『雪の断章−情熱−』

神保町シアターの展示、『雪の断章』部分をアップ。

原作:佐々木丸美 / 監督:相米慎二 / 脚本:田中陽造 / 製作:伊地智啓、富山省吾 / 企画協力:キティ・フィルム / 撮影:五十畑幸勇 / 美術:小川富美夫 / 照明:熊谷秀夫 / 編集:池田美千子 / 録音:斉藤禎一 / 音楽:ライトハウス・プロジェクト / 主題歌:斉藤由貴 / 出演:斉藤由貴榎木孝明、岡本舞、矢代朝子藤本恭子中里真美、伊藤公子、東静子、高山千草、中真千子、レオナルド熊伊達三郎、斎藤康彦、酒井敏也加藤賢崇、森英治、大矢兼臣、寺田農伊武雅刀塩沢とき河内桃子世良公則 / 配給:東宝

1985年日本作品 / 上映時間:1時間40分

1985年12月21日日本公開

『80年代ノスタルジア』(2012/5/12〜2012/6/8開催)にて上映

神保町シアターにて初見(2012/05/30)



[粗筋]

 幼い伊織(中里真美)は両親を喪い、那波家に引き取られていた。しかし、扱いは実質的に家政婦同様で、同い年である那波家の次女・佐智子にも下に見られ、すっかり人間不信に陥っている。そこへ現れたのが、広瀬雄一(榎木孝明)だった。伊織の境遇に同情した雄一は彼女を自らのアパートに連れ帰り、やがて保護者として彼女を養育するようになる。雄一と、彼の親友である津島大介(世良公則)が、伊織にとっては親代わりとなるのだった。

 それから10年。成長した伊織(斉藤由貴)は聡明な少女となっていた。雄一は彼女に、地元の名門である北海道大学への進学を勧めるが、雄一のもとで長年働いてきた家政婦・カネ(河内桃子)は「これ以上迷惑をかけず、早く独り立ちするように」と苦言を呈する。

 そんな折り、雄一たちが暮らすマンションに、那波家の長女・裕子(岡本舞)が引っ越してきた。伊織を巡る経緯はあれど、接点のある雄一たちは彼女の歓迎会を催し、舞踏家である裕子は一同の前華麗な舞いを披露する。那波家には誰よりも強い遺恨のある伊織だったが、その裕子の姿には素直な敬意を表するのだった。

 しかし直後、事態は急転する。自分の部屋で休養を取っていた裕子が、毒殺されたのだ。彼女が口にしたと思われる唯一のもの、コーヒーを運んだのが伊織であったために、担当刑事の吉岡(レオナルド熊)から疑われ、執拗につきまとわれるようになる。

 更に伊織は、衝撃的な話をカネに突きつけられた。雄一は密かに、伊織がひとりの女性としてコ成長するのを心待ちにしている、と言うのだ。親代わりとして尊敬し、恋心にも似た憧れを抱いていた伊織にとって、その指摘は殺人犯扱いされるのと同じくらいに彼女を傷つけるものだった――

[感想]

 原作者の佐々木丸美は本篇のもととなった小説で1975年にデビュー、独特の情緒的な文体で数多くの作品を著し支持されていたが、10年ほど経て発表が途絶え、2005年に亡くなった。著者の意向で長いこと作品が絶版のまま市場から姿を消していたが、没後に復刊、好事家のあいだで再評価され、2012年現在は本篇の原作をはじめ、“館”シリーズなどが比較的入手しやすい状態になっている。

