿る変遷との兼ね合いも絶妙で、決してマニアックにならず、親しみやすい範囲でのSF映画として成立しているのが侮れないところだ。
インド映画として、というより世界的に見てもかなり高額のバジェットを投入したというわりには、CG加工をふんだんに施したと思しいシーンでところどころ演出とは思えないコマ落ちのようなぎこちなさがあったり、全篇通しても破天荒さの窮まったラストの趣向で、にわかに映像のタッチが安っぽくなってしまうなど、気配りが行き届いているように見えて雑なところもあちこちにあるのが勿体ないのだが、ここまで時間を費やし、とことんまでやりおおされてしまうと、それが魅力とも感じられる。受け手の感性に依存する魅力ではあるが、魅力であることに変わりはない。
とりあえず、まずは予告篇を鑑賞してみることをお勧めする。それで「馬鹿馬鹿しい」「くだらない」と興味をそそられなかったなら、きっと本篇は合わない。が、もし少しでもピンと来るものがあったなら、時間を作って鑑賞してみて損はないはずだ――異様なパワーに圧倒され、頭のなかがしばしのあいだラジニ様一色に染めあげられること請け合いである。この感想をアップした時点で、正式な公開時期は発表されていないため、ほとんどの人はかなり待たされることになるとは思うが、それだけの価値はある。ていうか私自身がもう1回観る気満々なのだ!
関連作品:
『シザーハンズ』
『アイ,ロボット』
『ターミネーター4』
『サロゲート』
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