原題:“Les Enfants du Paradis” / 監督:マルセル・カルネ / 脚本:ジャック・プレヴェール / 製作:レイモンド・ボルデリー / 撮影監督:ロジェ・ユベール、マルク・フォサール / 美術:アレクサンドル・トローネ / 編集:アンリ・ラスト、マデリーン・ボニン / 衣裳:アントワーヌ・メイヨー / 音楽監督:シャルル・ミンク / 音楽:ジョゼフ・コスマ、モーリス・ティリエ、ジョージ・ムーク / 出演:アルレッティ、ピエール・ブラッスール、ジャン・ルイ・バロー、マルセル・エラン、ファビアン・ロリス、マリア・カザレス、ピエール・ルノワール、ルイ・サルー、レオン・ラリブ、エチエンヌ・ドゥクルー、ピエール・パロー、ジャンヌ・デュソール、マルセル・ペレス、アルベール・レミ、ジャーヌ・マルカン、ガストン・モド、ジャック・カストロ、ジャン・ゴールド、ガイ・ファヴィエール、ポール・フランクール、リュシエンヌ・ルグラン、シネット・ケーロ、グスタフ・ハミルトン、ロニョーニ、オーギュスト・ポヴェリオ、ジーン・ダイナー、ルイ・フロランシー、マーセル・モンティール、ロベール・デリー、ルシアン・ウオルテ、ジャン=ピエール・ベルモン、ジャン・ラニエ、ラファエル・パトルニ、アビーブ・ボングリア / 配給:東和×東宝 / 映像ソフト発売元:エスピーオー
1945年フランス作品 / 上映時間:3時間10分 / 日本語字幕:山田宏一
1952年2月20日日本公開
2010年5月5日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon]
第1回午前十時の映画祭(2010/02/06〜2011/01/21開催)上映作品
第2回午前十時の映画祭(2011/02/05〜2012/01/20開催)《Series1 赤の50本》上映作品
TOHOシネマズみゆき座にて初見(2012/1/06)
[粗筋]
19世紀のフランス、パリ。
“犯罪大通り”に設けられた無言劇の劇場“フュナンビュール座”の門を叩く男がいた。彼の名はフレデリック・ルメートル(ピエール・ブラッスール)――本来はシェイクスピアをはじめとする芝居に没頭する男だが、名声を得るために無言劇の舞台をステップにしようとしていた。座長(マルセル・ペレス)は多忙のためにろくに話を聞きもしなかったが、折しも上演中の舞台で芸人同士が衝突、半分が降りてしまったために、急遽フレデリックの起用を決める。
フレデリックとともに抜擢されたのは、芸人のひとりアンセルム・ドピュロー(エチエンヌ・ドゥクルー)の息子で、ずっとボンクラ扱いされていたバチスト(ジャン・ルイ・バロー)である。呼び込みの場に余興として居させられているだけだったバチストは、しかしその日、雑踏の中でスリを疑われた女性を庇うために華麗なパントマイムを披露、喝采を浴びていたことが初めて評価され、舞台に上がることを許されたのである。
偶然から、互いに才能を認め合う友人となったふたりだが、運命の悪戯が彼らのあいだに思わぬ歪みを生んでいた。バチストが疑惑から救った女――ガランス(アルレッティ)はもともと見世物小屋で働いていたが客の入りが悪く解雇された直後だった。初舞台を踏んだその夜にダンスホールで再会したバチストは、彼女にアプローチするものの不器用さゆえに最後の一線を超えられず、直後に巡り逢ったフレデリックに奪われる格好となってしまったのだ。
ガランスはバチストの紹介によって“フュナンビュール座”の芸人の職を得、バチストの演出、フレデリック共演による彼らの無言劇は好評を博したが、舞台袖でも時折親しげな素振りを見せるガランスとフレデリックに、バチストはしばしば心を惑わされる。
舞台に立つガランスの美貌は人々を惹きつけ、いつしか熱心な信奉者を生んだ。そんな中のひとりに、モントレー伯爵(ルイ・サルー)がいた。容姿にも財産にも恵まれた彼は、ガランスに積極的なアプローチを試み――それは芸人たちの人間関係に、新たな変化を齎す……
[感想]
映画史にその名を残すフランス映画の傑作であるが、全体の手触りは“映画”というより“演劇”に近い。昨今の映画と比べ、響きを重視した台詞回しや、舞台を中心とする所作の大きさのせいであるように思える。
