原題:“The Descendants” / 原作:カウイ・ハート・ヘミングス(Villagebooks・刊) / 監督:アレクサンダー・ペイン / 脚本:アレクサンダー・ペイン、ナット・ファクソン、ジム・ラッシュ / 製作:ジム・パーク、アレクサンダー・ペイン、ジム・テイラー / 共同製作:ジョージ・パーラ / 撮影監督:フェドン・パパマイケル,ASC / プロダクション・デザイナー:ジェーン・アン・スチュワート / 編集:ケヴィン・テント,A.C.E. / 衣装:ウェンディ・チャック / 音楽監修:ドンディ・バストーン / エグゼクティヴ音楽プロデューサー:リチャード・フォード / 出演:ジョージ・クルーニー、シェイリーン・ウッドリー、アマラ・ミラー、ニック・クラウス、ボー・ブリッジス、ロバート・フォスター、ジュディ・グリア、マシュー・リラード、メアリー・バードソング、ロブ・ヒューベル、パトリシア・ヘイスティ / アド・ホミネム・エンタープライゼス製作 / 配給:20世紀フォックス
2011年アメリカ作品 / 上映時間:1時間55分 / 日本語字幕:林完治
第84回アカデミー賞脚色部門受賞(作品・監督・主演・編集部門候補)作品
2012年5月18日日本公開
公式サイト : http://familytree-movie.jp/
TOHOシネマズ日劇にて初見(2012/05/18)
[粗筋]
ハワイのオアフ島で弁護士として働くマット・キング(ジョージ・クルーニー)はいま、混乱のなかにいる。カウアイ島にある所有地の信託が7年後に切れるのを契機に、売却して親族で利益を分配する準備を進めており、取引相手を絞り込んでいる段階にあったが、その矢先に妻のエリザベス(パトリシア・ヘイスティ)がモーターボートのレース中に転落、頭を打って意識不明になってしまった。
弁護士としての仕事に不動産売却の打ち合わせ、そのうえに妻の看護が加わり、同居する次女スコッティ(アマラ・ミラー)の面倒まで見なければならない。母の危篤状態が長引いているためか、スコッティは情緒不安定で、長年まともに面倒も見てこなかったマットの手に余った。
しかも医者は、エリザベスの容態について、もはや手の施しようがない、という見解を示す。もはや意識が恢復することはなく、生命維持装置がなければじきに命は尽きる。エリザベスは生前に、万一の場合は自然に任せて欲しい、という意志を書類にまとめており、マットも逆らうことは出来なかった。
そこでマットは思い切って、ハワイ本島の寄宿舎学校にいる長女アレックス(シェイリーン・ウッドリー)を連れ戻すことにした。スコッティの面倒を手伝ってもらうだけでなく、事故以来戻っていない彼女を妻に会わせるのが目的だったが、アレックスもまた情緒不安定で、オアフ島に戻っても不機嫌を貫いている。てっきり、昨年のクリスマスにエリザベスと大喧嘩したことが原因かと思っていたマットだったが、そこには思いがけない理由が潜んでいた。
エリザベスが、男と一緒によその家に入っていくところを目撃した、というのである――つまり、エリザベスは浮気をしていたのだ――
[感想]
監督のアレクサンダー・ペインは、男達の人生の岐路を描く技に優れている。世界的に認められる最初のきっかけとなった『アバウト・シュミット』では、妻を喪って初めて己の生活能力の乏しさを自覚させられる姿を、『サイドウェイ』では作家としての芽が出ずうだつの上がらない男の変化を、いずれもユーモアと悲哀たっぷりに描き出していた。
『サイドウェイ』に続いてアカデミー賞脚色部門を獲得した本篇もまた、その意味では同じ路線に属するが、同時に数を重ねるごとにその手腕が研ぎ澄まされていることをも感じさせる仕上がりとなっている。
先行する2作品の主人公は、客観的に“ダメ男”という括りでまとめてしまってもいい人物像で、かなりクセが際立っているのだが、本篇の主人公マットは、さほど強いクセを感じさせない。弁護士として働いて充分な収入があり、見ている限りは家事もある程度はそつなくこなし、標準的な生活力はある。先祖代々受け継いできた土地の売却により間もなく巨額の財産を手にする、となれば、むしろ恵まれているとさえ言えるが、そういう特異点を省いて人柄だけに注視すると、むしろ凡庸な人物とさえ言っていい。
