原題:“Just Cause” / 原作:ジョン・カッツェンバック / 監督:アーネ・グリムシャー / 脚本:ジェブ・スチュアート、ピーター・ストーン / 製作:リー・リッチ、アーネ・グリムシャー、スティーヴ・ペリー / 製作総指揮:ショーン・コネリー / 撮影監督:ラホス・コルタイ / プロダクション・デザイナー:パトリツィア・フォン・ブランデンスタイン / 編集:ウィリアム・アンダーソン、アーメン・ミナシアン / 衣装:ゲイリー・ジョーンズ / キャスティング:ケリー・バーデン、ビリー・ホプキンス、スザンヌ・スミス / 音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード / 出演:ショーン・コネリー、ローレンス・フィッシュバーン、ケイト・キャプショー、ブレア・アンダーウッド、ルビー・ディー、エド・ハリス、ネッド・ビーティ、ケヴィン・マッカーシー、クリス・サランドン、クリストファー・マーレイ、スカーレット・ヨハンソン、ダニエル・J・トラヴァンティ、リズ・トレス、リン・シグペン、ヴィクター・スレザック / 配給&映像ソフト発売元:Warner Bros.
1995年アメリカ作品 / 上映時間:1時間42分 / 日本語字幕:松浦美奈
1995年7月1日日本公開
2009年9月9日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon]
DVD Videoにて初見(2012/01/03)
[粗筋]
1986年、フロリダ州のオチョビーという小さな街で、ジョーニー・シュライヴァーという少女が惨殺された。逮捕されたのは、大学にも進んだ青年ボビー・アール(ブレア・アンダーウッド)。彼は間もなく自供し、裁判の結果、死刑となった。
それから8年後、元弁護士で、現在は大学教授を務めながら死刑廃絶を訴えているポール・アームストロング(ショーン・コネリー)のもとを、ボビーの母エヴァンジェリン(ルビー・ディー)が訪ねた。息子の無実を証明して欲しい、というのだ――最初は、もはや専門家ではない、と拒絶したアームストロングだったが、帰宅して妻のローリー(ケイト・キャプショー)に話をすると、手助けするよう勧められ、腰を上げることとなる。
刑務所で面会したアールは、非常に知的な青年だった。最初から無実を訴えていたが、22時間にわたって暴力的な取り調べを受け、自供を強要させられたのだという。
オチョビーを訪ねたアームストロングは、取り調べを担当したタニー・ブラウン保安官(ローレンス・フィッシュバーン)とT・J・ウィルコックス刑事(クリストファー・マーレイ)の短気な振る舞いに、冤罪である、という確信を深める。だが、そんなアームストロングに対し、街の人々の態度は冷たかった。少女を拉致した車を目撃した、という小学校の教師は「古傷を開かせないで」と訴え、アームストロングの借りた車には何者かがイタズラを仕掛けていった。
だが、ボビーもアームストロングに、ある事実を隠していた。彼が疑われたそもそものきっかけは、別の街で女性を誘拐しようとした容疑で裁判にかけられた経験があるのである。そしてそのとき、ボビーを起訴した検事は、他でもない、アームストロングの妻ローリーだったのだ……
[感想]
近年、多く製作されているサスペンスのスタイルを、教科書的に仕上げた作品である。
こう書くと少々否定的なニュアンスが籠もってしまうが、悪い作品というわけではない。アメリカの地方社会を描いたドラマではよく見られる、差別的な風潮を反映した緊迫感のあるプロローグから、時間を飛ばして作中の現代に当たる1994年に移り、視点人物となる大学教授が事件を探る。少しずつ段階的に現れる事実が観る者をも翻弄し、感情的な波を絶え間なく齎してくる――
問題は、まさに教科書的に巧みに語っている一方で、サスペンスとしてはそれ以上のものを醸成できていないのだ。面白さのわりに、検証してみると細部の掘り下げが甘いことが原因だろう。
たとえば作中、後半の流れを大きく左右するキーマンがいるが、その人物を動かす背景がいささか脆弱な印象を与える。もう少しなんらかの補強があれば、クライマックスのある場面のインパクトは飛躍的に増したはずだ。
もっと気にかかるのは、“死刑問題”という微妙な要素を、あまり熟考しないまま用いている感があることだ。この周辺で効果を上げている台詞があるものの、こういう行動についてどういう反論があるか、この描写がどんな心証を観る側に齎すか、ということについて無頓着な傾向がある。本気で死刑問題について考えているような人は、本篇を素直に愉しめないのではなかろうか。
ただ、そうした細部の弱さ、追求の甘さがあちこちに見られるにも拘わらず、観ているあいだまったく意識させない“腕力”が備わっていることは確かだ。不透明だった事件の全体像が次第に浮かび上がると共に、捜査に携わる大学教授に対する事件現場の住民達の反発が不穏な空気を齎し、また意外な事実が登場人物を振り回す。終盤の話回しも、観る側の常識感覚を利用していて絶妙だ。
本篇の場合、俳優陣が実にツボを押さえた演技をしていることも大きく貢献している。主人公である大学教授に扮したショーン・コネリーは無論、教授の妻に被告である青年やその母親の激しくも繊細な表情のコントロールが随所で効果を上げている。特にローレンス・フィッシュバーンは、その存在感を完璧に活かしており、私の知る限り彼の出演作の中でもトップレベルの好演だと思う。
クライマックスでにわかにアクションが入り、俗っぽさを示しているのにあっさりカタがついてしまうことも、本篇の“軽さ”を印象づけてしまっているが、翻ってそれは終始観る者を惹きつけ、スリラーならではの余韻を残そうとする製作者の姿勢の現れだ。掘り下げればもっと重厚な内容になったことが窺われる素材だけに、ちょっと安手に仕上げてしまった、という嫌味はあるが、狙い通りにきっちり仕上げた、見応えのある秀作である。
関連作品:
『薔薇の名前』
『コンテイジョン』
『アパルーサの決闘』
『アイアンマン2』
『羊たちの沈黙』
『完全なる報復』
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