『アントキノイノチ』

『アントキノイノチ』

原作:さだまさし(幻冬舎・刊) / 監督:瀬々敬久 / 脚本:田中幸子瀬々敬久 / 製作:上田有史、辻本珠子 / 製作総指揮:田代秀樹、関根真吾 / 企画プロデュース:平野隆、下田淳行 / 撮影監督:鍋島淳裕 / 照明:三重野聖一郎 / 美術:磯見俊裕 / VFXスーパーヴァイザー:立石勝 / 編集:菊池純一 / 録音:白取貢 / 音楽:村松崇継 / 主題歌:GReeeeN『恋文〜ラブレター〜』 / 出演:岡田将生榮倉奈々松坂桃李鶴見辰吾檀れい染谷将太柄本明堀部圭亮吹越満津田寛治宮崎美子原田泰造 / 制作プロダクション:ツインズジャパン / 配給:松竹

2011年日本作品 / 上映時間:2時間11分 / PG12

2011年11月19日日本公開

公式サイト : http://www.antoki.jp/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2011/12/09)



[粗筋]

 永島杏平(岡田将生)は、高校時代、親友を2度、殺しかけ、そして――壊れた。

 高校を中退して3年後、杏平は父の口利きで、“クーパーズ”という会社に就職する。業務は、亡くなった独居者や、事件現場の遺品整理である。

“天国へのお引っ越しのお手伝い”という宣伝文句を掲げた、一風変わった職場だが、誠実に仕事をする佐相(原田泰造)と、同年配だが2年先輩の同僚・久保田雪(榮倉奈々)の指導を受けて、杏平は少しずつ仕事を身につけていく。

 だが、ふとした拍子に、過去がフラッシュバックすることがままあった。杏平が重度の躁鬱病を患うに至るきっかけを作ったのは、同級生の松井(松坂桃李)である。

 交友関係が広く、最初は杏平も彼を友人と思っていたが、松井はあちこちで他人の陰口を叩いていた。杏平は以前から、緊張すると吃る癖があったが、松井がそれを悪し様に語っているところを目撃してしまったことから、松井に対する印象は一変する。

 それでも表面的には友人であり続けたが、ある日、別の同級生・山木(染谷将太)から驚くべき話を聞かされた。松井が山木のブログに、複数の名義を用いて悪意のある書き込みをして、炎上させている、というのだ。そして間もなく、山木は大きな騒ぎを起こす……

[感想]

 原作つきの映画が原作通りである必要は全くない、と思っている。

 もともと、文章で表現できることと映画で表現できることには大きな違いがあるのだから、同じ話を土台にしたとしても、同じような手触りを生み出すだけでも一苦労、ということがほとんどなのだ。故に、映画として独自の解釈を施したり、人物の配置を変えたり、物語に大幅な省略、圧縮があったとしても、それはそれで仕方ない、と私は考える。最低限、これを原作とする意味があったのか――原作の主題が活きているのか、膨らませたり映像として再構築して作りだす意義があったのか、を感じさせてくれればそれでいい、と思っている。

 既に20年以上にわたってさだまさしのファンであり、小説もほとんど発売から間もなく購入しているが、本篇の原作はタイミングを逸してなかなか手がつけられず、映画を鑑賞するに先駆ける形でようやく読み終えることが出来た。だから思い入れがあることは否定できないし、なまじつい最近読んだだけに、内容をよく記憶している、ということもある。しかし、そういう点を差し引いて、ごくごく冷静に判断しても、本篇は映像化として非常に程度が低い、と言わざるを得ない。

 解りやすい例を挙げると、原作から設定が最も大きく変わっているのは、ヒロイン格の久保田雪子(と原作では表記されているが、映画のなかではフルネームのくだりでも“ユキ”と呼んでいたので、粗筋では“久保田雪”とした)である。原作では“クーパーズ”社員がよく利用する居酒屋の従業員であり、快活な女性として描かれるが、映画のなかでは“クーパーズ”職員のひとりとして、あからさまに陰のある人物に変更されている。

 起用された役者の知名度や出番の多寡を考慮して、役が大きくなることは、小説や漫画の映画化作品ではさほど珍しくない。それが非常に有効に働くこともあるので私も一概に否定はしないが、本篇のこの改竄はどう考えても失敗だ。

 途中で描かれる彼女の“過去”は原作通りだが、その“過去”に対して彼女が見せる態度が、原作よりも浅はかになってしまっている。原作では既にその過去と対峙した結果の行動が示され、そのうえでなお傷を負っていることが“雪子”というキャラクターに奥行きを持たせているが、本篇ははじめから「悩んでいます」という看板をぶら下げているが如きで、解りやすいがその懊悩が薄っぺらになってしまっている。現実に、“雪”が経験したような出来事に直面すれば、彼女と同じような反応をする人もきっと多いだろうが、現実に多いからそっちにすり寄ればいい、というものではない。

 しかし、そういう表現の奥行きを抜きにしてもまずいのは、“雪”の終盤の行動と、それが生み出す原作との最も大きな違いの部分が、まったく説得力を持たない、という事実である。

 終盤、“雪”は訳あって“クーパーズ”を離れ、地方の老人ホームに職を移す。このあたり、原作では“雪子”が介護福祉士を志していることを踏まえているので、決してまるっきり原作を無視した変更だとは思わないが、問題は老人ホームに舞台を移すことで起きる出来事である。杏平が雪のもとを訪ねたときに入所者の女性が亡くなり、彼女が自発的に老人ホームに身を寄せたことを知らなかった夫に遺体や遺品の扱いを確認する、という場面に遭遇する。