だが、凡庸だからこそ、突然のしかかってきた重圧が生々しく、右往左往する姿がやけに同情を誘う。一般に、仕事に邁進してきた男性が、子供の面倒を積極的に見ることはなく、その役割を担っていた妻が姿を消せば、困惑するのはごく当然だ。まして、予兆を感じ取っていたわけでもなく、突然、いたはずの場所から妻が退いてしまっているのだから。そのうえ、会話が減っていたとは言い条、浮気の事実まで発覚すれば、動揺もしたくなる。
それでいて、本篇におけるマットの行動は、滑稽だがフィクション的な不自然さがない。家族の面倒を一手に見なければならなくなったからと言って、突然スーパーマンになれるわけでも、発奮するわけでもない。浮気相手がいる、と知ったからと言ってあっさり相手を訪ねて、復讐に及ぶわけでもない。そんなことなど出来ないから、可能なことをする。幼い次女の面倒を手伝ってもらうために長女を寄宿学校から連れ帰り、何かするという具体的な目的意識もなく浮気相手を探す。見つけたから、と言って殺すどころか殴りかかるわけでも謝罪を求めるわけでもなく、マットはまったく違う提案をする。物足りない、という向きがあるかも知れないが、あの判断と行動は恐らく誰しも似たような結論に辿り着くはずで、その自然さをドラマとしての牽引力を保ったまま示す語り口の巧さは絶品だ。
マットに限らず、本篇の登場人物はいずれも、さほど個性が突出しているわけでもなく、クセも少ない。最初こそ反抗的な長女アレックスも、すぐにどちらかと言えば協力的になるし、学校で問題行動を起こした次女スコッティも、その後はさほど目立った奇行に及ばない。強いて言えばいちばん変わっているアレックスのボーイフレンド・シド(ニック・クラウス)でさえも、基本的には不作法な若者というだけで、次第にマットに懐いて、彼をボスと呼び、終盤ではそっと気遣いを見せるところに好感さえ抱かされる。やたら親戚が多く、みなアロハ姿で暢気なところを窺わせるのは、ハワイという土地柄を反映しているだけで、そこを除けば皆、有り体の人々なのである。だから、自然に一連の状況や反応が受け入れられるし、親近感を覚える。
話の展開自体も、どちらかと言えば非常に素直なのだ。だいたいこういうふうに展開するのだろう、という予想通りに決着してしまう。しかし、そこに至る道筋、見せ方が驚くほどにうまい。随所で、ごく有り体のやり取りに緊張感やユーモアを漂わせて観る者を惹きつけ、巧みに翻弄する。
本篇の大きなポイントの一つは、決して主人公がうまく立ち回っていないことだ。浮気相手との接触の仕方は他にもあっただろうし、土地の取引についても、もう少しやり方があったに違いない。それどころかクライマックスでは、最も肝要な台詞を、他の登場人物に言われてしまうひと幕もある。だが、それ自体はユーモアでありながら、きちんと観る者の心を揺さぶるドラマとしても成立しているのだから、すごい。
アレクサンダー・ペイン監督の他の作品がそうであったように、本篇もまた、物語が終わったところで必ずしもハッピーエンドとは言い難いし、解決をきちんと示しているわけでもない。けれど、何かをやり遂げた、或いは結論に辿り着いたゆえの清々しさがあり、快い余韻がある。
私はこの作品を、日比谷・有楽町エリアのTOHOシネマズでは比較的大きなスクリーンであるTOHOシネマズ日劇のスクリーン3にて鑑賞した。どちらかと言えばミニシアター向けの作品ではないか、という印象だったために、果たしてあの大きなスクリーンで上映する意味はあるのか、と当初は首を傾げたのだが、実際に鑑賞すると、ハワイの美しい風景を背負った物語は、思いのほか大スクリーンに相応しい。映像の素晴らしさも含め、映画館でじっくりと味わう価値のある、現代の名画である。
関連作品:
『サイドウェイ』
『バトルシップ』
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