そのために、全体に物語の流れが緩慢で厳めしさがあるが、しかし慎重に吟味された台詞のやり取り、巧みな状況設定は重厚で、非常に見応えがある。よほどこういう類の表現が肌に合わない、という人でもない限り、否応なしに惹きこまれてしまうはずだ。
やたらと華やかな舞台、煌びやかな台詞回しに反して、本篇のストーリー展開は決して甘くない。それぞれの出逢いのくだりはロマンスの定番めいているが、絡みあって生み出されるドラマは苦悩に満ちている。
一方通行の思慕が折り重なる、というのは決して珍しくない発想だが、ここまでどうしようもなく噛み合わない状況は特異だ。バチストはガランスに想いを寄せるが、ガランスはフレデリックと深い仲になる。それでもなおガランスに対する思慕を捨てられないバチストに、座長の娘ナタリー(マリア・カザレス)も一方通行の想いを募らせる。ここにモントレー伯爵、そしてガランスとの因縁浅からぬ犯罪者ラスネール(マルセル・エラン)までが絡んで、いっそう複雑で、哀しいほど噛み合わない人間模様を織り成していく。
しかし、それ以上に本篇は、個々の人物像の完成度の高さ、魅力の強さが出色なのだ。
功名心に富み、無言劇に身を投じながらも戯曲への憧れを抱き続けるフレデリックは、女性に対して非常に積極的だ。冒頭、街中で目撃した美女に立て続けにアプローチする姿、ガランスと再会してすぐさま彼女の部屋に上がりこむ剛胆さは、男として少々憧れたくなるほどだが、その一方で、人間関係以上に芝居を優先するような側面が窺える。第2部序盤では恋に破れた男の悲哀を体現したかのような振る舞いをするが、終盤での言動はそれを踏まえると意外だ。
殺人さえも辞さない冷酷な悪党・ラスネールにしても、しかし決して憎まれ役としては描かれない。第1部終盤でガランスを予想外の運命へと導く役回りを果たす男だが、その一方で勘の良くない子分アヴリル(ファビアン・ロリス)に配慮を示すばかりか、当初からつかず離れずの関係を引きずっていたガランスを気遣うような行動に出る。基本的に悪人であることは貫いているがその振る舞いは非常に粋で、ダンディズムさえ感じさせる。
多くの男を翻弄するガランスの人物像も実に味わい深い。彼女の態度ははじめから、自発的に幸せを手にすることを諦めているかのようだ。ラスネールのもとに頻繁に足を運びながらも深い関係には至らず、バチストと心を通わせた直後に、大胆に接近してきたフレデリックと一線を超えてしまう。やむを得ぬ経緯から、第1部ラストでは更に別の男のもとへと身を寄せてしまうあたり、天衣無縫とも取れるのだが、その実、場面場面の人間関係や己の立場に縛られ、決して自由に振る舞えないことが窺える。彼女が魅力的であり、男を惹きつけて止まないのは、その諦観にも因っているのかも知れない。
本篇における最も重要なキーマンは、無言劇の天才バチストであろう。登場はやや遅めなのだが、本篇の物語に誰よりもコクを齎しているのは間違いなくこの男だ。初登場の時点では呼び込みをする父親の傍らで樽に座り、公衆の面前で罵倒されても微動だにしない。しかし、ガランスがスリの嫌疑をかけられたときから、にわかに活き活きと動き始める。まるで恋の情熱が彼に命を吹きこんだかのようだ――そしてそう捉えると、本篇のラストシーンに至る道行きが、非常に趣深いものとなる。
考えようによっては、常に夢想に耽っているバチストの、長い長い夢を描いた話、とも受け取れるのだ。群衆の中で巡り逢う冒頭と、群衆の中で離れていくラストシーン、それぞれの描写を対比させていくと、あまりに多くのことが意味深に映る。
奥行きに富んだ台詞、描写が多く、ひとつひとつを汲み上げていくといくら語っても語りきれない。正直なところ、私は決して好きなタイプの作品ではない、と感じたのだが、それでも本篇が歴史的な名作であることは――いや、だからこそ断言できる。本篇の映像ソフトについてのamazonのレビューで、映画好きを標榜するなら観ておかねばならない作品、といった表現をしているものがあるが、確かにその通りだと思う。好き嫌いは別にして、ジャンルを問わず映画を愛している、というならいちど観ておくべき作品である。
関連作品:
『街の灯』
『ライムライト』
『道』
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