 私も老人ホームにおけるこういう場合の対処について精通しているわけではないが、既に認知症の傾向がある人を、身内が存命であるにも拘わらず、特に連絡もなしに受け入れる、ということが果たしてあり得るだろうか。まずそういう疑問を抱いたが、その点を譲ったとしても、あとの出来事は更に荒唐無稽、と言わざるを得ない。たまたま居合わせた杏平が、専門家だから、と遺品整理を買って出るが、こう言っては何だが老人ホームの職員もまた遺品整理のプロに近い人々であり、わざわざ部外者に委ねる必要はない。

 だがもっと問題なのは、この入所者の遺品の描写だ。あの流れからすると、入所者はそうとう色々なものを家から持ちだしているのだが、夫の反応はどう見ても、それに気づいていなかった、という印象がある。マグカップはいいとしても、電話機を持ち出されて気づかないだろうか? そして、それを部屋から発見した杏平たちは、どうして夫に対してその正体を確かめもせず、いきなり電源を入れて留守番電話を再生したのか。

 このくだり、あまりにあからさまな“お涙頂戴”の演出しかしていない。にもかかわらず、細部が不自然すぎるために、あざとさばかりが際立ってしまっている。原作にこういう描写があって、それがドラマのために必要だった、と判断できるならまだ許容できるのだが、これが映画化に当たって盛り込まれたオリジナルの場面であり、しかもクライマックスのやり取りに何ら影響していないのだから、度しがたい。

 他にも、あまりにいただけない改竄が無数にある。原作では、物語の焦点となる同級生・松井は表面的には人当たりのいい優等生を演じながら、実にさり気なく悪意を振りまき、他人を蹴落とそうとする狡猾な少年として描かれる。その狡猾さ故に、生徒会長に就任するほどだが、映画のなかでは生徒会長という役職にはなく、それどころか優等生を装っている気配もない。このあたりはクライマックス、原作通りのようでありながら描こうとしている趣旨の異なるひと幕でそういう変更を施した理由は察せられるのだが、しかしそのせいで明らかに“圧力”が欠如してしまった。彼に対する殺意と、自らの良心との葛藤が主人公・杏平の心を破壊する大きな力のひとつとして働くのだが、それがほとんど軽薄な若者としか描写されていないので、物語に対する影響力が軽くなってしまった。結果として、映画独自の主張が強まっているならともかく、あちこちに残った原作通りの描写とうまく調和せず、映画としての主題にほとんど貢献していないのではどうしようもない。そもそもそれ以前に、冒頭、杏平のナレーションで「僕は2度、親友を殺した」という表現があるのに、心を許せる友人であった松井の姿がまったく描かれていないので、肝心の杏平の葛藤が実感できないのだから、描写がまるで足りていないのだ。

 比較的原作に近い描写をされている佐相も、作中での重要な行動を、同僚に変更された雪に委ねてしまっているので、存在感を示す場所が大幅に減り、杏平が遺品整理という仕事に価値を見出すためのキーマン、という位置づけを失ってしまった。映画のなかで、虫の大量に発生した部屋に殺虫剤を撒いたあとに踏み込んだ場面で、床に堆積した虫の死骸に足を滑らせる、というシーンがあるが、あれは実は原作通りである。そうして下半身に虫の体液が大量に付着した状態になっても嫌な顔をせず、手早く、手際よく仕事をこなす佐相の凛々しい姿に、杏平は憧れ、それが仕事に対して誇りを感じはじめるきっかけになっているのだが、こういう杏平の心の動きを省略してしまっているので、物語にとっての存在感も失われている。佐相に限らず、“クーパーズ”の社長も、ところどころで原作と同じ言動をするが、それを裏打ちする出来事が省略されていたり、対する杏平の反応を端折っているので、キャラクターが大幅に弱まっている。

 映画化に当たって、微妙に主題を変えたこと自体も決して否定はしない。だが、あの主題のためならば、本篇の“遺品整理代行業”というモチーフは果たして必要だったのか。新たな主題に沿って、遺品整理の業務に絡む出来事や描写を調整しているならまだしも、業務内容の描写については逆に原作通りである部分が多い。その原作に添った描写と、微妙に変えられた主題に沿った杏平周辺の描写とが不均衡を起こし、本篇は明らかに破綻してしまっている。

 遺品整理の部分においても、実は本篇にはオリジナルの場面がある。子供2人が母親によって閉じ込められた結果、餓死に至った部屋を清掃する、というくだりなのだが、ここにも非現実的な描写がある。室内は窓の鍵がガムテープで固定され、更には蛇口が針金で雁字搦めにされており、まさに子供を飲まず食わずの状況に置き去りにして死なせようとした意志が窺える、のだが――これは常識的に考えて、殺人罪が成立するような状況である。窓を固定したガムテープも、蛇口を固定した針金も、殺人罪の重要な証拠となるはずだ。依頼人は警察である、と考えられそうだが、あそこまで手つかずの状態で、業者に清掃などさせるものだろうか?

 ……とにかく、不自然な描写、バランスの取れていない表現があまりに多すぎる。原作を抜きにしても、主題が徹底されておらず、表現がまったく有効に機能していない。

 俳優はそれぞれに健闘している(岡田将生演じる杏平は、病を得る前の高校時代と現在の芝居とが差別化されていない、という重要な欠点があるが、これは監督の演出ミスであって本人の罪ではない)し、映像も比較的美しい。ハンディカメラを多用しすぎた演出にも異論はあるが、何箇所かは評価出来る場面もあった。だが、そうした美点をすべて帳消しにするほど、本篇は欠陥だらけだ。基本的に美点を汲み上げて評価する、というのが私のポリシーなのだが、本篇では不可能だった。

 忸怩たるものがあるが、失敗作、と言う以外にない。

関連作品:

感染列島

精霊流し

解夏

サンシャイン・クリーニング

コメント

タイトルとURLをコピーしました