 その評判こそ耳にするものの、実際に読む機会のなかったことを嘆いていた私は、2006年からブッキングより刊行された全集を予約して購入、本篇の原作をまず読んだのだが――正直に言えば、どうにも肌に合わず、悩ましい代物だった。確かに雰囲気はあるし、ドロドロとした背景を詩的に綴る文章力は優れていると思う。仕掛け自体はごくごく単純だが、それをうまく活かして謎解きとしての牽引力にしているのは見事だ、と認める一方、あまりに自己憐憫の強すぎる文章、語り口に苛ついてしまって、最後までいまひとつ楽しめなかった。『雪の断章』のみで苦手意識が強烈になってしまって、あとは『崖の館』を読んだくらいで、他の作品には未だ手をつけられずにいる――本当に、完全に相性が悪いだけだ、と思うのだが。

 ともあれ、それくらい肌に合わなかった作品ゆえ、恐る恐る映画版である本篇を鑑賞したのだが、原作とはまったく逆に、こちらには痺れるくらい感激した。原作云々よりも、まだ観たことのなかった相米慎二監督作品である、ということに注目して鑑賞したのだが、なるほど、日本の映画愛好家から何故この監督がカリスマ的に採り上げられ、早すぎる死が惜しまれているのか、よく解った。

 その衝撃は、冒頭のシークエンスにほぼ凝縮されていると感じる。伊織と雄一・大介との出逢い、雄一が伊織を引き取ることを決めるまでを描いているのだが、このシーン、ほぼワンショットのように描いている。恐らく実際にはあちこち途切れているのを、加工して繋いでいる可能性もあるとは思う(本当にワンショットだとしたら驚きだ)が、映像的に切れ目を作らずに、那波家の家、近くの橋でのやり取り、雄一のアパートに連れ帰られての姿だけでなく、別の場所にいる婚約者・細野恵子(矢代朝子)とのやり取りまで雪洞の中に再現し、一連の出来事を流れるように見せつける。イメージ的な映像まで織りこんだこのくだりは、純粋に話を追いたいひとには外連が強すぎて不快だろうが、映像表現、という部分から映画を味わおうとする向きにとってはゾクゾクとするくらいに刺激的だ。

 これほど圧倒的なインパクトを齎す場面はそのあと現れないが、しかし映像的な工夫は細かに盛り込まれ、いちいち痺れさせる。少女から女性へと変貌する中間点にいる伊織というヒロインの心情を、朴訥で繊細、純真そうだが随所で妖しい色香を放つ、斉藤由貴という逸材を存分に活かし、技巧を凝らして緻密に描いている。大筋はほぼ原作通りで、当事者の視点で描くとあれほど苛立たされたものが、映像という形で、技巧のフィルターを通しただけでここまで美麗に、繊細に描けるのだ、ということに、心底驚かされた。

 しかしその反面、本篇は原作を高く評価するひとにはすこぶる評判が良くないらしい。それもよく理解出来る。前述した通り、描き方はさておき、事件の背景も仕掛けもアイディアとしては整っていたのだが、本篇はそのどちらもかなり軽んじている。事件の伏線や、伊織が犯人の正体に気づいたときの感情描写にも不満が多いが、何より肝心の真相を明かすシーンで、説明する声をどんどん小さくする、という暴挙に出ている。あくまで、伊織という少女の成長と、切ない恋愛模様に焦点を絞ろうとしていたが故の処理であることは察しがつくが、ミステリとしても評価されていた原作であったことを思えば、少々失礼が過ぎる、という感想も理解出来る。こういうものが表現したいのなら、何も『雪の断章』という原作を選択する必要さえなかった、という声が上がるのも当然だろう。

 ただ、逆に言えば、冒頭のようなアクロバティックな表現も、少女漫画めいた人間関係や感情描写も、ああした原作があったからこそ触発され、正当化された、とも言える。完全なオリジナルで生み出そうとしても、2012年現在も活躍するほど優秀なキャスト・スタッフで製作されるのは、恐らく商業映画の世界では難しかったはずだ。原作に忠実であれ、より尊重した内容を、と望む向きには不幸であったとは思うが、完成した作品を単体で眺める限りは、幸運な出逢いがもたらした傑作である、と思う。

関連作品:

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最後の忠臣蔵

探偵はBARにいる

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